第八三食 海水浴場と水着女子③

「……しかしアレだな、海って意外とやることないよな」

「到着からわずか一〇分でその台詞が出てくるのもどうかと思うけどね」


 ビーチサンダルで青い海へと駆けて行った女子高生たちを見送った直後、俺は早くもレジャーシートの上に寝転がっていた。そんな俺に、隣でスポーツドリンクをちびりと舐める青葉あおばが苦笑する。


「でもま、その気持ちは分からないでもないよ。子どもの頃は水辺でちゃぷちゃぷしたり砂浜でお城作りしてるだけで楽しかったけど、このトシにもなって水遊びや砂遊びをするのもね」

「……老いたな、俺たち」

「やめて? 同調しておいてこんなこと言うのもなんだけど、私はキミほど枯れ果ててはいないからね?」


 さりげなく俺に同類として扱われることを嫌がる青葉。……こいつ微妙に俺のこと下に見てるところあるよな。真昼たちがキャッキャと海に入りに行ったのに対し、青葉はとある事情のせいで水着を濡らすわけにはいかず、彼女一人を残すのも可哀想なので俺もここに残ることにした……のだが、今猛烈にこいつを一人残して海へ行ってやろうかという意思がムクムクと芽生え始めている。……だがそんなことを考えながらも特別泳ぎが得意なわけでも好きなわけでもないので、結局起き上がる気力もないままだらけてしまった。


「……大学生でも夏になるとよく海まで遊びに行ってるやついるけど、そいつらはいったい何しにこんな人混みまで来るんだ? 産卵?」

「いや海ガメじゃないんだから……まあ大学生くらいになると異性の水着姿とかを見るのが目的になるんじゃない? あとは……可愛い女の子をナンパしたりとか」

「ナンパって……今時流行はやんねえだろ」

「いやいや、やっぱりナンパは海の醍醐味だいごみだよ。たとえば真昼まひるちゃんとかレベル高いし、あんな子が水着でウロウロしてたらそりゃ男は放っとかないんじゃない?」

「そりゃ真昼くらい可愛い子がいたらな。でもあれくらい可愛い女の子にはまず彼氏いるだろうし、結局ナンパ出来ないだろ」

「まあそれはそうだね。……あれ? でもその理屈だと真昼ちゃんは彼氏いないから狙い目なんじゃない?」

「ああ、そういやそうだな……」

「……」

「…………」

「…………」


 ……俺と青葉の間に流れる沈黙。そしてその数秒後、俺は両の瞳をカッと開いて勢いよく身体を起こした。


「真昼が危ねえッ!?」

「早!? 走り出すの早っ!?」


 猛然と走り出した俺に、慌てたように後ろから青葉も駆けてくる音が聞こえる。


「ま、待ってよ夕! キミいくらなんでも過保護すぎない!?」

「バカ野郎お前真昼だぞ!? 初対面の男の家にホイホイ上がり込んじゃうような子だぞ!? そんな子がナンパなんかされたら断れるわけないだろうがッ!」

「信用なさすぎない!? 隣人キミの家に上がったのとはワケが違うでしょ!」

「真昼ーーーーーっ!」

「駄目だまったく聞いてないよこの人!? なんなのキミ、真昼ちゃんのお父さんかなにかなの!?」


 後方から飛んでくる友人の声を無視し、海を目指してひた走る。裸足はだしで来てしまったせいで砂浜に転がっている小さな貝殻の破片や小石が足の裏に突き刺さって地味に痛いが、今はそんなことは後回しだ。あのチョロい、というか人を疑うことを知らない真昼が悪い男に捕まっているのではと思うと気が気ではない。


「くそっ、いないぞ!? ハッ!? まさかもう拉致らちされて……!?」

「拉致!? いつの間にそんな事件性のある話になったの!? お、落ち着きなってば。そもそも真昼ちゃんたち四人で行動してるんだよ? ひよりちゃんとかしっかりしてそうだし、そんな心配しなくても大丈夫でしょ」

「……そ、そうだな。言われてみれば……」


 赤羽あかばねさんと冬島ふゆしまさんはともかく、小椿こつばきさんが一緒なら安心か。


「それにここの海水浴場は遠浅で波も穏やかだから、若い人が遊ぶ場所っていうより家族連れとかに人気のスポットじゃん。わざわざこんなとこでナンパする人なんていないって」

「たしかに……ちょ、ちょっと心配しすぎたかな」

「うん、ぜんぜん『ちょっと』ではなかったけどね。愛娘が誘拐されたくらいのテンションだったからね」

「う、うるさいな……なんか急に動いたからどっと疲れた。戻るか」

「だねー……って、ん? あれ、アレって真昼ちゃんたちじゃない?」

「え?」


 平静さを取り戻した俺がパラソルの方まで戻ろうときびすを返したところで、青葉が海の方静かに指差した。釣られてそちらに目を向けると――


「こ、困ります……!」

「えー? いーじゃんいーじゃん、俺らと遊ぼうぜー?」

「い、いや、私ら男の人と遊びに来てるから……」

「まーたまたー。そんな警戒しなくていいってー」


 ――今まさに、しつこそうな男たちからナンパされている真昼と冬島さんの姿が目に入った。カッ、と俺と青葉の目に火炎が宿る。


「真昼ーーーーーッ!」

「雪穂ちゃーーーーーんッ!」


 ……後から聞いた話だが、この時鬼の形相ぎょうそうをもって砂浜を全力疾走する俺と青葉の姿は、ナンパ師なんかよりもよっぽど不審者然としていたのだという。

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