エピローグ

 寝支度を整えたアレットは肩掛けを羽織って夫の書斎へと向かった。とんとん、と何度か扉を叩くと中から「入っておいで」と声が聞こえた。

 アレットが扉を開くと、夫はまだ書類仕事に勤しんでいた。

 ヴァレルはとにかく勤勉なのだ。


「夜は冷えるよ。部屋で待っておいで」


 ヴァレルが書類から顔をあげてアレットの方を見つめる。視線を受けたアレットは胸の奥がきゅんと音を立てた。優しい眼差しがまっすぐに自分に注がれていることが嬉しい。


「あなたも、あまり根を詰めては駄目よ」

「もうすぐ終わるよ」

「じゃあここで待っていてもいい?」

「仕方がないな」


 ヴァレルのお許しを貰ったアレットははにかんだ。

 最近油断をすると頬が緩みっぱなしになる。慌てて真面目な顔を取り繕って、アレットはペンを走らせるヴァレルを見つめて、ほうっと見惚れた。

 分かっていることだけれどヴァレルは素敵だ。真面目な顔をして仕事をしている彼を見つめるのも大好きで、最近見惚れる回数が増えたと思う。毎日毎日飽きずに夫を見つめては新しくシャボン玉が弾けるように恋をする。


 やがてヴァレルが仕事を終わらせ、着替えをしに行ってしまったのでアレットは先に寝室で夫を待つことにした。

 すこし待っていると寝間着姿のヴァレルがアレットの傍らにやってきた。


「アレット、毎日退屈だろう? ドーンヴィルの町は小さいからね。なんなら先にダガスランドへ帰ってもいいんだよ」

「でも、この町にはあなたがいるわ」


 二人きりの寝室で、二人は一緒に寝台に入ってからもおしゃべりに興じる。

 ヴァレルとアレットを隔てていた誤解が解けてから、ヴァレルはアレットに対して十六の出会った頃のように朗らかに接するようになっていた。

 さらさらな梳かしたばかりの金色の髪の毛をヴァレルが撫でてくれている。


「俺も、きみが側にいてくれるのは嬉しんだけどね」

「じゃあ、どうして?」


 アレットは小さく首をかしげる。

 確かにドーンヴィルの町はダガスランドに比べると規模は小さい。列車も通っていない田舎町なのだ。それが鉄鉱石が産出するようになって、小さな田舎町に多くの人が集まるようになった。現在進行形で家や道路が拡張されている。

 けれども一歩町の外を出るとのんびりとした農園風景が広がっており、草原や森には野生動物も多く生息している。


「ここには男も多いから。俺の可愛いアレットに懸想する輩が現れるかもしれない」

 ヴァレルが面白くなさそうに眉根を寄せる。

「だからわたしに鉱山には来ては駄目って」

「当たり前だろう」


 思いのほか真剣な声を出すからアレットは嬉しくなってくすくすと笑みを漏らした。鉱山に行きたいと言ったのは一度くらいは夫の所有する鉄鉱山を見ておきたいと思ったからなのだが。しかもエルヴィレアもベンジャミンも同行予定ではあったのだが。


「せっかくあなたと仲直り出来たんだもの。あなたの側にいたい。それに、ベンジャミンもお義母様もしばらく一緒にいてくださるという話よ」

 落石事故があったためヴァレルはしばらく鉱山の様子を視るという。

「そうだわ。冬になるとね、池の水が氷るのですって。スケートができるそうなのよ。とても楽しみだわ」

 アレットはこの間仕入れた冬の遊びをヴァレルに伝えた。

「わたし、あなたと一緒にスケートがしたいわ」


 期待を込めてヴァレルを見上げると彼は虚を突かれた様に少しだけ目を丸くして、それから相好を崩した。


「いいよ」

「絶対ね」


 そのあともアレットはこれがしたい、どこへ行きたいとヴァレルと一緒にやりたいことを並べていく。ヴァレルは優しい瞳でアレットの声を聞いてくれている。寝台の中で日常のささやかな話題を口にするのがとても楽しくてつい話し込んでいるとヴァレルがアレットの唇に指を添えた。


「可愛いレティ」

「ん……」


 ヴァレルが体を起こしアレットの肩の横に両手を置いた。

 アレットは期待を込めて夫を見つめる。彼の手の平がアレットの頬の上をすべる。言葉を交わさなくても二人の気持ちが同じところにあるのが分かってアレットは嬉しくて仕方がない。

 ヴァレルの顔が近づいてきてアレットは口づけを受け、それから彼の背中に両腕を回した。


「ヴァレル、好き」

「俺もだよ。可愛いレティ」


 口付けだけで力が抜けて身体が熱くなる。夫からの愛撫を受け、自分の身体がどんどん熱を持つのが分かる。すでに何度も溶かされているのに、今日初めて彼に愛さるような錯覚を覚えてアレットは彼の背中に回した腕に力を込めた。


「たくさん、たくさん愛してね。ヴァレル」


 アレットが潤んだ瞳でささやかな願いを告げるとヴァレルはアレットの目じりにふわりと口付けを落とした。まるで心の内側にされたみたいにふわふわして心地よい。指と指を絡ませて、何度も身体にヴァレルのものだという印を施されて、アレットの気持ちが高ぶっていく。


 彼からもたらされる刺激に体が熱くなっていって、嬌声の狭間に「好き」の言葉を繰り返す。

 もっともっとあなたに愛されたい。わたしだけを愛して。この想いをたくさん伝えたいのに、愛を伝えるには限界があってもどかしい。


「あなたのこと、好き。大好きなの。ずっとずっと好きだったの」


 何度も何度も同じことを繰り返えして、そのたびにヴァレルも同じ想いを返してくれた。

 言葉の合間にたくさんの刺激をもたらされて、アレットはヴァレルの体の下で何度も身体を震わせる。


「レティ、ずっと俺だけのものだ」


 二人の熱が溶けて合わさって、どちらからともなくぎゅっと手を握りしめる。

 彼と一つになったままアレットは何度も好きと伝えた。


 ずっと夢見ていた。

 大好きな人から好きだと言われて、その人のお嫁さんになる夢。

 あなたのことが大好き。

 ずっと、ずっとあなたに恋をしていたの。


 翌朝、アレットは珍しく早い時間に目が覚めた。


 隣ではヴァレルが寝息を立てている。アレットの体を包むように腕を回している。恥ずかしいのと嬉しいのがごっちゃになってアレットは夫に頬をすり寄せた。

 なんてことのない二人の時間がとても大切で愛おしくて。

 アレットは小さな声で夫の名を呼ぶ。

 それから愛している、と。

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