第131話

「あっ!! 美香さんが居る!! ちぃちゃんも!!」


「本当だ!! けど誰だ隣にいる人!! あんな人、町に居たっけ!!」


「……よそ者は排除する!!」


 ゲェ、と、俺は頭を抑える。

 皆が見覚えがないその男に、一人だけ覚えがあったからだ。

 そして、このややっこしい事態をさらにややっこしくする男だったからだ。


 そう、彼こそは今回の件に先立って俺に連絡を寄越してきた人物。


 美香さんの手を握り、なにやら愛を誓いあっているようなポーズをとる彼。

 その顔を俺は知っている。

 俺だけが知っている。


「実嗣さん!? なんでアンタこんな所に!!」


「……陽介くん」


「……ちょっと大人しくしてもらおうか!!」


 そんな刹那の会話の間に、腰だめに猟銃を構えるあきらさん。

 待ってという俺の言葉は、彼女が引き金を引いた銃声でかき消された。


 そして――。


「ウガァアアアッ!!」


「……熊ァ!?」


「まだ生きてたの!! 道場秘奥――クマ殺しの型を完璧に決めたとのに!!」


「ちぃちゃん、それに、美香さん、後ろに隠れていてください」


 ここは僕に任せて。

 歯が浮きそうな言葉を発して彼女たちと熊の間に入ったのは実嗣さん。

 まだ、麻酔が体に回り切っていない熊に向かって、彼は拳を繰り出した。


 むき出しとなっている生身の部位。

 眼孔、鼻の孔、口、耳の穴。

 それぞれに精妙無比に指先を滑り込ませて肉を抉れば熊が悶絶する。


 血濡れたまま、腰を落とした実嗣さん。

 彼は、トドメとばかりにクマの眉間に、踵落としを見舞った。


 何かが砕ける音がする。

 それと同時に倒れたのは熊。


 頭蓋が割れたか。

 はたまた違う部位の骨が割れたか。

 もしくは実嗣さんの骨が割れたか。

 熊の専門家ではないので見当はつかない。


 ただ、ふらりふらりと千鳥足になり、熊が倒れた瞬間、この騒動がようやく終息したのは間違いなかった――。


「おぉ、おとーさん、つぉい」


「……すごい、熊を打撃で倒すなんて」


「麻酔が入っていたおかげというのもあります。けれど、そうですね。姪っ子の前くらい格好つけてもいいかもしれませんね」


 そう言って笑う実嗣さん。

 彼の笑顔を俺は初めて見た気がした。


◇ ◇ ◇ ◇


「会えないか、陽介くん。ちぃちゃんの甥として、一度話をしてみたい」


「……いや、俺は構いませんけれど、早川家絡みとなると姉貴が煩いので」


「大丈夫だ、千寿は早川絡みでなくても私のことを嫌っている。君が私と接触したと耳にすれば、血みどろの殴り合いになるだろう」


「尚のこと会いづらくなることよく言えますね?」


 とはいえ、背に腹は代えられない。

 今回の件、この人の力を借りれれば、それに越したことはないように思う。


 俺と同じ、ちぃちゃんの伯父。

 そして、かつて姉貴と血みどろの争いを繰り広げたストリートファイター。


 匡嗣さんの実の兄にして、早川家を放り出された狂犬。

 放浪の実践格闘家――早川実嗣。


 彼は、早川本家とは縁を切っているし、姉の千寿とも犬猿の仲だ。


 とはいえ、それは彼らの間でのこと。

 俺には関係のないことだった。


 匡嗣さんが入院した際のことだ。

 俺は病院に見舞いに来た彼と会っている。


 俺も別に好んで仲良くなる気はなかった。

 話が会う人ではなかったし、当時から明らかに堅気ではない人だった。

 けれど、病床の匡嗣さんがどうしてもというので、なぁなぁで話す仲にはなった。


 その際、何かあれば連絡が取れるように、実家の電話番号を教えていたのだ。


 何かあればというのは、匡嗣さんに何かあればではない。

 既にその頃、匡嗣さんの身体を蝕んでいる病巣は、回復不能の状態だと判明していた。なので、もう何も起こりようもなかった。


 どちらかといえば、匡嗣さんが実嗣さんに頼んだのだ。

 娘の身に何かあれば力を貸して欲しいと。


「あの時、まったく乗り気じゃなかった貴方がどうして」


「約束だからとしか答えようがない」


