永遠のお伽噺


「いや、興味ねえ」


 と、男が言ったので、とりあえず少女のみが、『女神さま』の元へ向かった。


「……あとでね」


 少女はそう、言い残して、振り返りもせず、行ってしまう。


        *


 座る。それから、そういえば『座っていいか』と聞いたんだっけか。と、思ったが、後の祭りである。その隣に、幼女、と、女流も、腰かけた。


「つーか、誰なんですか、その――」


 そういえば幼女に関してはモスクワで見たことがある。と、思い至り、優男は矛先をひとりに集中させた。


「女性は」


 一瞬、女流を見て、すぐ目を逸らして、男を見る。


 まず、いきなり問答無用に襲われた。次いで、流れとはいえ共闘し。最後には、奇妙だが、仲間のような存在になった。そんな優男を見て――そして現在の、また強く敵対心を持つような睨む目を見て、男は、やはり奇妙に、不思議な感情を抱いていた。さほど長いときを共に過ごしたわけではないし、多くの言葉を交わしてもいない。であるのに、彼には、旧知である僧侶やギャルと同じほどに、親近感を覚えるのだ。


「フィロちゃんである」


 胸を張って女流が答えた。両手を広げ、威風堂々と。


「名前を聞いてんじゃねえんですけどね。なんなんですか、その、奇天烈な格好は」


「可愛いであろう?」


「可愛いっつーか、可哀そうですね」


 優男は自身の頭を指さして、蔑むように言った。


「まあ、格好はいいだろ」


 男が、若干、自らの責任を省みながら間に入った。


「ただの『家族』だ。あんま気にすんな」


 その答えに納得したのかは解らないが、優男も、この話題については、もういい、と、口を閉ざした。そもそも最初から、その件についてはさして興味もない。


 また、その答えに、ひそかに女流がときめいていた。人生などという、そんな須臾よりも、よほどにはるかな時間を、ひとり、過ごしてきた。それが辛いと、悲しいと、寂しいと思うことすら、とうに飽きてから幾百年。稀に『試練』を訪れる者とわずかな時間を過ごす以外、ずっと、ひとりで。

 そうして、氷が解けるようにゆるりと消えていった『家族』という言葉に、概念に、いま一度触れて、ほんのりと思い出す。心が熱を持ち、もう一度、動き出す。消えた感情は、失われてなどいなかった。ちゃんとまだ、あった。そう、はっきりと、女流は理解できた。


「ゼノ。突っかかるのはそのへんで。……ハクくんのことは、私が信用しています。本日は『女神さま』に会いに来た。そして、私たちと話し合いに来た。それだけです」


 僧侶が、ぴしゃりと言い放ち、優男は舌打ちだけ、した。そうして僧侶が席につき、ようやっと舞台は整う。


 さあ、話し合いを、始めよう。


 ――――――――


 少女はひとり、進んだ。

 誰の案内もない。道は――その程度の未知は、見ればすぐに瞭然だ。




 それなのに・・・・・――。




 少女は、白亜の扉の前に到達し、そっと、触れた。同じようにそこに触れた者たち――過去にここを訪れた者たちの姿が、もはや目視できるほどに感じ取れる。そこに刻まれた、いくら状態を保ち、隅々まで綺麗に保とうと、どうしても残る、痕跡。それを見て、聞いて、触れて、嗅いで、味わい、すべてを理解する。

 確かに、いちおう少女の夫と呼ぶべき存在が、ここにいる。あるいは、家族とも呼べる、いまは亡き若者も、何度もここを訪れていた。他にも、さきほどの『本の虫シミ』のメンバーも何人かは訪れているし、……そうだ、淑女、ルシアも入ったことがあるようである。まあ、その程度なら、ここにまで来なくても、これまでの情報からだけで予測もできよう内容だ。しかし、ここに来てそれを確実に、少女は理解した。




