第九八食 旭日真昼と条件改定①

 一人暮らしを始めたばかりの当時、まだ中学一年生――厳密には小学六年生末期――だった真昼まひるには当然両親、主に父親から複数の条件ルールが課せられていた。

 それは〝夕方五時半時以降の外出をしないこと〟や〝昼間でもなるべく人通りの多い道を歩くこと〟といった防犯上の理由による条件ものから、〝一定以上の成績を保つこと〟、〝週に一度は電話やメールで学校生活の様子を報告すること〟のように学生としての本分を果たすための条件ものまで実に様々。それら幾多の条件ルールを守ることを約束したことで、ようやく真昼の一人暮らしが認められるようになったと言い換えてもいい。


 さて、そんな中でも一際目を引く条件ルールが一つ。それは料理において〝火を使うこと〟、そして包丁やピーラーのような〝刃のついた調理器具を使うこと〟――事実上の自炊禁止令である。理由は単純、「真昼が死ぬほど不器用だったから」。

 ゆうと初めてのお料理教室でカレーライスを作った時の彼女がそうだったように、旭日あさひ真昼という少女は本来、手先を細やかに使うような作業が苦手だ。簡単に言えば、びっくりするほど不器用なのである。


 小学生の頃はって膨らませるタイプの知育菓子を作ろうとして床にぶちまけ、カーペットをドロドロにしてしまった。中学生の林間学校では男子生徒たちから羨望の眼差まなざしを受ける中、盛大にカレー鍋をひっくり返して危うくグループ全員飯抜きになりかけた。

 なにも〝料理をすると何故か暗黒物質ダークマターが出来上がる〟だとか〝見た目だけは完璧な料理を作れるのに味はゲキマズ〟だとか、そんなパンチの効いた下手さというわけではない。ただただ単純にドジで、ただただ単純に不器用というだけのこと。


 しかしだからこそ、両親はそんな真昼が一人で料理なんてしようものならどんな大惨事になるかを理解し、ゆえに事実上、一人では料理が出来ないような条件ルールを作ったのだろう。なにせ万が一にも包丁で大怪我をしたり、コンロの火で大火傷やけどを負おうものなら、取り返しがつかないことにもなりかねないのだから。

 真昼はそんな両親の心配を分かっていたからこそ、中等部時代の三年間はただの一度も自炊に手を出していない。まあ手を出そうにも彼女の部屋には包丁もコンロもフライパンもないのでどうしようもなかった、という方が正しいのだが。


 それに真昼はコンビニ弁当やスーパーのお惣菜ばかりの食生活そのものを苦に思ったことは一度もない。自分なりに栄養には気を遣っていたし――隣の大学生に言わせれば「どの辺が……?」らしいが――、そもそも彼女は基本的になにを食べても「すっごく美味しい」と感じるタイプだ。

 それでも真昼が夕の「料理、教えてやろうか?」という一言に飛びついたのは彼の家でご馳走された質素ながらも温かいご飯がとても美味しかったから。そしてそれ以上に――誰かと一緒に食べる料理にえていたから。

 無論、学校の昼食や休日の外食など、友人と食事を共にする機会自体はそれなりにあった。しかしそれらは真昼が無自覚のうちに募らせて続けていた寂しさをまぎらすには足りなかったのである。


「……と、というわけです……ごめんなさい、約束、勝手に破っちゃって……」


 本人もいつの間にか当たり前になっていて失念していたとはいえ、思わぬところから発覚した条件ルール破りのことを真昼は素直に白状した。そして遅まきながらも両親に向けてぺこりと頭を下げる。そんな真昼に、めいが「そういうことね」と短く答えた。


「『鍵をくしたところをお隣さんに助けてもらった』っていうところまではメールで聞いていたけれど……そういう事情ならもっと早く話しなさい。特に電子レンジ、故障したならなんで言わないのよ?」

「うっ……」


 指摘され、真昼は椅子の上で小さく縮こまる。

 念のため補足しておくと、真昼が一人暮らしを始める際に買ってもらった電子レンジは彼女が中等部三年生の頃に故障し、それ以来壊れたまま買い替えていない。このことも真昼と夕が現在のような関わりを持つようになったきっかけの一つなのだが……。


「……その、ただでさえ無理言って一人暮らしさせてもらってるのに、余計な迷惑は掛けちゃいけないと思って……」

「まったく、変なとこで気を遣うんだから……それでお隣さんのお世話になってるんじゃ、迷惑を掛ける矛先が変わってるだけでしょう?」

「うぐっ!?」


 母の正論にうめく娘。かつて夕は自身と真昼の関係を「WIN-WIN」だと言ってくれたが……最近はまだしも、当初の真昼は確かに両親の代わりに夕を頼っていただけだった。


「まあでも、結果として料理を教えて貰えたなら良かったじゃない。それに約束を破ったって言っても、真昼あなたが一人で料理出来るようになるまではそのお隣さんが側についていてくれたみたいだし……その人には今度、ちゃんとお礼しないとね?」

「! う、うん!」


 どうやら思ったよりもあっさりと真昼の自炊生活は認められたらしい。このような条件ルールが真昼に課せられた理由を考えればある意味当然とも言えよう。これまで特に大きな怪我けがもなく、夕という監督者がいる上できちんと料理を教わっているのなら両親も反対の余地はないはずだ。むしろ真昼の健康を思えば、やはり夕が言う通りコンビニ弁当中心の生活というのはよろしくない。

 おそらくそういった思いで頷いてくれたであろう母は「ね、あなた?」と隣に座る父・冬夜とうやに話を振った。


「……真昼、一つ聞かせてくれ」

「? な、なに?」


 一方、ずっと黙って真昼と明の会話を聞いているだけだった父は、珍しくとても真剣な顔をして真昼に問い掛ける。


「明言していなかったが……そのお隣さんというのは女性か? それとも――男か?」

「えっ? えっと……だ、大学生のお兄さん、だけ――」


 ど、と言い掛けた真昼の声は、ガタンッ! と勢いよく椅子を蹴って立ち上がった父の挙動によって遮られた。


「だ、駄目だ駄目だッ!? そ、そんなのは許可できんッ!?」

「え、ええっ!?」

「嫁入り前の娘が、よりによって男の部屋に上がり込むなんて……あり得んッ! なあ母さんッ!?」

「いや、別にいいじゃない。特になにかされたってわけでもないんでしょう?」

「あ、当たり前だよっ! お兄さん、すっごく優しくていい人なんだからっ!?」


 しかしそんな明の反論と真昼の言葉は、「いいや、駄目だッ!」とテーブルの上に手をついてブンブン首を振る冬夜の大声にかき消される。


「真昼、一人暮らしの条件ルールを一つ追加する!」

「!?」


 言葉を受け、瞬時に嫌な予感を覚える真昼。しかし制止の声を上げるより早く、父は張り上げた声で宣言した。


「『金輪際こんりんざい、その男の部屋には行かないこと』! これを守れないようなら一人暮らしを続けることは認めない!」

「……!」


 ――絶望の条件ルール追加に、真昼はただその場で身を固くすることしか出来なかった。

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