「……今だから言いますけど、俺、アンタのことあんまり好きじゃないです。匡嗣さんは、姉貴に勿体ないくらいのいい人だったけど、アンタは双子でも何か違う」


「そう言われるのも仕方ないとも思っている」


「けど、アンタが荒事で頼りになるのは知っているし、匡嗣さんが頼った気持ちもわかる。なにより、ちぃちゃんのために力を貸してくれるなら、断る理由はない」


 会いましょう。

 そう約束して、俺と彼は携帯電話の番号を交換した。


 そして、後日、姉の目を盗んで――こっそりと町を抜け出し、かつて美乃利さんと密会した、駅前にある喫茶店で顔を合わせたのだ。


「……ご無沙汰してます」


「……あぁ。早速だが、プランを練ろう。早川家からちぃちゃんを守る対策を」


 相変わらず、髪の色以外は匡嗣さんとそっくりな彼との再会は、なんとも味気なく、そして冷ややかなものだった。

 ちぃちゃんと、彼が姪を呼ぶ声にも、どこか熱が籠っていない。

 機械的で実務的な言い方に反発を覚えなかったと言えば嘘になる。


 けれども、背に腹は代えられない。


 ちぃちゃんを守るために、俺ができること、彼ができること。


 それはそれぞれ異なる。

 二人で力を合わせれば、彼女を危険な早川家の魔の手から守れる。


 そう確かに俺は感じた。


「早川家の後継ぎ問題が解決するまで、私は玉椿町に潜伏しよう」


「潜伏って。狭い町ですから、よそ者が来たらすぐにわかりますよ」


「こう見えてサバイバルは得意だ」


 冗談なのか、本気なのか。

 なんにしても笑えないセリフだ。


 ババアに聞いた話では、各国の外国人傭兵部隊に志願して、紛争地域に介入するようなことをしているらしい。顔に傷一つない、誰がどう見ても美青年のとしか言いようがない彼は、危険な牙を持った男に間違いなかった。


 こんな男に、ちぃちゃんを任せていいのか。

 実は例のハングレとつながっている後継者と彼もまた通じており、今回のお家騒動を通じて、自分を追放した早川家に復讐を目論んでいるのではないのか。

 そんなことが頭を過らなかったと言えばうそになる。


 けれども。


「匡嗣に頼まれた。ちぃちゃんに何かあれば必ず力を貸すと。何もしてやれなかった兄として、この約束だけは守りたい」


「……実嗣さん」


 彼が俺に向けた瞳は弟への誠実さに溢れていた。

 だから俺は、彼にここ暫くのちぃちゃんの行動スケジュールについて説明した。


 そして――。


「近々、川遊びに行こうかという話が出ているんです」


「川遊び」


 今日、俺たちが川辺で遊ぶという情報も、当然のように彼に教えたのだ。


「正直、何があるか分かりません。僕たちも十分ちぃちゃんのことについて気を付けますが、できればその日は、近くで見守っていてくれると助かります」


 そして、彼に、当然のように助力を請うた。

 同じちぃちゃんのおじさんとして。


◇ ◇ ◇ ◇


「……けど、この状況はいったいどうなってるの!?」


「……陽介くん。すまない、説明するのはちょっと難しい」


「おとーさん!! つぉーい!! おかぁーさんみたい!!」


「大丈夫ですか実嗣さん!! 熊は病原菌を持っていることもあります!! 可及的速やかに消毒を!!」


 なんでちぃちゃんも美香ちゃんも懐いてんの。

 イケメンはすぐに女の子にモテるっていうことなの。

 いやいや、それを抜きにして、俺たちがいない間に何があったの。


 妙に親密そうなんだけれど。

 ちぃちゃんとも美香さんとも。


 あと、さんざん気をもんだのに全部解決された感が半端ないんですけれど。


 どういうことだよと、俺の背中に廸子たちの視線が問いかける。

 そりゃこっちが聞きたいっていうの。


 そんな混乱のるつぼの中で。


「なんというか、ようやく実感できたよ。愛が人を救うという、言葉の意味が」


「……俺、貴方の今の状況を見て、それはちょと理解できそうにないっす」


 実嗣さんはまたわけわかんないことを言うのだった。


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