最先端の言葉


 痛みはない――痛みはないが、瞬間、意識が、飛んだ。痛みや苦しみを感じないゾンビの身体だとはいえ、確実にダメージはある。それに気付けないのが、その身体の欠点でもあった。


 痛みは、危険信号だ。その身体が壊れる前の、最後の警告。だから人は痛みに委縮し、そこから逃れようと身を引く。そうして身体が壊れる前に、その身を守ろうと思えるのだ。痛みを感じられないのは、その危険信号を察知できないということでもある。ゆえに、パリピの身体は、本人が意図しない形でも、いともたやすく、壊れるのだ。

 右腕が、折れた。肩の関節も外れてる。でも、これは筋肉だけで動かせる。そう把握して、まずは、関節をはめ直した。たぶん、綺麗にはまっていない。そんな違和感を感じることはできないけれど、経験上、そうだろうとパリピは思った。顔面が、また歪んだ。だが、それは戦闘には支障ない。視界は良好だ。問題ない。


 幸運なことに、パリピの身体は頑丈だった。そして、麗人は、力の込め方や技術こそ卓越しているが、基礎的な身体能力に関してはたしかに、『普通』の女性だった。それゆえに、渾身の力で殴られようと、わずかに意識を遠のかせる程度で済んだ。


 パリピの身体と意識は、強く結びついている。『Logログ Enigmaエニグマ』。死者蘇生の、その『異本』によって。それゆえに、彼女は瞬間的に意識を飛ばそうと、割合素早く、その意識を取り戻すことができるのだ。


「把握―。かなちゃんが『普通』じゃないのは、もう、解った」


 低い声で言って、パリピは、構える。

 身体が重い。ダメージが残っているのか、あるいは、さきほど菓子を麗人に取られてしまったからか。痛みを感じないこの身体を、パリピは扱いきれない。それゆえに、力を酷使しがちだ。つまるところが、その身体は、多量のエネルギーを必要とする。


「……? なにを言ってるんですか。私はいたって『普通』の、女の子ですけど」


 麗人も構えて、そう返した。


「女の子って歳?」


「それは言いっこなしです」


 瞬間、構えを解いて、麗人は両腕でバツを作った。


「女の子です。誰がなんと言おうと、女の子なんです」


 頬を膨らませて、それから、麗人は再度、構えた。


 その様子を見て、パリピは、やはり違和感を覚える。いまのやり取りは、どこか既視感があった。どこかで見た? いや、どこか、じゃない。そこかしこ・・・・・で、だ。

 彼女の『普通』は、まるで演技のようだ。そう思う。ともすれば力を隠すためのものか。そう、パリピは思った。だがそんなふうにも、見えない。


「まあいいや、なんでも」


 そう、捨て置く。

 どうせ、心のないこの意識には、人の機微など、解らない。


        *


『リオとやり合えるとは、あのお嬢さん、『普通』ではないな』


 太い首をそちらへ向けて、ワニが言う。


『お嬢に言ってくれるなよ。お嬢はその『普通』のために、努力しているのだ』


 必要とあらば即座に攻勢に出られるよう、翼のような腕をはためかせて、鳥人は言った。


『野暮は言わんさ。ただ――』


 ワニはさらに首を動かし、べつの方を向く。麗人から目を逸らし、自身の、その使役者へと。


『――いいや』


 そしてその太い首を、ただしく敵へと、向け直す。首を振るように二、三度傾けて、床を撫でるように尻尾を揺らした。


『無駄話だな。……続けようか』


 その仕草に、声音に、思うところがあった。

 だが、


『……ああ』


 鳥人は、ただそう、応える。

 男が一度飲み込んだ言葉を問い詰めるなど、やはり、野暮だろうから。


        *


 二度、三度と転がされて、パリピは不思議と、口元をほころばせた。

 この身体になって、初めて、肉体的に圧倒されている。それが、楽しい。――からではない。パリピは、殴られた頬に労わるように触れて、初めて、頬が緩んでいると気付いたのだ。


 なに笑ってんだ、こいつ。そう、自虐的に思う。いいや、すでに自己などない。これは正当な、他者への・・・・、嘲り。


 なに笑ってんだ、おまえ・・・――!


