第23話
おらが町には飲み屋がねぇ。
ってこたぁない。
一応、小さな居酒屋と、さびれたスナックがある。
だいたいこのどちらかで玉椿町の住人は酒を飲んでいる。
あるいは宅飲み。(圧倒的多数)
まぁけど、ためには店で飲むのもいいよね。
ということになり、俺と廸子はババアに送って貰って、居酒屋にやって来ていたのだった。
「かんぱーい!!」
「って、俺はウーロン茶だけどね」
「細かいことはいいじゃんいいじゃん。だっはー、ビールが染みるぅ」
今日はなんの記念日?
俺たちが付き合いだして半年記念日?
それとも、結婚して一年記念日?
はたまた、いろいろあって別れたけれど、これからも頑張ろう記念日?
どれも違ってどれでもある。
今日、二人で居酒屋に来たから、居酒屋記念日。
中学校の国語かよ!!
誰にだって飲みたい夜はやってくる。
とどのつまり、廸子の奴がお酒飲みたいって言うので、じゃぁ付き合ってやるかということで居酒屋に来ただけだった。
宅飲みは、ほら。
どっちの家も、いろいろと悪影響だからね。
やっぱり遠慮しないとね。
世知辛いよなぁ、こればっかりは。
「爺ちゃんがさ、ビール禁止されてるのにさ、家で飲むわけにはいかないじゃん。もうほんと、すっごい気を使う訳よ」
「誠一郎さん、入院前はすげー酒豪だったもんな」
「そう、それなのよ!! 体壊すぞって言ってたら、案の定壊してさ!! もう本当に、爺ちゃんってば人の言うこと聞かねえんだから!!」
「仕方ねえよ、飲む人は飲むんだから。いいじゃん、早く処置できたんだし。今の所、傍から見てる感じじゃ元気そうじゃん」
「そうだけどさ、そうなんだけどさ。やっぱ、心配じゃん。そんで、そんな爺ちゃんの前で、私だけお酒飲むとかできないじゃん。こうやって、居酒屋来ないと、ビールも飲めないじゃん」
まぁ、言うて、お前は酒飲んじゃいけない(治療中)幼馴染を、無理やり連れだして酒飲んでるんですがね。
度し難き、まっこと度し難き悪魔の所業。
これが人のやることか!!
おのれ、廸子!!
俺の幼馴染!!
ええねんけどさ。
廸子と飲むのは楽しいし。
飲みという理由なら、別にセクハラする必要もないし。
いや、別にそうでなくても、セクハラする必要はないんだけれども。
複雑なオトコゴコロ。
分かって。
酒豪の爺さんと違って、廸子の奴は酒はそこそこ。
飲めば飲むほど酔うし、酔えば酔うほど喋りまくる。
いわゆる、喋り上戸って奴である。
普段はちょっとつっけんどん。
俺のフレンドリーなセクハラトークにも、あっそと返してくる廸子。
そんな彼女が、自分から話してくれるのは結構嬉しかったりする。
「まーさー、陽介がさ、町から出て行った時はさ、アタシも寂しかったよ。なんだかんだ言ってさ、ずっと一緒だったじゃん。いつもアタシの隣には、陽介が居てくれたじゃん。なのにさ、出てくって言うんだもの」
「……まぁ、それはそのね」
「絶対向こうで成功して、お前を迎えに来てやるからな――って。あたしその時、人生で初めてときめいたのにさ。今はさ、これだろう」
「悪かったって」
「なんも悪くねえよ!! 別に置いてかれるの悲しかったとか、離れるの寂しかったとか、そういうのないから!! そもそも、人生はその人のものだから!!」
悲しくも寂しくもなければ言わんだろそんなこと。
酔ってんのかしっかりしてんのかどっちなんだよ。
まぁけど、なんかお前もあの時いろいろ言いたいことがあったのは分かった。
同級生の中で、町を出ていくのが一番遅くなったのは俺だ。
他の連中は、とっくの昔に市の方に降りた。
そっちでアパート借りたり。
早い奴だと俺と同じ歳で家を建ててた。
親も一緒に連れて行ってって奴もいた。
俺みたいに県外に出て行った奴もいる。
とにかく、その頃、この山奥の町に残っていたのは、俺と廸子だけだった。
いや、廸子もそれからしばらくして、仕事の都合で町を出た。
みんな、一度は、自分の人生のために町を捨てている。
だからなにも言えない。
言う権利なんてない。
廸子の言う通り、人生はその人のものだから。
さて。
