地上の制圧者


 もう、とうに満身創痍だ。長く毒に侵され、数多に策を巡らし、肉体も限界以上に酷使した。

 その結果が、これ・・だけだ。ブロンドメイドの腕一本……ではない。ここまで生き残れた、というだけ。


「まったく……ついでにこのあいだの返礼をさせてもらおうかとも思ったが、……まあ、いい」


 その、すでに動けもしないほどの姿を見て、執事は息を吐いた。こんな状態の男と戦ったところで意味がない。そう思ったのである。


「カルナ!」


 メイドが制止する。が、そもそもとうに彼自身、止められるまでもなくその選択肢を捨てていた。


「妙な因果だな。いまはアルゴ姉の主人だとは。……と、いうことは、貴女も敵ということになりますね、これからは」


 もう一度嘆息して、執事は、男とメイド、そして、もう一人の幼いメイドになにかを投げる。


「とりあえず、抗痙攣剤をメインに調合した応急用の錠剤を用意してきた。一時的にしきみの毒を緩和できるだろう。急ぎCODEコードに入る必要はあるが」


「なんだ? 助けて、くれんのか?」


 言葉を発するのも、あるいは、もはや呼吸すら苦しそうに、男は問う。


「簡単に死なれでもしたら興醒めだ。それに、本日おまえに用はない。氷守こおりもりはく


 ギロリ。と、睨み下ろし、執事は冷たく言った。


「なんか、だいぶ、雰囲気、変わったな。ナイト」


 疑う気持ちはあったのだろう、やや逡巡したが、錠剤を飲み込み、男は言う。


「人間に戻っただけだよ、俺は。貴女もそうでしょう? アルゴ姉」


 少しだけ口元をゆるめて、執事は、男へ。次いで、メイドへ、顔を向ける。

 地下世界。シャンバラでの経緯について、メイドはそのほとんどを知らない。だから、小さいころに面倒をみた少年と、自分が仕えている主人との間になにがあったかについて困惑する部分もあったけれど、それどころではない、と、彼女は必要な情報だけを受け入れた。


「ええ、カ……ナイト。今日こそ、二人で、打ち負かしましょう。……我々の、大先輩を」


 メイドも、錠剤を飲み、立ち上がる。さして即効性のある薬ではない。が、そこは精神力と、うちに宿る極玉きょくぎょくの力で、無理矢理なんとかする。


「やはり少々、見栄えが悪いですわ」


 決意を新たに敵対してくる後輩たちを前に、ブロンドメイドは悠長に、切り落とされた腕の先を確認した。

 その、接ぎ木のように即興の義手を生やした、木製の腕を。


        *


 樒。


 その生体すべてに毒性を宿し、中でもその実は、生物としては唯一、劇物に指定されているほどに危険な植物。


 EBNAにおけるメイドナニー執事バトラーの、一般よりも高度な教育は、いわゆる第一世代――あるいはそれ以前から行われてきたが、極玉と銘打たれた人間以外の細胞をあらゆる方法で移植して、人間を超える実験がされたのは第四世代以降である。

 その人体実験の初期には、動物よりも植物の細胞を用いることが多かった。それは理論上、副作用が起きにくそうであるとか、入手や加工の容易さであるとか、まあ、いろいろ理由はあったのだが、それはともかく、事実そのようにして研究は進んだのである。


 だが、植物の細胞を用いていてはうまくいかないことが多かった。それは、うまく能力が発現しないだとか、拒絶反応が起きるとか、そういうことではなく。単純に、植物では生命力――もしくは、精神力が強すぎたからだ。

 植物の極玉は、ものすごい速度で人体を侵食した。ほんのわずかな投与でも、簡単に人体を乗っ取ってしまうほどに。確かに当初の理論通り、人体への副作用は少なかった、が、その分、精神への浸食が甚だしかったということになる。だから、植物の極玉を移植されて生き残った者は、ほとんど皆無と言っていい。