「楽しいですか? 実は、私もです――っ!」


 にへらっと、だらしなく笑って、それでも相当の力を込めた、正拳が繰り出される。


 これ以上のダメージは、よくない。まだまだ受けれはするだろう。痛みはなく、多少の身体的損壊も、無理矢理になら動かせる。しかし、さっきから押されてばかりだ。このあたりで一度、反撃をしなければ、ジリ貧である。


 そのように、思った。だから、両腕で彼女の正拳を、受けようとする。力だけなら、こちらの方が上。しっかりとガードできれば、ダメージは最小限に抑えられるはず。

 だから、回避よりも防御に、パリピは意識を割いた。この一撃は受けきって、最短で、反撃を決める。


「楽しくなんか――っ!?」


 ――ない! そう言って、反撃を決めるつもりだった。だが――!


 うまく身体が動かなかった。まず防御に動かしかけた両腕は、麗人の正拳を受ける直前で、金縛りのように静止した。ダメージが、閾値を越えてた? 痛みを感じないゆえに、もう身体が動かないことに気付けなかった? そう思案すれど、しかし、これほどまでに急に、動かなくなるのは不可思議だった。まるで、何者かの意思が、無理矢理干渉して、腕を止めたような――。


 ――そろそろ返せよ――


 頭の中で、誰かが叫ぶ。だが、そんな認識も――意識・・も、背中から壁に叩きつけられて、飛びかける。薄れる意識に靄がかかる。身体から乖離しようとするそれは、しかし、『異本』の力で強制的に、戻ってくる。


「あたおか。心の声とか、病みすぎ。ほんとつらたん」


 そう言って、頭を押さえる。視界は戻ってきたが、意識には膜が張られたように、靄がかかっている。


「そういえば、気になっていたんです」


 殺し合いの場で、すっとぼけたように、麗人は、自身の掌に、拳を叩いて、声を上げた。


「なん? うちいま、かなちゃんのボケに付き合う気力が――」


「リオさんの言葉遣いって、なんていうか、ちょっと古いですよね」


「はあぁ……?」


 自分でも驚くくらいに、パリピは、不快そうな声を上げていた。心臓が跳ねるのを、感じる。


「いや、世代かなあ、とは思うんですけど。リオさんの使う言葉って、2020年前後で流行っていた言葉っていうか……。あ、最近ですと、語尾に『~のの』ってつけるのとか、流行ってたり。『~なの』っていうのが派生したみたいなんですけど、若い女の子の間で流行ってます。あとは、怒ってることの表現で『ぱちり』、とか。単語的なものだと『リツロン』とかよく聞きますね。『確率論で語るけど~』って意味なんですけど。『シタール』って知ってます? インドの民族楽器なんですけど、たぶん語感がいいんですかね? 『お願いシタール』みたいなダジャレ感のある語尾も使われてるみたいです。それから――」


 と、話し始めたらきりがない様子で、麗人の講釈は続いた。


「――とまあ、2026年から2027年現代には、こういうのが若者言葉として流行っているんですね。私も一般教養程度に知っているだけで、あんまり使いませんけど。そう思うと、リオさんの言葉遣いって、少し古いなあ、と」


 ぐさり、と、パリピの胸に、じんわりとした痛みが、走った。痛みなど忘れたはずの、その身体が。

 精神的に、ダメージを受けた。だから彼女の頭に、さらなる靄が、募る。


 ――あっははははっ! 言われてやんの! やぁっぱあんた・・・には、この身体は荷が重いって。……だから、もういい――


 ガンガンと、壁を突き破る勢いで、パリピの脳内では、何者かが、叫ぶ。


 ――もういいから、返せ。うちのなかから、出て行け――


「う、ううぅぅ……」


 脳みそを掻き乱す声に、パリピは、嗚咽を漏らす。地に伏し、痛む頭を、抱える。

 だが不意に、その痛みが、やんだ。胸に閊える棘も、頭を掻き乱す声も、どこか遠くへ。まるで初めから、なにもなかったかのように。


 だが、転じて、別の箇所が痛む。それは、折れた腕であるとか、無理矢理はめ込んだ肩の関節であるとか、あるいは、過去数十年の、蓄積した、痛み。


 人間として正当な、身体の、痛みだ。


「だ、大丈夫ですかっ! リオさん! 私、そんな強く殴ったつもりは――」


「ぱっち~ん」


 少しだけ、笑う。こんな痛みなど、屁でもない。だから、笑い飛ばす。


「うちをオッローして、うちがムヅしちゃ、リツロンひょいんでシュツライるのの! づから、ひとつ、よろしくお願いシタールっ!」


「うわっ! いきなり適応してきた、この人! なに言ってるかさっぱり解らない!」


 麗人は驚き、構えた。いきなり飛び起きたパリピに備えるため。


 だが、その表情を見て、疑問を抱く。

 あれ、この人――いったい、誰だろう? と。



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