どうして俺が出ていくのが遅くなったかと言えば、最後の最後まで仕事に悩んだからだ。
情報系の勉強をしていた俺は、二十ちょっとすぎまで、リモートワークやらフリーランスになって、この町に残って、なんとか食っていけないか考えていたのだ。
大学院にこそ行かなかったが、専攻科などに進んで、順調に留年して、二十四歳くらいまで、うじうじとやっていたのだ。
そんな感じで。
廸子たちが働き出してもまだ、モラトリアムを続行し続けた俺。
子供のように夢を追い続けた俺。
そんな俺は、ようやく二十四歳にして現実と折り合いをつけた。
廸子はとっくの昔に専門学校を卒業して看護婦になり市内の病院に勤めていた。
友達の多くは、もう町には居なかった。
「非番の夜にさ、お前の家に行って。それで、俺、関西の方に行くって、そう言ったよな」
「そ。あの日、アタシ、夜勤明けでくっそしんどかったのに、お前のためにわざわざ起きてたんだぞ。そんで、それからずっと泣いてたんだぞ」
「……すまん」
「謝ってもあの時の涙は戻ってこないんだよ!! 幼馴染泣かせんじゃねー、バーカ!! バーカー!! あと、エーロ!! 陽介のスケベ!! 変態!!」
「大声で言う事じゃねえ!!」
あ、だいぶこれ回って来てる奴だわ。
廸子は酔いが回ると、こういうちょっと情緒が駄々もれなかわいい感じになるんだけど、その兆候がでてきているわ。
申し訳ないよなぁ。
もしその宣言通りにできていたら、今頃笑い話にできていただろう。
酒場で笑って語ることができるだろう。
それは、間違いなく当人の努力と、想いと、熱意が、実を結んだ証拠。
そして、讃えられるべき功績である。
けれども、果たせなかった約束は、どうなる。
それは一生、自分の中に澱としてたまっていき、やがてすべてを諦めさせようとする、心にこびり付いた汚点になる。
恥ずかしくて、恥ずかしくて。
生きているのもしんどい。
そんなものになる。
何度思い返しても、その失敗に、当人は一生苛まれる。
そして、それを語ることができなくなるほどに、心を蝕まれる。
と言ってみたが。
そこまで思う奴なんて、そうそういないだろう。
自分が考え過ぎだってことは、医者からも言われて思っている。
けれども、躓き続けた人生が、俺を、もうこれ以上歩かせたくないと、そう思わせているのも事実だった。
夢を語れば恥をかくだけ。
誰も助けてはくれない。
全てを薙ぎ払って進めるほど強くもない。
俺はやっぱり、ただの人間なのだ。
いや、ただの人間にも劣る。
中途半端な、人間の出来損ないなのだと、そんなことを思ってしまう。
きっと、それは思い込みなんだけれど。
そう確信するまでの時間を、無為に浪費してしまったの大きい。
気付いてしまった時には、時間を失い、金を失い、健康さえも失っていた。
残ったものは、いったいなんだったのだろうか――。
「……けどな。爺ちゃんが、入院した時よりもさ。お前が返ってきた時の方が、アタシ、よっぽど心配だったぜ」
「なんだよそれ、初耳だぞ?」
「がりがりに痩せててさ。いや、太りすぎだったから、それくらいでちょうどいいんだけれど、とにかく目に生気がなくってさ。アタシの幼馴染、こんな奴だったっけって思っちゃったよ。陽介には悪いけどさ」
「……病み上がりだったから」
「治療の仕方が悪かった。アタシならもっと上手くやってたよ。ほんと、なんで見舞いの一つにもいかなかったのか、昔の自分を殴ってやりたい」
やめろよ。
それはそれで、俺はお前にあの頃の自分を見て欲しくないから。
あの、荒みに荒んで、何もする気になれず、日々布団にくるまって、時間が過ぎるのを待っていた頃の自分なんて、お前に見せたくないよ。
廸子にだけは見られたくない。
そんなできそこないの人間の自分なんかを。
だから――。
「けど、アンタは私を呼ばなかった。だから、アタシも陽介を信じた」
「……廸子」
「それが幼馴染ってもんでしょ。分かってたもん、きっと、陽介は戦ってるんだなって、私、分かってたもん。だから、黙って応援した。いつか、それが終わったら、きっとまた会えるって信じてた」
約束したからねと廸子。
子供のような無垢な笑顔で笑う。