 それなのに・・・・・、だ。




 それなのに肝心の、『女神さま』とやらの存在が、まったく解らない。




本の虫シミ』のメンバーの言――特に、この施設まで案内してくれた僧侶、タギー・バクルドの言うことだ、『女神さま』がいるのは、この部屋に間違いない。『女神さま』の存在は理解できなくても、他の人間が嘘をついているか否か、その程度なら少女には、いまでは当然のように読むことができた。いや、言葉になどする必要もない。ある人間が少女の前に立つだけで、少女はその人間の思考も、記憶までもほぼすべて、読み取ることができるだろう。

 だから、『女神さま』がいるのは、間違いなくこの部屋である。少なくとも、この部屋を訪れたほとんどの人間が、この部屋を『女神さまの踊り場』と呼ばれる、その存在がいるはずの部屋だと認識している。それは確かだ。


 それなのに・・・・・、この中に『女神さま』がいるとは、どうしても少女には思えなかった。それは、少女ほどの認識力があるからこその、吐き気にも近い違和感。

 あらゆる情報が、ここに現在、『女神さま』と呼ばれるようななにかはいないと示している。だが、特別に近しい者たちの確信としては、現在ここに、『女神さま』がいるという思い込みに満ちている。そしてその齟齬は、どうあっても解消されない。


 いや、たったひとつだけ方法がある。この扉を、開けることだ。


「まったく、本当に――」


 少女はその感情を、久しく忘れていた。シュレディンガーの猫を確認するような、緊張した神妙さで――


「ぞっとしないわね」


 扉を、開ける。


        *


 まず、目が合った。


「わっ」


 と、素直に驚く。……誰よ? と、ワンテンポ遅れて、疑問を持った。なぜなら、見るからには『女神さま』ではない。部屋に入ってみてもいまだ、『女神さま』の正体は理解できないでいたけれど、それはまず、間違いない。


 だっては『彼』――男性なのだから。

 ……まあ、男性がなんらかの理由で『女神さま』と呼ばれている可能性もなくはないけれど、まあ、……ないだろう。


「……女神さま、って、いる?」


 たどたどしく、少女は彼に問うた。


「…………」


 彼は黙って、少女を見つめている。少女も困惑して、間を取った。

 するとややあって、くい、と、彼は顎でどこかを示した。それを辿ると、なるほど、この部屋、唯一と言っても過言ではない家具、あまりに豪奢な、黄金造りで、天蓋付きのベッドが、そこにはあった。天蓋から落ちるカーテンは薄く、その内側の様子を、ぼんやりと映し出している。


 軽く会釈をして、少女はそのベッドへ、ゆっくり近付いた。まったく、扉を開けるだけでもだいぶの警戒を要したというのに、またひとつ、蓋を開ける必要があるなんて。そう思った。


 そして、そういえば彼、なんなのかしら? と、ようやく疑問を持てた。『女神さま』だけじゃない、彼の存在だって、少女は事前に把握していなかった。だとしたら彼も、『女神さま』と同じ、なんらかの手法を使って気配――というか、存在の証拠を消している? いったい、どんな手法で? そして、どうしてそんなことを?

 考える。その思考は結局、なんらの答えをももたらしはしなかったけれど、それだけ、少女の歩みを緩慢にさせた。


 そして、それにより余計にかかった時間によって、少女は、自らの方からカーテンを開ける機会を逸してしまったのだ。


 その幕は、内側から、開かれる。


        *


「やあ、ようやく来たか。ノラ・ヴィートエントゥーセン」


 はたして、金髪碧眼の、かくも美しい女性――『女神さま』が、全裸のまま、それを恥ずかしげもなく晒して、少女の目の前に、ようやく・・・・姿を現した。


 おもむろに、いたずらっぽくなにかを含むように笑んで、『女神さま』は口を開く。




「ふふっ……。君と会うまでに・・・・・・・200話も・・・・・かかって・・・・しまったね・・・・・




 少し目を細めて、顎を上げる。視線を下げるように少女を見て、『女神さま』は、美しく、笑った。



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