不正解 挽回


 忌々しい。メイドは改めて、そう思った。彼女の脳裏に想起されるのは、直近の、男とのデート。ちゃんと言えなかった言葉。……いや、それよりずっと前。彼と出会ってからの、すべての物語。

 それらを思い起こして、メイドは歯噛みする。その過程で、どこかでなにかがうまく噛み合ったら、自分もあのように――。眼前の令嬢と執事の情事を見て、メイドはそんなことを思わずにはいられなかった。


 いまでは、使用人としてそれを、不敬だなどと思わない。それでも、ひとりの『女』としてそれが、どれだけの多幸かはもう、知っている。そんな未来があるのなら、いったいどれだけ幸福か――。想像して、空想して、それだけでも卒倒するほどに幸せなのに、本当に現実に、そんな世界になったなら、どうなってしまうのか。

 それを、眼前の男女へ向けて、重ねる。そこでいちゃついているのが、自分と、自分の愛する者ではないことに、苛立つ。呪い事を言いたいほどに、神経が逆立つ。


 ――俺様が言ってやろうかあ? いい子ちゃんのてめえじゃ思いつきもしねえような、口汚い言葉でよお――


 心の奥底で、悪魔が囁く。

 そんな甘言を、メイドは笑い飛ばした。


「てめえは黙ってろ。これは、わたくし感情戦いだ」


 ――へえへえ。じゃあ、手は貸さなくていいんだな?――


「力は置いてけ。私ひとりじゃ勝てない」


 ――……わがままだな――


 悪態はつけど、彼女・・は素直に、言う通りにした。精神は乗っ取らず、力の一部だけをメイドに付与して、心の奥底へ、沈むように消える。


「そろそろ準備はできまして? アルゴお姉さま?」


 その言葉と態度に、やはりメイドは、苛立ちを募らせる。


「てめえに『お姉さま』と呼ばれる筋合いはねえぞ、ガーネット」


 口汚い。そう、メイドは自覚している。だがそれは、彼女自身の感情だった。きっと、EBNAでの教育を受けていなければ、そうなっていただろう、本当の――本来の、彼女自身。


「貴様……お嬢様に向かって――」


「やめなさい、カルナ」


 執事らしからぬ、無暗に内心を面に出した表情で怒り狂う彼を、令嬢は制した。


「あたくしの愛する旦那さまの、そのお姉さまですもの。『お姉さま』と、そう呼ばせていただきますわ」


「ちっ」


 メイドは舌打ちする。これ以上感情を荒立たせてはいけない。そう自制する心と、やはりどうしても苛立つ感情が、せめぎ合った結果だった。


「つきましては、お姉さまには正式に、あたくしたちの結婚を認めていただきたく」


「はあぁ!? ガキじゃねえんだ。そんなもん勝手に――」


 言いかけて、メイドは気付いた。

 そんなもの、認めてどうなる? 未来のない・・・・・彼らに、ぬか喜びをさせるだけだ。


 メイドは、聞き及んで知っている。七代目ガーネット家当主、ミルフィリオ・リィン・ニンファ・ガーネットは、すでに絶命している。そして、WBOには、死者を蘇らせることのできる『異本』と、それを扱える者がいることを知っている。つまるところが、そのふたつの情報が、示す答えは――。


「いや――いいえ。やっぱり許諾しかねます。ガーネット子爵」


 冷静に、心と言葉を立て直し、メイドは宣言した。


「私の可愛い弟を、そう易々とは手放せません! どうしてもというなら――」


 あれは、一時的に蘇生した、ガーネット子爵だ。そう、メイドは把握する。


 そして、たとえそうでなくとも、ここでメイドが取るべき行動は、とうに決まっていた。

 主人――氷守こおりもりはくのために、『異本』を蒐集する。それはもはや、どんな障害を前にしても変わることのない、メイド自身の決意でもある。

 であれば――。


「ええ、仕方ありませんわ。だったら、力づくで、もらい受けますの」


 こちらも、もとよりその心づもりをしていた令嬢が、メイドの言葉を先んじる。


 ――改めて、もっとも醜い人間の欲求が、火花を散らす。

 それは、この世界の、あらゆる贅沢だ。人は、食って寝て、生きていれば、それで十分なのに――。それを超える贅沢を、常に求める。


 もっといいものを。もっといい場所を。もっといい暮らしを。もっと楽しい生活を。もっと幸福な時間を――。誰もがそれを求めて、あらゆる娯楽が、世界に溢れた。だから、もっと、もっと、もっと、もっと――。際限のない『強欲』を、命尽きるまで。


        *


 跳躍、する。とにかく、止まることのない、高速移動を。


 まず、狙うべきは、令嬢。EBNAで長く同じ時を過ごした執事の力量は知っている。その中に飼う『極玉きょくぎょく』の性質も。を扱いきれない現状、暴走を恐れる執事は、その性能をほとんど発揮し得ないだろう。そうなると、攻撃よりも防御に向けた形で発現させるはずだ。ただでさえEBNAの出身者は頑丈だ。そのうえ、執事の極玉は防御に用いると、特段に厄介である。高熱を纏うあの力は、素手どころか武器で触れても、即座に、握る手にまで熱が駆け巡るほどの高温だ。


