第136話
「いやぁ、ちぃちゃんが学校行くようになって昼間暇になったからさ、その代わりになにしようか最近考えてて。実際、何がいいと思う。一人だと俺、あんまり真面目に作業しないからさ、適度に人と関わることがいいと思うんだよね」
「だからってまいにちこんびににいりびたれてもこまりますおきゃくさま」
廸子が冷たい目で俺を見てくる。
カウンターの中からいつものように、俺に冷たい視線を向けてくる。
はい、今日も無事に日課をこなしました。
廸子の虫を見るような視線は、もはや俺にとってご褒美ですからね。
しかし廸子ちゃんもいい加減素直になったらどうなのかね。
俺たち、付き合いが長すぎて結婚秒読み待ったなし、ゼクシイで会話する幼馴染み。好意を言葉にせずとも、ゼクシイで表現できる幼馴染みだというのに。
ふふっ、ちなみに、ゼクシイの本言葉は「はやくしてね」と「年貢の納め時」。
女の装備としては最強だが、男にとっては特攻入る武器。
なので、できれば使わないでね。
使えるのと実際に使うのとは違う。
銃を所持できるのと使うのは違うくらいに、これって当たり前のことよね。
なんて与太話はとにかく。
「いやまぁ、実際暇なんだよここ最近。前だったらちぃちゃんと遊んでたりして、昼間は過ぎていったんだけれど、ここ最近なんもすることがなくって暇で暇で」
「仕事の勉強でもしろよ。お前、復職する時、腕が錆びてたらダメだろ。まぁ、違う仕事かもしれないけど。けどもういい歳なんだから、何の仕事するにしても、会社からは即戦力を求められるぞ」
「やだ廸ちゃんてば手厳しい。大丈夫、まだ陽介はピチピチの三十二歳だから」
「ピチピチとはいわねえ」
「十六進数的にはまだ0x20歳だから」
「そのねたがよのひとのなんわりにつたわるとおもっているのか」
そうよね。
実際問題として、仕事の勉強してりゃいいのよね。
廸子の言うとおりだわ。まったくもって、廸子が正しいわ。三十越えたおっさんに一から仕事を教える、そんな会社なんて世の中そうありませんわ。
ただまぁ、何の仕事をするのか不明瞭なので、勉強しようがないのよね。
そして、もう一つ言えることは。
俺はもう、自分の二十代を灰色に染め、すり潰したあの業界に、戻りたいとは思えないのよね。我慢するだけ我慢させて、無茶させるだけ無茶させて、金も知識も技術も与えず、俺を社会的不能者にしたあの業界に、不信感しかないのよね。
場所が変わればまた何か違うのかもしれない。
けれども、どこだって同じものだと、世間じゃ聞く。
そんな業界にまた戻ってどうなるというのだろう。
せっかく就労可能な状態まで回復したのに、また倒れては意味がない。
なまじ、もう俺には年齢的に後が無いのだ。
未来がない状況なのだ。
失敗は許されない。
どうしても就職について及び腰にはなる。
今度こそ、長く勤められる会社を、と、願ってしまうのは悪いことだろうか。
「なんだよ、アタシ、なんか変なこと言ったか?」
「……いいや全然?」
なにより、目の前にいる幼馴染みを、もうこれ以上待たせることはできない。
そんな負い目もあった。
今度の就職で、俺はきっちりと身を固めたい。
彼女を幸せにしてあげれる資格を得たい。
いい加減、廸子につらい思いをさせるのはやめたいんだ。
ゼクシイがどうとか、そういうふざけたやりとりもやめにしたいんだ。
だからこそ、考える。
自分がどうすればいいのか。
最も幸せになる方法はいったい何なのか。
嫌になるほど。
「まぁ、とりあえず図書館にでも行って、なんかいろいろ勉強してくるよ」
「図書館って。お前なぁ、もうちょっと危機感を持てよ」
「けど、こうしてコンビニで駄弁ってるよりは有益じゃねえ」
そうかもしれないけどと苦々しい顔をする廸子。
そんな彼女に、とりあえずコーヒーを一つと注文する。
アイスコーヒー。透明のカップを受け取ると、俺はそのままコーヒーサーバーの前に移動し、氷を入れて、コーヒーを注ぎ、そして蓋をしたのだった。
怪訝に廸子が眉根を寄せる。
「あれ、お前、今日はイートインで飲んでかないの?」
「いや、図書館行くって言ったばっかじゃん」
「……まじで行くの?」
「行くよ。なんだよ、信用されてねえなぁ」
苦笑いを返してそのまま去る。
実際、医者にも社会復帰の前に、図書館などで生活リズムを整えるようには指導されている。まずはそういう所からならしていかないとな。
なかなか、これからの道のりは大変そうだ――。
「という訳で、図書館行ってちょっと賢くなった俺に期待してくれよ」
「なんだそのぎゃぐ。すこしもきたいできねー」
保健体育ばっちり勉強するからと、普段なら言うところだがあえて言わない。
廸子には、まだ、就労許可が下りたことを話していない。
同じく、廸子の職場の上司であるババアにもそれはまだ話していない。
本当に、ちゃんと働けるようになってから。
俺が、社会復帰を果たしてから。
あるいは、それに準ずること――職業訓練校に入学したら伝える。
とにかく、もう、廸子にこれ以上の心労はかけられない。
「帰り、もし時間が前後するようなら、メールで呼んでくれよ」
「あ、うん」
「なんだよ、そんな顔してさ。俺が図書館に通い出したら不安か?」
「いや」
「寂しいのか?」
「ちがうよ」
じゃぁいいじゃん、と、廸子に背中を向けて、俺はマミミーマートを出た。
暑い日だった。
空には雲一つ無く、林には蝉が鳴いている。
朝の涼しさはすっかりと、アスファルトから登りたつ熱気に霧散していた。
「さて、頑張りますかね」
外に出ただけで額ににじんむ汗を拭う。
俺は駐車場に止めた車に乗り込んだ。
目指すは、市内にある図書館。
あそこの自習室で、とりあえず半日、勉強するところから始めよう。
これから一週間、毎日、毎日。
「やるぞ、豊田陽介。社会復帰のために、今日から、できることを」
キーを回して、ドライブにギアを入れる。
そのまま俺はマミミーマート玉椿店の駐車場を出発した。
◇ ◇ ◇ ◇
二時間後。
俺はマミミーマートに戻ってきていた。
「月の日じゃん!!」
「月曜日だよ!!」
「公共機関がお休みの月の日じゃん!!」
「月の日とは言わねえよ!! なんだよ入店してくるなりセクハラやめろ!!」
「お前もう、今週からちょっと頑張っていきましょうかねって思ったら、月の日で図書館普通にお休みじゃん!! なんで人のやる気をいきなりそぐの行政!!」
「昔からだよ!! そして、月の日じゃねえよ!!」
「じゃぁ、なんて言うんだよ!! 週の始まりを、どう表現するんだよ!!」
「月曜日だよ!!」
馬鹿野郎と、廸子に巴投げされる俺。
マミミーマートの投げられた床に沈みながら、俺は見慣れた天井を眺めて深い深いため息を吐き出した。
はぁー、もう。
「……あしたからがんばろう」
「これ絶対、明日以降も頑張らないパターンだな」
よく分かっておいでで。
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