十一の罪業


「先に、あんたには頼んでおきたいことがある」


 話を聞いてほしいという壮年を差し置いて、男は、これだけは、と、重要なことを先に、切り出した。


「ノラ――うちの娘が言うには、あんたんとこのフルーアが、あんたの意思とは無関係に、行動を起こしたそうだ。俺たちは襲われた。それを止めてほしい」


 いまだ背を向けたままの壮年に、男ははっきりと、言う。少女に――あるいは状況に流されて来たけれど、争う必要のないところで起きている争いは、いまからでも、止められるなら止めたい。


「そもそも、十階層ごとにこっちの『家族』をひとりずつ降ろさせなきゃいけねえ理由も解らねえ。俺はあんたとは――WBOとは、平和的な交渉に来たつもりだぜ?」


 黙ったままの壮年に、言うべきことを続けて、紡いだ。一部――特に稲荷日いなりび姉妹弟きょうだいだが――ここへは争いに来た者たちもいはするが、男の基本的なスタンスは変わらない。あくまで穏便に、だ。今回ばかりは、全『異本』の蒐集に王手をかけているゆえに、多少荒っぽい手法も視野には入れているが、それも、平和的な交渉が決裂したのちの話である。


「『家族』――『家族』、か……」


 男の言葉に、壮年はそのように、小さく反応した。だが、そのつぶやきは小さく、男の耳には、ノイズ程度にしか届かない。


「あ? なんだって?」


 だから男は、多少のイラつきをも交えて問い返した。壮年は、小さく首を振り、「いや」と、声を上げる。


「なんでもない。そして、おまえの要望を満足させられる、私からの返答は、おそらくないだろう。ひとつだけ、おまえの認識を正しておく」


 そう言って、壮年はわずかに、男を振り返りかけた。だが、直前で思い直したように、なにかを思いとどまったように、無理矢理に顔を背ける。再度、完全に背を向けたまま、壮年は肩を落とした。


「WBOは、たしかに私を頂点とした組織だった・・・が、その構成員は、けっして、私に従うばかりではない。彼らは彼らで、当然と自我を持ち、己が信念のもとに行動している。……本日、私は通達を出した。WBOは、本日をもって・・・・・・解散する・・・・と。そして、彼らに預けていた『異本』は、そのまま好きに扱って構わないと。……『異本』には、それを用いるべき者がいる。その者の適性を見極め、持つべき者を選定することが、WBO我々の存在意義だったのだから」


「『異本』は――」


 男は、壮年の言葉に、一歩を踏み出した。即座に。

 しかし、わずかに振り返りかけた壮年の動きで、足を止める。感情的になっても、交渉はうまくいかない。己が意志を信ずるからこそ、その表現の手段は、正しくあるべきだ。


「人間には過ぎた長物だ。人間俺たちにはまだ、こんなもんを扱いきれるだけの度量はない。身に余る力は、種族ごと人類を滅ぼすぞ」


種族そんなものなどに気を遣って、おまえはそんなことを言っているわけではないだろう。もちろん私も、種の存亡そんなものになど、毛ほども興味はない」


 次には、壮年の方が間髪入れず、男の言葉に返答した。その鋭さに、男は一瞬、息を飲む。


「俺は、俺の大切な『家族』を、『異本』により傷付けられた。その復讐だ。たったそれだけの、個人的な感情だ。悪かったなちくしょう」


「悪くなどないさ。それは、私と同じ理由だ」


 ふう。と、壮年は男に聞こえるほどの音で、息を吐いた。なにかを覚悟するような、吐息だった。


「では改めて、私の話を聞いてもらおう。私たちの・・・・物語を・・・――」




 ――――――――




 人間には、『七つの大罪』があるという。それは一般に、『嫉妬』、『暴食』、『色欲』、『強欲』、『憤怒』、『怠惰』、『傲慢』と言われている。


 この、『七つの大罪』は、エジプトの修道士、エヴァグリオス・ポンティコスの著作、『修行論』に書かれた『八つの枢要罪すうようざい』というものが起源となっており、こちらでは、言葉通りに、人間の罪は八つであると説かれる。ここでは、『嫉妬』の罪は外され、その代わりに、『憂鬱』と『虚飾』が名を連ねていた。


 また、現代では新たな罪も、『七つの大罪』に連なる『八つめ』として加わる説もある。そこには多くの説が不遑枚挙と散見されるが、筆者が推す説としてはふたつある。ひとつは『狂信』。そして――。いや、その答えは、物語の中で綴ろう。


