そして、目を閉じる。


 爆発――。いや、決壊だ。


 溢れて溢れて、どうしようもない。


「はあ……はあ……」


 肩で、息をする。畳に膝をつき、刀を突き立て、それに体重をかけた。


 わずか、一瞬だ。それで、全精力を出し尽くした。体は、それなりに酷使はしても、一瞬でのこと、まだ、十二分に体力が残っている。しかし、格別に精神が削られた。

 死を斬り結ぶ、本物の戦場。命のやり取り。死への――殺されることと、殺すことへの恐怖。それゆえの、本気の、心の通わせ合い。己が限界を引き出し、相手の最高を見極め、それを超え、斬り伏せる。


 それは、終わってようやく、感情が追い付いてくる。それだけの、速度と密度。動いているうちは、ただただ無心に、全力を出すだけ。そこに、生も死も、活も殺も、邪念はなかった。それが終わって、そこで感じたはず・・の、あらゆる葛藤が襲い掛かる。


 人を殺すことは、悪いことだ。自己にどんな正義があり、他者にどんな悪意があろうと、その生命を、人生を、終わらせることは取り返しがつかない。それはきっと、何度繰り返そうとも、慣れるものではない。そして、慣れていいものでもないのだ。


 人間が、人間でいるためには。


「まこと、見事でござった」


 侍は、刀を鞘へ、神妙に納め、言った。ぐっ、と、鞘を握り、忸怩たる思いを、込める。

 これが最善だったか。もっとできたことはないか。自分は、この最高の――最期の・・・好敵に対して、全身全霊を出せただろうか。


 もはや死んだ身でありながら、皮肉めいたことを、思う。


「おぬしの、勝ちだ」


 その言まで、体は耐えた。

 勢いよく噴き出す血を、とどめていた。


 それから、意識が遠のく。肉体が、落ちる。痛みを伴わない感触が、まるで刺すように鮮明に、侍の頬を擦った。


「はあ……はあ……っ!」


 終わった。と、思い、少女は顔面から崩れる。侍の敗北宣言に、ようやっと気持ちが、追い付いてきた。刀にしがみつき、体を支える必要も、もうないのだ。


 侍に一拍遅れて、少女も、崩れ落ちる。抵抗なく畳に頬を擦りつけ、少しの痛みを感じた。


 だがその『痛み』こそが、『生』の証だ。


「はあ……はあっ……!!」


 いまだ続く呼吸に、『生』を覚える。




 まだ、少女の、『憂鬱』は続く。生きている限り、絶えることなく――。




 WBO本部ビル。地上40階。『武術道場』での一幕。


 勝者。ノラ・ヴィートエントゥーセン。




 ――――――――




 ――エントランスホール。


「どうしましたの? 青蛾あおが


 褐色メイドが、ボーイッシュに短く黒髪を切り揃えたメイドを気遣った。「いいえ、アナン様」と、ボーイッシュメイドは応える。なんでもないと言い含めて。しかして、褐色メイドから見て、彼女のその、どこか遠くを見るような、心が瞬間、体から離れたような様子は、一目して瞭然と、理解できた。


「迷いがあるならお引きなさい。戦争に邪念は、命とりですの」


 冷たい声音で、褐色メイドは言う。だが、その言葉が、いまでは・・・・本当に、『家族』を慮ってのものだと、素直にボーイッシュメイドは理解できた。


「いいえ、アナン様」


 同じ言葉を、繰り返す。ふと感じた雑念を、振り払う。


 それとともに、差し迫った敵へ、一刀を浴びせた。握る刀の柄が、鞘が、なにかを語りかけてくる。それはどこか、動物的本能のように、ボーイッシュメイドは感じた。まるで遠い祖先を、その魂を、身近に感じるような。


