ちっぽけな者ども


『異本』。『災害シリーズ』、全七冊。


 総合性能Aとして立ち並ぶ、『啓筆けいひつ』。その、序列十六位、光を操る『異本』、『白茫はくぼう』。それを筆頭に、このシリーズは、炎を操る『噴炎ふんえん』、氷を操る『凝葬ぎょうそう』、風を操る『嵐雲らんうん』、水を操る『浄流じょうりゅう』、岩を操る『千落せんらく』、と、連なる。そして、残る最後の一冊こそが、ここで令嬢の手に握られた、雷を操る『異本』、『鳴降めいごう』だ。


 これら『災害シリーズ』はどれもが、あらゆる自然現象を司る強力な『異本』とされ、そのどれもが、『異本』の特異な力の強さを示す指標である『変性力』において、B以上と、高位のランク付けがされている。


 その中でも、とりわけ強力な――つまるところ『変性力』が最高ランクのAとされる『異本』は、三冊。『白茫』、『噴炎』、そして、『鳴降』だ。


凝葬吹雪』も、『嵐雲台風』も、『浄流津波』も、『千落落石』も、たしかにどれも、恐ろしい。ただのちっぽけな人間には到底抗えない、『災害』だ。だがもしそれらが襲い来ることを事前に察知できていれば、まだ回避は――凌ぐことはできるのかもしれない。


 それに比べて、『白茫エネルギー』や『噴炎火災』や『鳴降雷電』は、あまりに速度や、破壊力が違う。それらは仮に察知できようが、人間の知覚より速く、また、人間の強度よりはるかに強く、一瞬で、人体を再起不能にするだろう。


 その、恐怖を、力を――。それらを、決して科学的ではなく、まったく抽象的でもない形で、寓話的に綴った作品こそが、この、『災害シリーズ』だ。


 それは日本の、とある、あらゆる学術機関から独立した、研究者たちの私的な集いの中で、酒の肴に、冗談のように、いつのころからか語られ始めた。世界でも最高峰の頭脳の持ち主たちが、酩酊の中でふざけ合って、馬鹿みたいな展開を、しごく大真面目に、幾夜いくよ幾代いくよも、集団のメンバーが入れ替わり立ち替わろうと、長年続け、熟成させていったのだ。


 その結集はやがて、その集いの最後のメンバーとなった、やけに若い研究者によって、完成された。


 誰よりも若いその者は、誰よりも好奇心旺盛で、誰よりも活力にあふれていた。そして――その集団の多くの者にとっては悩ましいことに――その者は、かつてその集いに加わった、他のどの研究者よりも、優秀だった。


 あらゆる天才たちが、支離滅裂に組み上げた物語。その一文一文は正しくとも、飛び抜けた才人たちの主張は、どうにも物語としては、噛み合いがなかった。それを、かの最若年の研究者が、ひとつにまとめあげたのだ。


 それは、この世のあらゆる『知識』という『点』を――どうしたって互いに反発し合うそれらを、見事に『線』で繋いだ物語。いや、それだけにとどまらず。それら『線』を編み、『面』とし、それらを束ねて『体』とした――。こうまで秩序だった『知識』はもはや、概念でありながら『形』すら伴う。もはやこのレベルであれば、『災害シリーズ』は、成るべくして成った『異本』とも言えるだろう。


『知識』を、誰にでも理解できる形で、この世界に顕現させる。それは、あらゆる学術者の、究極の目標だ。


 果てなく遠く、絶対に届かない、夢の到達点。


 つまるところ、この『災害シリーズ』は、そんな、人類の目指すひとつの、『強欲』の最終。それに手を掛けた、作品群なのである。


 ――――――――


 ――エントランスホール。


「ふっ! うおっ! ふおぉっ!」


 汗にまみれたそのリーゼント執事は、二対のヌンチャクを振り回し、意気軒昂に、果敢に攻め立てる。だが、その顔には徐々に焦りが浮かび、せっかく整えたリーゼントも、段々とほぐれてしまってきていた。

 というのも、相対する狂人が、あまりに軽々と、余裕そうに、そのすべての攻撃をいなしているから。なんならあくびすら漏らし、終いにはいつの間にか、片腕で対応を完結させるほどに、飽きられているから。


 リーゼント執事は、極玉きょくぎょくに精神を乗っ取られなかった、稀有な被験者だった。いや、この表現は――評価は、正確ではない。彼は、極玉との同調シンクロがあまりに微弱すぎて、精神を奪われるほどに極玉の力を発現させることができなかった、組織的に――施設長スマイル・ヴァン・エメラルドに言わせるところの、『失敗作』なのである。

 だが、それゆえに、彼は成長した。組織の教育に洗脳されながらも、どこか人間としての自我を残したまま、それゆえの強さを、鍛え上げた。


「武器ってのはよォ――」


 狂人が、言う。


「てめえを強くするためのモンだ。なあ、ヴァローナ・ネイガウス」


「俺っちが弱えってのか? ああん?」


「いやァ……」


 ほんの瞬間、狂人は動きを止めた――ように、見えた。


「逆だ。強えんだよ、てめえはなァ!」


 残像――。まるで止まったかに見えた彼の姿は、次の一瞬にはぼやけて消え、寸後に、リーゼント執事の背後へと回り込む。そしてそのまま、隙だらけの背に、渾身の蹴りを――。