 つまるところ、人間にはこれら、十一の罪があるのではないかと、筆者は考えるのである。言うなれば、これこそが、本作における、『十一の罪業』とも呼べる、罪の一覧だ。人間は罪を犯し、罪に縛られ、罪に、人生を捧げる。何者も罪からは逃れられず、罪に抗うこともできず、翻弄され、耽溺し、そして、生きている間はおろか、死してもなお、その鎖に囚われる。


 生きるということは罪であり、死ぬということは罪である。


 人間の物語は、罪の記録だ。


 罪を繰り、繰り返して、形を成す。――これはただの、人間の、物語。


 人と人が、いびつに繋がり、やがて、『家族』となる、物語だ。




 ――――――――




 ――エントランスホール。


 十を越える人数のいい大人が、汗をかき、声を張り上げ、懸命に抵抗している・・・・・・


「かあっ! ほんま! うっとおしいわっ!」


 だが、その甲斐あってか、女傑を抑え込むことには成功しているようだ。まだ彼女が本気を出していないとはいえ。そのうえで、どちらかといえば劣勢であるとはいえ。


 うわあっ! と、何人もの構成員が同時に吹き飛んだ。『異本』を扱えない者。あるいは、近接型の性能を持つ『異本』の使い手たち。女傑に近付かねばならない彼ら彼女らの多くが、彼女の一撃により。


 男たちがエレベーターに乗った時点で、女傑の役目は終わっている。……とも、あながち言い切れない。まだ彼らが男たちを追い、危害を加えようとしないとも限らない。だから、女傑はまだ、彼らを相手にしなければいけなかった。他に・・集中すべきことが・・・・・・・・あるというのに・・・・・・・――。


「――――っ! あ――っぶないわっ!!」


 不意に、どこからか放たれた銃弾を、すれすれで躱す。躱しても、不規則にその指向を変える一発に、さらに神経を遣う。だが、躱しきれないほどでもない。


 問題は、対処すべき案件が、他にも多すぎる、ということ。何度も跳ね除けたはずの構成員たちが、またも女傑に向けて力を振るう。基本的にそんなもの、女傑に通用する内容には及んでいなかった、が、的確にうっとおしい銃弾を浴びせてくるどこぞのアホのせいで、このとき、彼女は少しばかり、ピンチだった。


 死に至るほどの危険性には程遠い。だけれど、それなりの傷は負ってしまう。それほどの、危機。


 ドゥン――。と、そんな女傑の危機に、その音は割り込んだ。常時邪魔してくるアホのものとは違う、よほど重い、銃声だ。それは、女傑にそこそこの一撃を喰らわせかけていた何人かを退かせる。当ててはいないようだが、それでも、十二分に女傑は救われた。


「さあ、行きますのよ! お嬢様のためにっ!」


 銃弾を放った者とは、違うようだ。だが、その褐色の、豊満な体を見せびらかすように露出の高い、メイド服らしきものを纏った女性は、そのように指揮を執った・・・・・・。その後ろに引き連れた、タキシードや、メイド服を纏った者たち――EBNAの、執事バトラーメイドナニーの。


「お嬢様の妹様ですのね。どうぞこの場はわたくしたちにお任せください。妹様は、ご自身のなさるべきことを」


 褐色メイドは女傑の前まで来て、深々と一礼した。そんな無防備な彼女を、襲う影が――。


「不躾ですのね」


 だが、そんなものなど歯牙にもかけない様子で、彼女は、地面からガラスの針を生成し、敵の動きを阻害する。


「WBOとは、大きな因縁こそありませんが、常に警戒していた相手です。しかし、今回は足止めに専念しますの。殺生は最低限に。お嬢様からの、ご下命ですから」


 そう言って、笑う。不敵に。それは、女傑の思想をも把握している、との、合図だろう。だから女傑もひとつ、笑みを返して、


「じゃ、ここは、任せるわ」


 と、一言。それを残して、消える。


 彼女には、彼女の戦いがある。けっして働き者でもない彼女でも、きっと最後に、これくらいはやっておかなければならないだろう。そのように、思う。


 ――――――――


 ――地上40階。


 抜き身の刀を携えた少女が、ゆっくりと歩いていた。全体的に、白を基調とした内装だ。シンプル、かつ、清潔感がある。そこここにある扉には、ほとんどに、その部屋の利用目的を示す表示がない。だけれど、少女には、自分がどこへ向かうべきかが明瞭に、理解できた。


 まだ、前哨戦よ。少女は思う。しかして、そう言い切れるほどに、容易い相手ではない。


 もし、あらゆる異能が唐突に、いまこの場で失われたら、現在、このビル内で最強だろう。そう、少女は知っている。少女と、その手にある刀は――。


 ひとつの扉の前で立ち止まり、少女は深呼吸をした。ぐっ、と、『赫淼語かくびょうがたり』の柄に、力を込めた。


 決戦の扉を、開ける――。



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