 敵を斬り伏せ、地に転がし、褐色メイドへ、問題ないということを、表明する。


「峰打ちです、それでも、骨のいくつかはイってるでしょう。もう、お立ちになりませんよう」


 ボーイッシュメイド――赤ヶ谷あかがや青蛾は、言った。


        *


 エントランスホールを進んで、WBO本部ビルの、一階、奥へ進む。


 エントランスは、もはや戦場だ。数々の阿鼻叫喚が巻き上がる、混戦状態。しかして、そこから奥へ入り進むと、そんなことなど感じさせない静けさが広がっていた。


 一般に、来客が踏み込む場所ではないのだろう。節電のためかもしれないが、ところどころ蛍光灯が切れており、やや薄暗い。廊下も細かく入り組んでおり、まるで迷路のようでもある。荒廃しているかのように、ところどころの扉は開け放たれており、廊下の隅に段ボール箱さえ積まれている。

 無造作に置かれた本。廊下の先に、やや曇った窓がある。清掃が行き届いておらず、隅には埃も積もっている。ひとつ、扉が開いていた部屋の中を覗き込めば、いくらもの棚が所狭しと並んでおり、どうやら資料室のようだと判断する。広い部屋があればいいんやけどな。女傑は、そう思った。


「イ、ヒヒ……」


「――――っ!!」


 ふと、背後――至近から浴びせられた奇声に、女傑は振り向く。振り向きざまに帯電した腕を振るうが、それは空振りに終わった。「なんやねん」。と、呟く。


「パ~ラちゃんっ」


 ぞわわ、と、女傑は背筋に、悪寒を感じる。今度は、振り向かない。振り返らずとも、その声の主が誰かくらい、容易に解ったから。


 そもそもそのつもりで、ここへ来たのだから。


「やぁっと来てくれた。遅いわぁ、ほんに」


 女傑の首に背後から抱き着き――動きを抑え込み、耳元へ甘い声を、寄せる。


「気色悪いわ。うちにはそっちの趣味はないねんけどな」


「わっちにはあるんやよぉ」


「ええ加減にせえっ」


 バチッ――と、感情のように女傑の体は、放電した。「わっとと」、と、首元にしがみついていた者は、それを察知していたように危なげなく、離れる。


「おんどれの相手は、うちしかできひん。やから来てやっただけや。勘違いすんなや」


 女傑は振り向き、今度こそ、彼女の姿を視認する。そばかすに丸眼鏡をかけた、メイドのような恰好をした者。不敵な表情で、おもちゃみたいな白いプラスチック製の双銃を構え、栗色の三つ編みをふたつ揺らす、彼女。

 そばかすメイド、フルーア・メーウィン。WBOにおいて、単純な戦闘力だけでなら、最強と呼べるひとりだ。


「ヒヒヒ……」


 そんな彼女は、すでにメイドを辞めた身だろう。それでも、メイドらしからぬ異様な笑みで、破顔した。


「パラちゃんはほんま、怖いわあ」


 当人の方がよほど、人間を離れた恐怖の面様おもようで、彼女はそっと、銃口を向けた。


 ――――――――


 瞬間、ほんの瞬間だけ、意識を飛ばしていた。だが、自身の深層心理にでも仕込んでおいた、とでもいうべき、時限爆弾で、少女は即座に、覚醒する。


「行かなきゃ、いけないわ」


 死闘――文字通りの、死闘を終えたばかりだ。それでも彼女は気丈に立ち上がり、よろめきながらも歩みを、再開する。

 先に、侍に示されていた通りの違い棚へ、『異本』を回収しに。それを間違いなく手に入れると、少しは体に力が戻った。


 ここでの戦いは、まだ、始まりに過ぎない。

 本物の闘争が、まだ、少女には残っている。


 振り返り、部屋から出る。その際に、再度『道場』内を見、小さく、黙祷した。


 あの肉体は、自分が葬った。そう言えるかもしれない。それが、本物の肉体・・・・・ではない・・・・とはいえ、そこに込められた魂は、本物だ。


 だから、せめてもの供養に、悼む。意識を、彼の生涯へ傾けて、思う。


 思い。想い。心を込めて、別れを。




 さようなら、と。



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