「……だから、弱えってのを知らねえ。いや、弱さを見ようとしてねえ」


 リーゼント執事の隙を完全についた一蹴は、あえて外したかのように方向転換し、床を思い切り、抉った。ほぼ同時に、それよりさらに小さなひと突きも、そばの床を射抜く。


 その弾丸を放った起点へ、狂人は一時、目を向けた。己が弱さを知り、それを前提に立ち回る、ある射手が、いたはず・・・・の方向を。

 ちっ、と、舌打ちする。ありゃァ、ちゃんとしてやがる。そう、狂人は警戒した。


「舐めやがっ――」


「どけいっ! 邪魔だっ!」


 青筋を立てたリーゼント執事の言葉を、黒い飛翔物が遮る。その物体の突撃は、ガードに回した狂人の腕を一本、容易に粉砕した。


「はっはァ――!!」


 もちろんその程度で、狂人の動きはわずかも鈍らない。いやむしろ、その現実は、彼をさらに昂らせ、強化するとまで言えるかもしれない。


「いいねぇ! てめえは楽しんでるみてえじゃねえか! ティェン祝風ヂュフォン!」


「無論、楽しんでいる!」


 声は、縦横無尽に響いた。その飛翔物は、黒羽を生やした人間。それが、声など置き去りにするほどの速度で、空間を跳ねている。


「この数を相手に! 貴殿になにができる!? ネロ・ベオリオント・カッツェンタ!」


 さしもの狂人でも、彼の動きは目視できない。だが、見えないのはそれくらいだ。その他、EBNAやWBOの者たちが――ついさきほどまで抗争していたはずの彼らが結託して、それぞれ狂人ひとりへ向けて襲いかかろうとしている。その動きは、すべて見えていた。


「ああァ……。数ってのも、力だよなァ――?」


 頭痛を気遣うように、彼は、折れていない片腕で、その、自らの頭部を押さえ込んだ。降参か。あるいは、諦観か。そのように、黒羽の執事は・・・・・・思った。


「『死ね』――」


 瞬間、その空間は、雷撃がほとばしるように緊迫し、冷風が突くように凍り付いた。一拍の間を置き、堪えきれなくなった者たちから順に、地に伏していく。『覚悟』の足りない者から、ひとりひとり、と。


「ンでえ? その『数』がなくなると、てめえはどう、力を使うンだァ?」


「わ――あ……」


「どうしたァ? まだまだ祭りは終わらねえぞ。……もっと、騒げよ、踊れよおおぉぉ――!」


「あ、あ……ああああぁぁぁぁ――――!!」


「げひゃひゃひゃひゃひゃひゃ――――!!」


 声を上げ、勇気を奮い立たせる黒羽執事の、その意気を嘲笑うように、狂人は大笑を被せた。だから、黒羽は足を震わせる。人間として、執事として。どちらの自分であろうと、もはや立ち続けることすら困難だ。

 さらには、EBNAでも唯一、ふたつの極玉きょくぎょくを有する彼であろうと、その心に絡みつくそれらふたつの人格すらも、恐怖で力を封印した。彼の背に備わるいびつな黒羽が、二枚とも剥がれる。


「人間は弱え――弱え! この星の中じゃあ、この宇宙の中じゃあ、この世界の中じゃあ! その気まぐれのひと突きで、ゴミクズみてえに塵となる! この――」


 誰もが委縮し、昏倒し、動けない中、狂人の演説を止める影が、ひとつ。


「言葉は、暴力の先で語られるものですの、狂人」


 EBNA。現在の、総大将。

 褐色の肌をメイドらしからぬほどに晒し、その豊満な肉体を揺らす。それでも、銀縁眼鏡の奥に光る紫の眼光は、隙なく、敵を射止める。


「『大自然』の中じゃあ……脆えぞ、人間は。……よォ、アナン・ギル・ンジャイ」


 かつて、その『大自然』の力を行使した狂人は、語る。


 弱さを知る、そのちっぽけな人間は、己が理想を――『強欲』を叶えるために、拳を振るう言葉を紡ぐ


 ――――――――


 ――地上30階。


「忌々、しい――」


 轟雷の中から、煙を纏い呟くのは、ひとりのメイドだ。

 人体が抗えないはずの、神のひと振り――雷の高電圧を受けてなお、彼女は立っている。


 力を知り――体感し、傷付く。脳は、心臓は、身体機能は、大過ない。だが、表皮はいくぶん、電熱に蝕まれた。それゆえの煙を、上げる。


 不格好に、火傷して。衣服もたいがい、ぼろぼろで。

 こんなだらしない、見るも無残な姿に、されている。――であるのに。


わたくしの前で、いちゃいちゃしてんじゃねえぞ! このクソがああああぁぁぁぁ――!!」


 眼前では、美しい情事が、繰り広げられているのだ。

 だから、忌々しい。その、理不尽な八つ当たりを、メイドは、叫ぶ。



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