ドーンヴィル、それぞれの初冬6

 マグアレア通りをひとすじの風が吹き、ヴァレルの頬を撫でていく。ああもうこんな季節なのか、とヴァレルは風の中に冬の気配が孕んでいるのを感じた。となりを歩く妻に目を向けると彼女は久しぶりの賑やかさに視線をせわしなく動かしている。


 ダガスランドに戻ってきて四日目の今日、ようやく一日時間を空けることができたヴァレルはアレットを伴い市内散策を楽しんでいる。彼女と結婚をして初めての屋外散策でもある。結婚したての頃は、あくまでもお飾りの妻として娶ったのだという格好をつけるためヴァレルはアレットと積極的に出かけることはなかった。社交の一環として出かけることはあったが、今のように夫婦水入らずのんびりと、という状況ではなかったからだ。というかヴァレルがアレットのことを誤解していて嫌味ばかり言っていたからなのであるが。


 一日空けたから一緒に出掛けようと誘うとアレットは、ぱあぁっと目を輝かせた。どこでも付き合うよ、と言うと行きたいところを指折りで数え始め夜遅くまでうんうんと悩んでいたのが可愛かった。海の見えるレストランで食事、海鮮市場でサメ見学、マグアレア通りのカフェでケーキを食べる、弟たちへの贈り物選びにウィンドウショッピングなどなど。アレットはヴァレルと行きたいところややりたいことがたくさんあるらしい。


「ケーキ、美味しかったわね」


 アレットはホテルラ・メラートのカフェでフラデニア風のケーキを食べてご満悦だ。彼のホテルはアレットの故郷でもあるフラデニア王国から多くの人材を招聘していることでも有名なのである。故郷の味を楽しんだアレットが何度もケーキの味を褒めるものだから少し面白くない。こういう考え方をしてしまうのはヴァレルの悪い癖だ。ついアルメートを軽んじられているのでは、と考えてしまうのとアレットが故郷を懐かしがっているのではないか、と邪推をしてしまう。


(俺もまだまだだな。アレットが故郷を懐かしがるのは当たり前じゃないか。俺だってちょっとアルメートを離れただけでこっちの味を懐かしがっていただろ)


 二年と少し前に西大陸を旅行した時、自分の方が異邦人で故郷の味や風景に思いを馳せていたことを思い出し嘆息した。


「ヴァレル、あんまり甘いものは好きじゃなかった?」


 ヴァレルの吐いた息の長さから何かを感じ取ったのかアレットが気づかわし気な声を出して、ヴァレルは慌てて笑顔をつくった。


「いや。そういうため息じゃないよ。ちょっと、俺の中で反省することが」

「心配事?」

「いいや。大丈夫」

「本当?」

「ああ。それよりも次はどうする?」


 ヴァレルは思考を切り替える。せっかくアレットが隣にいるのだ。一日中彼女を独り占めできる幸福のほうが大事である。彼女の居場所はここなのだ。ヴァレルの隣が彼女の心休まる止まり木のようになってほしい、ではなくそうならなければならないのだ。


「フィリップへの贈り物はサメ関係にしようと思うの。あとアナベルはどうしようかなぁ」


 現在アレットを悩ませているのは弟妹への手紙に同封する贈り物だ。せっかくだからアルメートのものを一緒に送ろうということらしい。アレットの一番下の弟であるフィリップのことを彼女はことさら可愛がっているらしい。年が離れているということもあるのだが、彼女に言わせるとすぐ下の弟が最近反抗期らしく余計に末っ子のフィリップの無邪気さが可愛いらしいとのこと。ヴァレルにしてみれば思春期に姉に素っ気なく当たるのは至極当然の成長過程なのだが、姉としてはじゃっかん面白くないらしい。とはいえアレットはきちんと弟妹全員分の贈り物を用意する段取りなのだが。


「サメにするんだ」

「ええ。大きな牙が見つかってよかったわ。本当は本物を贈り物にできればよかったのだけれど、さすがに難しいものね」

「難しいね」


 なぜだかアレットはサメがお気に入りだ。どうしてだろう、とヴァレルは謎に思う。牙だけじゃ想像力が働かない恐れがあるからと木でできたサメのおもちゃも買ったアレットである。


「アナベルには……うーん、何がいいかしら」


 アレットは通りを歩きながら頭をひねらせている。ヴァレルはアレットの実家であるフェザンティーエ公爵家の面々の大まかなプロフィールを頭に入れてある。アナベルは今年十二歳になるはずである。さすがにサメ関連は無しらしい。


「あの年頃って難しいわよね。サメのぬいぐるみがあればよかったのに」

「……」

 やはりサメ推しなのか。


「そうだ。七蝶貝ななちょうがいの加工品はどうかな」

 ヴァレルは張りのある声を出した。アレットが「七蝶貝?」とヴァレルの言葉を繰り返す。

「アルメートで採れる貝だよ。貝の内側が光の加減で七色に光ってみえて、ご婦人たちに加工品が人気なんだ。飾りボタンとかブローチとか」

「素敵ね。わたしも見てみたいわ」


「じゃあ次に行く店が決まったね。きみも気に入ったのがあれば買ってあげるよ」

「いいの? この間のお誕生日の時にわたし、大きな薔薇の花束を貰ったばかりなのに」

「構わないよ。レティは俺の可愛い妻なんだから」


 アレットの頬がふわりと赤く染まった。

 なんだか恥ずかしくなってヴァレルの方までむず痒くなる。ああ可愛い。妻が可愛すぎて辛い、と誰彼構わずに叫びたくなる。


 顔を赤くしたまま固まっていたアレットが現実に戻ってきて話題を変える。


「あ。そうだわ。あとね、画材を扱うお店はないかしら」

「画材?」

 また変化球である。

「ええ。この間話したでしょう。クローディという絵の上手な子と知り合ったの。平角赤毛シカの絵を描くときに彼女に習ったのよ」


 そういえばドーンヴィルで彼女は個人的に親しくなった少女を屋敷に招いたのだった。なんでも絵を描くことがとても上手ということで、彼女の描いた薔薇や動物の絵は確かに現実に飛び出してきそうなくらい写実的でヴァレルも目を見張った。アレットは彼女からもらった絵を大事に取ってある。アレットの部屋で一緒に絵を描いたときのもので、クローディ曰くアレットの用意した紙だから置いて帰るとのこと。アレットはヴァレルにその日あったことを話してくれる。あの日もクローディの描いた絵がどれだけ素晴らしいかを、そして一緒に絵を描いたことが楽しかったことを鈴の音のような声で話してくれた。


「あなたから貰った薔薇を描いてくれたのよ。わたし嬉しくって。だって、薔薇はいつかは枯れてしまうけれど、あの絵を眺めればあなたから貰った薔薇を思い出すことができるもの」


 可愛いことを言うアレットにヴァレルの方こそ頬が緩みっぱなしになってしまう。無邪気に自分のことを慕ってくれる妻が愛おしくて胸のあたりが苦しくなる。どうして自分は彼女に対してひねくれた態度ばかり取っていたのだろう。こんなにも無条件な愛を自分に注いでくれるというのに。


「それでね。お礼をしたいなって」


 駄目かしら、と続けられればもちろん「駄目じゃないさ」と言うしかない。そういうわけで目的の店がもう一つ増えた。

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