第一三六食 小椿ひよりと盲目少女


「なんか最近、お兄さんが元気ないような気がする……」

「……はあ?」


 新学期が始まって一週間、ようやく夏休みの余韻よいんも抜けきろうかという頃。真昼まひると二人で帰路きろに着いていたひよりは、半眼でうなるように呟いた親友に気の抜けた声を返していた。


「……『元気ない』って、たとえば?」

「うーん、具体的になにかあったってわけじゃないんだけどね? でもなんとなくそんな感じがするっていうか」

「なによそれ」


 詳細がものすごくフワフワした真昼の言葉を聞いて、ひよりは「真剣に聞いて損した」と言わんばかりに、さっさと手の中のスマートフォンの画面へと視線を落とした。当然のように隣から「もうちょっと興味持ってよ!? あと歩きスマホダメ、ゼッタイッ!」と抗議を浴びせられるが……〝なんとなくそんな気がする〟程度の悩みにどう答えろというのか。


「……気のせいじゃないの? そもそも『元気ない』もなにも、家森やもりさんって元々そんなハイテンションな人じゃないじゃん。ダウナー系ってわけでもないけど」


 スマホをスカートのポケットに仕舞い、ひよりがいかにも面倒臭そうな顔で言う。

 真昼の隣人にして〝お兄さん〟こと家森ゆうは、比較的落ち着いた雰囲気の男だ。そのため『元気がない』と言われても、そもそもひよりには〝溌剌はつらつとした家森夕〟のイメージがまったく思い浮かばなかった。どちらかと言えば彼は自分ひよりと同じく、平時はなるべく省エネで過ごすタイプの人種ではなかろうか。


「むむむ……で、でも昨日の日曜日も約束通り二人でクッキーを作ったんだけどね?」

「ああ、今日私たちに持ってきてくれたやつ?」

「そうそう。その時に『明日このクッキー、学校に持っていきますね』って言ったんだ。そしたらお兄さんが妙に真剣な顔つきになって『誰かに渡すのか』って聞いてきてね? だから私、『友だちにあげるつもりです』って答えたんだけど……なぜかそのあとお兄さん、『そうか……』ってすっごく暗い顔になっちゃって」

「え、なんで?」

「それが分からないから悩んでるんだよう! それから二人で完成したクッキー食べた時も『こんな時に限って無駄に美味しく出来てる……』ってなぜか落ち込んだ感じで言われちゃったし!? 初めてであの出来栄できばえだったら、普段なら絶対『上手に出来たな』って褒めてくれるのにぃっ!?」

「とりあえず落ち着きなよ」


 珍しく初回から会心の出来だった料理クッキーを褒めてもらえなかったことがよほど悲しかったらしい親友を「どうどう」となだめるひより。


「……というか家森さんがちょっと元気なさそうってだけでしょ? そんなこと、わざわざアンタが気にしなきゃならないようなことなの?」

「なに言ってるのひよりちゃんっ!? お兄さんの元気がないなんて、私にとっては大問題中の大問題だよっ!」

「いや、アンタは家森さんのなんなのよ……」


 相変わらず夕のことをしたってやまない様子の真昼。先日風邪を引いて倒れてからというもの、彼女のあの青年への想いがより一層つのっているような気がしてならない。なにせ新学期が始まって以降、彼女は口を開くたびに夕の話ばかりするのである。やれ「お兄さんとこんな話をした」だの、やれ「今度お兄さんにこんな料理を教えてもらう」だの……まるで惚気のろけ話でもしているかのように楽しそうな表情で。

 からかわれたくないのか、亜紀あき雪穂ゆきほがいる前ではその手の話題を控えているらしいが……その反動でひよりと二人きりになった途端にスイッチが入ってしまうらしい。個人的にはまったく興味のない大学生の話を延々と聞かされる自分ひよりの身にもなってほしいところだ。


「ねえひよりちゃん! なんでお兄さん、あんなに元気ないのかなあ!?」

「知らないわよ……あの人と一番仲良いアンタが分かんないのに、私に分かるわけないでしょ」

「そんなあっ!? ……うう、本当にどうしちゃったんだろ、お兄さん……新学期が始まる前までは普通だったのに……ハッ!?」


 するとその時、真昼が文字通りハッとしたように瞳を見開いた。


「も、もしかしてお兄さん……私が先に夏休み終わっちゃったのが寂しいのかな?」

「……は?」

「ほら、夏休みの間はお昼ご飯も一緒に食べられたけど、今はそうじゃないでしょ? だからきっと一人でご飯を食べるのが寂しくて元気なかったんだよ!」

「ええ……?」


 少々都合が良すぎる真昼の解釈を聞いて、ひよりは思わず懐疑的な表情を浮かべる。もし彼女の言う通りだとしたら、クッキー作りで美味しく作れたのに褒めてくれなかった理由の説明がつかないではないか。

 しかし既にだと決めつけてしまったらしい真昼は、紅潮こうちょうした頬を両手で挟み込んだまま、くねくねと身体を揺らす。


「ど、どうしようひよりちゃん!? どうすればお兄さん、私がいない間も寂しくなくなるかな!? 学校を休むのはさすがに無理だし……お昼休みになったら家まで帰ってお兄さんとご飯を――うーん、それも時間的に無理だよね……あっ! お昼になったらお兄さんとテレビ電話を繋ぐっていうのはどうかな!? それなら学校にいても皆一緒にご飯を食べられるし!」

「……楽しそうでいいんじゃないの」


 もはやツッコミを入れるのも面倒になり、再びポケットから取り出したスマホを片手に雑な相槌あいづちを打つひより。なんだろう、以前までの真昼は成績優秀な優等生だったはずなのだが……夕に想いを寄せるようになってからというもの、日を追うごとに彼女の頭のネジがゆるんでいっているような気がしてならない。


「(いつか家森さんのことを好きになりすぎて、おかしくなったりしないだろうな……?)」


 よく〝恋は人をまどわせる〟というが……精神構造が単純なこの親友は、まさしく恋に盲目もうもくになってしまうタイプではないだろうか?

 ひよりがそんな危機意識を抱く中、当の真昼は「もう、お兄さんったら寂しがり屋さんなんですから~っ!」とすっかり上機嫌なご様子で、ニマニマ幸せそうに笑っているのであった。

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