第一一二食 青葉蒼生と空気読み


「え? 真昼まひるちゃんの様子がおかしい?」

「ああ……」


 夏休み中でほとんど人が居ない大学キャンパス内を歩きながら、青葉蒼生あおばあおいはきょとんと首を傾げていた。その隣では友人の家森夕やもりゆうが疲れたように首を縦に振る。

 二人は今日、所属しているゼミの課題をこなすために大学内の図書館に足を運んでいた。といっても課題が終わっていないのは蒼生だけで、夕はその付き添いに過ぎない。

 普段の夕であれば「一人でやれ」と冷たく突っぱねてくるところだ。なのに今日はやけにすんなりと付き合ってくれたので、なにかあったのだろうかと気にはなっていたのだが……どうやら彼の部屋の隣に住んでいる可愛らしい女子高生・旭日真昼あさひまひるに関する悩みがあるらしい。


「おかしいって、どんな風にさ?」


 来る途中にコンビニで購入したカップコーヒーを口にしてから、蒼生が話の先を促した。


「たしかに真昼ちゃんってたまーに変なとこあるけど……基本的には素直でいい子だったはずだよね?」

「いや、素直でいい子なのは別に変わってないんだが……なんつーか、俺が帰省から戻る前くらいから急に変になったっていうか……」

「具体的には?」

「帰省中も毎日連絡してきてたのが突然ぱたりとこなくなったり、一人で浴衣ゆかた着て花火大会を見に行ってたり、俺の超どうでもいい情報をやたら知りたがったり、いつもみたいに二人で料理してたら急に顔を赤くして黙り込んだり……」

「お、思ったより様子がおかしいね?」

「だろ……?」


 はあ、と深刻そうにため息をつく夕。よほど真昼のことが気掛かりなのだろう、その横顔にはありありと憂慮の色が浮かんでいた。彼が帰省から戻って数日が経過したはずだが……どうやらこの数日間だけでも相当のことがあったと見受けられる。


「まあ、とりあえず順番に聞かせてよ。まず連絡が突然こなくなったっていうのは?」

「そのままだよ。帰省中も『あんなことしました』『こんなことしました』って毎日メッセージが飛んできてたんだが、それが途中からぱったりこなくなったんだ」

「途中からっていうのはいつからだい?」

「えーっと……たしか真昼が小椿こつばきさんたちと四人で夏祭りに行った翌日からだな」

「ぱったりこなくなった、っていうけど夕、キミの方から連絡はしなかったのかい?」

「いや、何度かしたよ。こっちから連絡した時は普通に返信してくれたんだ。……ほら、こんな感じで」

「ふむふむ」


 当時のメッセージアプリ内における夕と真昼のやり取りを見せてもらいながら、あごに手をやり頷く蒼生。そして勉強は苦手でも人間関係の機微きびにはさとい彼女は、すぐに真昼の行動の意図を見抜いていた。


「(これは、典型的な相手の気を引くための駆け引きだね。いわゆる〝押してダメなら引いてみろ〟みたいな……でも真昼ちゃんの性格じゃそんな小細工は思いつかないだろうから、たぶんお友だち――亜紀あきちゃんか雪穂ゆきほちゃんあたりの差し金かな?)」


 ほとんど完璧に近い予想を立てつつ、蒼生は「それで?」と続けて問いただす。


「真昼ちゃんが一人で花火大会に行ってた、っていうのはどういうことなの?」

「ああ、俺が歌種こっちに戻ってきた日、赤羽あかばねさんに誘われて花火大会を見に行く予定があったんだけど……」

「え……ま、真昼ちゃんを差し置いて二人きりで……? うわあ……」

「ドン引きすんな! ち、ちげえよ、俺も当日まで真昼たちも一緒だと思ってたんだって!?」

「なるほど、つまりキミは女子高生たちを両手にはべらせて夜の祭りにおもむくつもりだったんだね……?」

「いや言い方!? ああもう、俺のことは今はどうでもいいんだっつの!?」


 話の先を聞くと、どうやら夕はそこで亜紀から突然花火大会デートの中止キャンセルを言い渡されたらしい。そしてそこに一人で花火を見に来ていた真昼が現れ、結果として二人で花火大会を楽しんだ、と……。


「(まあどう考えたって不自然だし、これも亜紀ちゃんたちが考えた作戦だったんじゃないかな? 大方、夕と真昼ちゃんにロマンチックなシチュエーションでデートさせたかったとか、そんなとこかな)」


 やはりほぼ満点の答えを思い浮かべて、蒼生は「つまり」とさらに思考を巡らせる。


「(亜紀ちゃんや雪穂ちゃんは、本格的に真昼ちゃんと夕のことをくっつけようとしてるみたいだね)」


 蒼生の目から見ても、あの不器用女子高生は夕に対して好意を抱いている。それはまず間違いない。そしてそんな真昼と夕の関係をただ傍観していられるほど、亜紀や雪穂は大人しくないだろう。あのお堅そうな少女・ひよりならまだしも。


「(だから亜紀ちゃんたちは多少強引でも真昼ちゃんの後押しをしようとした、と。……でも私が知る限り、真昼ちゃんってかなーり奥手なイメージがあったんだけどなあ)」


 少なくともこんなやり方をよしと出来るほど、彼女は器用ではなかったはずだ。もしかしたら今回の帰省中、彼女の心境になにかしらの変化があったのかもしれない。

 そう考えれば、残る二つについても頷ける。気になる相手のことを詳しく知りたいと思うのは人間の心理としてなにもおかしくはないし、不意に二人きりだと意識してしまえば赤面したり黙り込んでしまうというのもごく自然なことだ。


「(そして……当の夕はといえば、そんな真昼ちゃんの気持ちにこれっぽっちも気付いていない、と)」


 まったく、鈍感な男である。今だって彼は真昼が不調なのではないか、と心配そうな表情を浮かべているというのに、その主たる原因が自分にあるとは思っていないのではないだろうか。


「……ほんと、こんなのを好きになっちゃうなんて物好きだよね、真昼ちゃんも」

「? 青葉、今なんか言ったか?」

「別にー? 悪いけど私にもちょっと分かんないや、真昼ちゃんの様子がおかしい理由」

「そ、そうか……」


 望みがたれてしまい、夕ががっくりと首を折る。

 もちろん予想した答えを教えてあげることは簡単だが……しかし真昼の大切な想いを、第三者でしかない蒼生じぶんの口から勝手に伝えるわけにもいくまい。そもそも仮に「もしかして真昼ちゃん、夕のことが好きなんじゃないの?」などと伝えたところで、彼がそれをすんなり飲み込めるとも思えないが。


「……ま、これからは真昼ちゃんのこと、もう少し気を付けて見ておいてあげなよ。そうすればなにか分かるかもしれないしさ?」

「……そうだな」


 俯きがちに真剣な瞳をして頷く夕に、蒼生は普段決して見せないような大人びた笑みを浮かべる。しかし彼女はすぐにいつもと同じおちゃらけた空気をまとい直すと、ぐいっと夕の首に腕を回した。


「さあ、それより今日は私のレポートを完成させないと! 相談に乗ってあげたんだから、馬車馬のように働いてね!」

「アホ、結局なんにも解決しなかったんだからお前も自力でやれ」

「ええ~!? そんな殺生せっしょうな~!?」


 そして二人はそんな気の置けないやり取りをしつつ、大学図書館の中へ入っていくのであった。

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