 つまるところ、どちらかといえば執事の方が、倒すのに骨が折れる。それゆえに、比較的容易に倒せるだろう令嬢を先に仕留める。それに、彼女がいなくなれば、執事が戦う理由も、その時点でなくなるかもしれない。また、蒐集すべき『異本』を持つのも令嬢である。メイドとしては、どうしても彼と彼女を叩きのめす理由はない。『異本』さえ奪えば、逃げるという手段もとれるのだ。

 まあ、そうそう簡単に逃がしてもらえるとも、思ってはいないけれど。


 いくらかの攻防の末、メイドは捉えた。敵はどちらも、遠距離攻撃を持つふたりだ。それら攻勢をかいくぐり、懐に飛び込むには、隙がいる。だがその隙を、アルミラージの高速跳躍、『ジャムラ呪術書』の『存在の消滅』を駆使した認識阻害、それらを混合させた移動法で、作り出した。令嬢へ一撃を見舞えるだけの、隙を。


「はああぁぁ――!」


 ただの人間なら、この一撃で十分に、昏倒させられる。殺すまでの意識はない。だが、彼女はすでに死人だ。加減はするが、最悪殺しても、構わない。それだけの勢いを乗せた警棒を、メイドは叩きつけ――。


「さすがに強いわ。速くて、賢しい」


 そんな悠長な言葉を紡げるほど、時間などなかったはずだ。それだけの時間があれば、とうにメイドの一撃は、彼女を仕留めている。

 だが――。


「ゆえに、単純ね。動きの読めない愚者より、よほど御しやすいですわ」


 事実、攻撃は止められた。遠隔から投擲された、執事の槍――『パラスの槍』で。


「落第。やり直しよ」


 その槍越しに、令嬢は言う。片腕を構え、その手のひらを、メイドへ向けた。そこから雷閃が、ほとばしる。


「くっ――」


 雷は、やはり、速い。いくらメイドと言えど、それを目視してから動いたのでは、とても対処に間に合わない。だから、それを扱う令嬢を見て、現在の状況を見て、その軌道を想定する。

 だが、この一撃に対しては、焦って回避しようとするあまり、その軌道を、しかと読みきらずに、動いてしまった。


「あ――」


 ――しまってから、『しまった』と思った。これじゃ、さっき・・・の焼き増しだ。


「間違えたわね」


 彼女の手から放たれる霊撃は、回避した――してしまった。

 その雷が向かうのは、メイドじゃない。……執事のいる方向。


 つまるところ、彼が持つ、倍返しの盾――『アイギスの盾』が構えられている場所だ。


 その攻撃方法は、さきほど一度、攻略した。令嬢が一度だけ、普段の雷より規模の大きい雷撃を放った場面。あのとき、その雷撃は、メイドと執事、二者を一線に捉えた攻撃だった。だから、もしメイドがあのとき、防御ではなく回避を選択していた場合、その雷は、メイドにかき消されることなく、執事の持つ盾で、倍にして返されたわけだ。

 だから無理をして、メイドは防御行動を行った。それで事なきを得た。だが、それと同じ状況が、最悪の形でまた、眼前に迫っている。


「終わりだ。アルゴ姉」


 その声は、轟く雷光に包まれ、誰にも届かない。かつて、姉と慕った者を倒さねばならない。それは、仕方がない。執事にとっては、令嬢の方がよほど大切だ。だが――。


 それでもできれば、メイドのことも傷付けたくなどなかった。彼女以外の相手が敵として立ち塞がったなら、執事はそんなことなど考えなかっただろう。誰とも知らぬ者や、取るに足らぬ者たちなんぞ、彼にとってはどうでもいい。彼はただ、そばにあるわずかの、大切な者たちを守りたいだけなのだ。


 そう。彼は、もう諦めている。人間の『強欲』には、際限がない。だから、欲に順位付けをして、それを上から順に大切にすると――欲求を理性的に、扱っているのだ。

 たいていの人間が、同じように諦める。場合によっては、己が命すら、天秤にかけて――。


「本当に、忌々しい」


 そして、こちらもひとつ、諦めた。それゆえに、あと数瞬で訪れる『死』に、悠然と立ち尽くす。アルミラージの極玉を解除して、鋭く生えた角をはじめ、全身を赤く染めるほどの血流が、穏やかになる。逆立った頭髪も、風になびくように落ち着いて、凛と整う。


 ――やるのか?――


 だるそうに、しかしてどこか楽しそうに問う、心の中の人格。

 やるしかないでしょう。と、メイドも諦めた声音――心音で、返した。


「まだ酔うから、あまり使いたくなかったのですが――」


 まあせめて、ひとりのときで、本当によかった。そう、メイドは楽観的に、受け入れることにした。


「『神之緒カムノオ』。『アルゴ・ディオスクロイ』」


 これは文字通り、人間を外れた力だから。愛する『家族』たちに見られなくて、本当によかった、と。



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