第74話

 なぜ女将がこんな所に?

 というか、どうしてお客様が入っている浴室に?

 そういうサービス? えっ、セクシー温泉?

 けどけど、目の前の女将は若い感じで――。


 とりあえず。


「いっ、いやぁああん!! 女将さんのエッチィイイイ!!」


 これだけは言っておかないとダメな気がする。


 俺は鉄板の、風呂覗かれた時に叫ぶ台詞、しずかメソッドを声高らかに叫んだ。

 叫んだけれど、別にどうということはなかった。


 この小さい――本当に小学生にしか見えない――女将は、俺の言葉を受け流すと、淡々と着物を垂れないようにめくって俺に近づいてきた。

 ずいとその小さな顔が近づく。


「随分ふざけた男ですね。本当に、男で成人しているということにしか価値のないような男です。まったく、こんな男に私たちの命運を託さなくてはいけないと思うと、頭が痛くなりますよ」


「……はい?」


 なんだろう。

 本当に何を言っているんだ。


 今ここに至るまでのやり取りも不明だし、そも、彼女がなぜここに入って来たのも分からないし、その台詞の意味も測りかねる。

 いったいぜんたい何が起こっているのか。

 ただ、その渦中に自分がいるということしか分からない。


 俺、何か、悪いことでもした。

 というか、命運を託すってどうして。


「……えっと、三津谷九十九ちゃんだっけ?」


「そうです。それと、ちゃんはやめてください。これでもこのホテルの顔ですから」


「いやけどどう見ても小学生」


 どんと九十九ちゃんが湯船の縁を踏み鳴らす。

 彼女の小さな足に蹴られて、酒升のようなそこから、たぷりたぷりと湯が零れれば、しんと家族風呂に静寂が訪れる。


 流石の女将の貫禄という奴だった。


 今更、思い知る。


 あの見るからに埒外の客。

 彼らを相手に、彼女はこのホテルに泊めさせているのだ。

 そんなこと、彼女に相応の胆力がなければできることではない。


 この若女将、ただの小学生ではない。


 鋭い目つきでこちらを睨みつけて九十九ちゃん、彼女は俺のおでこにため息を吐きかけると、少しばかり後ろに下がった。

 また、風呂の水面が激しく揺れる。


「さて、陽介さま。こうして二人きりの席を設けた理由くらい、いい大人なのですから貴方も察してくださっていることでしょう」


「……いや、ごめん、全然分かんない。どういう意図? というか、君と僕って面識ないよね?」


「ないですね」


「だよね。そんな状況で、命運を託すだとか、風呂覗かれるだとか、あと、罵倒されるだとか――どういうプレイってもんなんですけど?」


 べちり、と、俺の頬を何かが打つ。

 鋭い痛みではない、かといって優しいものでもない。

 なんていうか、子供がじゃれ合ってたたき合う感じのそれ。


 何をされたとみてみると、女将の手には濡れた手ぬぐいが握られていた。


 あ、なるほど。

 それでぶたれたって訳ね。


 それはそれとして、なんでぶたれた。


「セクハラはどんな業界でも御法度です。陽介さま。もう少し、社会人としての自覚を持たれては。そのような口の悪さでは、どのような仕事にも就けませんよ」


「はっはっは、何をおっしゃる兎さん。まだ俺、就労許可下りてないから、普通に仕事できないっちゅーねん。わろかしてくれるでしかし」


「さてしかし、名ばかり社長ということであればどうでしょう」


「は?」


 なになに、どういうことどういうこと、どういうことなの。

 名ばかり社長って。


 え、俺に仕事を紹介してくれるの。

 それだけじゃなく、それもしかして社長職なの。


 だったらあれじゃん、ウハウハじゃん。

 社長なんてあれでしょ、椅子に座ってふんぞり返って、書類に判を押していればできる仕事でしょう。それで、いざなんかあったら、責任とって辞めるだけ。


 超簡単なお仕事――。


 って、馬鹿ァ!!


 普通にストレスで胃に穴が開く仕事だよ!!

 社長業なんて無理無理!! 俺みたいな社交性も向上心も、コミュ力もない奴に務まる訳がないでしょう!! なに言ってんの!!