その表情の裏に、何かを求めるような意図は垣間見えない。
純粋に、彼女は俺を信じてくれていた。
豊田陽介の復活を、信じて疑わない目を俺に向けてくれていた。
その目に、応えられるほどに、俺は成長できただろうか。
回復することができただろうか。
疑問を抱くからこそ、返事をすることはできない。
目の前のウーロン茶を飲み干す。もう一つと店員さんに頼むと、俺は、飲み過ぎだぞと廸子を注意した。
残ったものがひとつだけあった。
「けどさ、もうそそろ、いいんじゃない」
「うぇっ!?」
「私もさ、そこそこ蓄えはできたしさ。なんだったらしばらく養ってあげてもいいかなって。いつもは冗談でお前が言ってくるけど、ちょっとくらいなら」
「うーん、まだ、もうちょっとだけ、待ってくれよ。やっぱな、お前を安心して嫁に迎えたいわ。俺」
「……ふぅん」
彼女は俺に向かって顔と腕にビールを持って迫る。
アルコール臭い鼻息が抜けて、こちらを胡乱な目が見ている。
ただし、頬は上気していた。
こんなにも酔っているのに、この幼馴染恥ずかしいのだ。
ほんと。
俺の幼馴染は、幾つになってもかわいい。
思わず、噴き出す。
「おい!! 笑うとこじゃないぞ!! 陽介!!」
「……悪い悪い。いや、ほんと」
「もう十分な時間が過ぎたじゃんよ。こっち戻って来て、今日で二年目でしょう。町にもなじみなおしたところだし、ここらでひとつバーンといこうぜ」
「いや、バーンとって意味が分からない」
けど、そうだな。
いつまでも逃げる訳にはいかない。
いつまでも誤魔化し続ける訳にはいかない。
きっとどこかで、彼女とも折り合いはつけなくちゃいけない。
この、大切な、幼馴染と。
ただ一つ残った、俺の大切な人と。
死のうと思った時。廸子の顔が浮かんだ。
どこまでも不器用で、優しい、そして、可愛い俺の幼馴染を、残して死ぬことなんてできない。
俺は、ホームの向こう側に待ち構えている、死という世界に脚を突っ込む寸前で、それを思い出してこの町に帰って来た。
廸子の待っている町に。
彼女が、いる、この、玉椿町に。
俺は、人生に失敗したが、迎えに行く資格を失ったが、それでも廸子のことをずっと求めていた。
そして、廸子と一緒に生きたいと願っていた。
いまさらだな。
いまさらなんだけれどな。
「……おい、なんだよぉ。今度はいきなり泣き出したりして」
「いや、ちょっとな」
目から、涙が止まらねえや。
もうとため息をつきながら、ビールを注文する廸子。
そんな彼女の前で、俺は涙でたっぷり濡れた眼鏡を、服の袖で拭いた。
「……廸子、絶対に結婚しような」
「ダーメ。いつもセクハラするから、信じられない」
「話の流れってのがあるでしょうよ」
「冗談。いつもの仕返し」
「絶対、お前のこと幸せにしてみせる。本気なんだ」
「もう幸せだから、これ以上は大丈夫だよ」
「俺、頑張って働くから。お前に苦労は絶対させないから」
「苦労なんてべつにいいよ。陽介と一緒なら楽しいからさ」
にっと笑う廸子。
また、目の端から熱い滾りが流れ落ちる。
顎先まで、まるで滝のように流れたそれを、隠そうとして、隠せなくて、俺は下を向いて泣いた。
幼馴染の前で泣いた。
「……だから嫌なんだよ、セクハラ以外でお前と会うの」
「いつもセクハラされてるから、たまにはいいじゃない」
いいのかね。
いいんだろうかね。
俺、こいつにこんなに想ってもらって。
けど。
ありがとう廸子。
まだまだ寛解には遠い。
幸せにすると胸を張って言えない。
けど、いつか絶対に結婚しよう。
それで、親父やお袋、廸子の爺さんにに頼ってでも、二人で家庭を持とう。
今度持った夢は絶対に叶える。
だから、今日だけは、ちょっとダメな自分を許してやりたい。
大丈夫、人生は、まだまだ長い。
ダメな日なんてそんなのは、結局、誤差でしかない。
そう思いたい。
大事なことさえ、忘れないで生きていれば、大丈夫なんだ。
目の前の幼馴染の笑顔を見て、俺はそう思った。
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