 ほんと、なに言ってんの。


「いきなり話が飛躍し過ぎだよ。ちょっと待って、君が僕に話があるのは分かったけれども、もうちょっと順序だって話してくれる? 君はいったい何を望んでいて、僕はそれにどう応えればいいのさ?」


「私は、貴方にこのホテルの社長になってもらいたい。そして、できることなら穏便に、貴方にそれを承諾していただきたいのです」


「なんで僕なの? 他にも社長に相応しい人がいるんじゃないの?」


「それは――」


「おっと、そいつを理解するのは、ちょっと陽介の足りてない頭じゃ難しいんじゃないかねえ」


 また、家族風呂に家族じゃない奴の声がする。


 今度は誰なの。

 もう、なんでこんな次々と、アタイの裸を見に来るの。

 エッチって叫ぶの、結構声量いるんだからね。


 毎度毎度、こんなんやっているとは、しずかの御前も大変よね。


「……お前さまは!!」


「やれやれまったく、こんなことになるとはねぇ。どうしようもないクソニートだって報告入れていたけれど、それでも会いたいと言い出すものだから、どんな目的があるかと思えばこうなるか。なるほど、代表取締役を任せたい。そうだわな、女がやっているよりも、男の方がそういうのは箔が付く。何かと煩いご時世なのによぉ」


「……えっ? ちょっと待って? 嘘だろ、どうしてここに?」


 湯煙の向こうから姿を現したのは、白いスーツに白いジャケット。

 全身をばっちりと白衣装で決めた男前。


 そう、彼こそは、ここ数か月前から玉椿町に現れた――俺より怪しい住所不定無職の不審人物。ただ、話せばなかなか分かる人だし、なんか仕事は一応してるっぽいから、おとがめは受けていないよそ者。


 工藤良作ちゃん――。


 どうして工藤ちゃんがこんなところに。

 そう、思ったが早いか、彼はいきなりジャケットの裏に手を突っ込むと、中から何かを取り出した。


 まさか銃、いや、そんなと思った刹那。

 床に転がったのは――。


 駄菓子屋とかで売っていそうな煙玉。


 咥えていた煙草の火を導火線に移し、彼はそれを床に落とした。

 ニヒルな笑顔と共に。


「裏切るのですか!! 松田良作!!」


「仕事は完遂しただろう。こうして陽介はこのホテルに来たんだから、そこで俺たちの関係性ははいおしまいよ。それ以降については、口出し無用ってもんさ」


「それでもどうして!!」


「……悪いねぇ。これが探偵稼業の因果な所ってもんでね。次の雇われ主に強く出られちゃったらもう仕方ないのよ。という訳で」


 逃げるぞ陽介。


 そう言って、工藤ちゃんは俺に手を伸ばす。

 その手を取っていいのか少しばかり逡巡したけれど、俺は結局、あの町に戻ってから――いや、成人してから初めてできた同年代の男友達の手を取っていた。


 今、この場所で、信じられるのは、こいつだけだ。


 煙玉が巻き上げる煙。

 それに驚き、せきこむ女将。

 その横をすり抜けて、俺と工藤ちゃんは更衣室へと移動する。


「待ちなさい!!」


「待たないよ!! ほれ、急ぐぞ陽介!! 捕まったら終わりだぜ!!」


「いや、けど、パンツくらい穿かせてよ!!」


「手ぬぐい巻いてりゃ大丈夫だ。それに、心配しなくても、このホテルに居る奴は、幼馴染ちゃんを除いて全員敵だからよ」


 なに言ってるんだよ、そんな馬鹿なこと。

 なんていった矢先に、家族風呂の更衣室に、巨漢が現れる。


 スキンヘッド。

 あきらかにあの埒外漢たちの仲間。


 無言でこちらに向かって手を伸ばしてくるそいつに。


「おっと、させねえよ。今はこいつは、俺の大切な護衛対象だ」


 工藤ちゃんは大きく足を振り上げると、その踵を寸分たがわず、男の顎先にクリーンヒットさせるのだった。


 すげぇ。

 格闘漫画とかで見る奴だこれ。


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