 というより、一人しかいない。


 それがこのブロンドメイド、ダフネである。


 彼女は極玉移植以前の段階から、すでに周囲を圧倒するほどの高品質・・・なメイドだった。後にも先にも、極玉による人体改造を除いた純粋な『教育』という意味では、彼女を越える逸材は育て上げられていないほどに。そして、だからこそ強力な精神力を持つ植物の極玉にも耐えきり、どころか完全に自身と同化させ、天然極玉として扱いきれるまでに成長した。


樒人間ワーイリシウム』。それが彼女に与えられた名前だ。


 その力は、樒の持つ毒性の放出。そして、その樹木を操るものである。


        *


 ググググ……。と、少し鈍い音を鳴らしながら、ブロンドメイドは極玉の力で生成した腕を動かした。ややぎこちないが、どうやら普通の腕と変わらないくらいに動かせそうである。つまり、腕一本を落としたことによる優位はほとんどないといっていい。


「これだけの傷を負ったのも久しぶりですわ。極玉により自己再生力も強化された我々と言えど、再生不能なほどの重傷……そうね、人生で三度目、ですわね。一度はアナンの出荷試験。そしてもう一度はムウと……」


 言いかけて、ブロンドメイドは言葉を切った。複雑そうな表情をするけれど、きっと本心は違うのだろう。そんな表情で。長く見続ければそれほど、確かに『道具』のようなものに見えてくる。そう、男は思った。言葉と連動して表情を変えるのに、やはりどこにも心などなさそうだ。そういうふうに、見え方が変わっていく。


 そして、見た目もだ。いや、彼女自身の見た目にはたいそうな変化はない。せいぜいが切り落とされた腕が木製に生まれ変わったくらいで。しかし、彼女の周囲は変化する。うねうねと、まるで蛇――巨大な蛇のように成長する、樹木。その枝や、根。それらが彼女を守るように、あるいは男やメイド、執事を威嚇するように攻撃的に、蠢く。


「気を抜くなよ、ああなったらダフネも、自分から仕掛けてくる」


 執事が言った。並び立つメイドや、あるいは後ろでまだ立ち上がれずにいる、男へ向けて。


「解っています。というより、むしろあなたが問題でしょう。禍斗かとの力は使わないのですか?」


 メイドが問い質す。自分はもう、極玉を完全開放している。肌は赤く滾り、額には角。ただ彼の知る自分と違う点があるとすれば、その状態でまだ、自分自身を保っている、ということ、だろうか。メイドは思い、だからこそ、自分と同じほどの成長を彼に期待した。


「あいにく俺は、まだ極玉と和解していないものでね。しかし貴女はもう使いこなせるようだ。さすがアルゴ姉」


「いいえ、こうなれたのも、ご主人様のおかげです」


「そうか」


 執事は少しだけ、口元を緩めた。


 そうだろうな。と、思う。ほとんど関係のない自分が救われたのだ。あの男に仕えている、いつか姉とまで慕った彼女は、救われていないはずもない。

 執事はそう思って、一瞥、後ろを振り返った。相も変わらず頼りなさそうな、弱々しい男を。


「思えば、この事態は僥倖ですわね」


 ブロンドメイドが言う。


「もはや完全に我々に反目したメイド。そして、出荷された途端、我々との関わりの一切を断っていた――事実上の敵対を示していた執事。その二人をここでまとめて葬ってしまえる。実に、僥倖ですわ」


 蠢いていた樹木が、ぴたりと止まる。攻撃にも、防御にも、いついつでも行動できる準備を終えたと言わんばかりに。


ハクお客様のおられるこの場で、とは、少々気が咎めておりましたが、仕方ありませんわよね。こうも我々に敵意を向けられては」


 言いながら、慣れた動作でブロンドメイドは、髪を、マーガレットに編んだ。それは、髪を解いたメイドとは対照的に、今度こそ、メイドとして――『道具』として、立つために。


「おいでなさいませ。アルゴ。カルナ。EBNAに仇なすものとして、これよりあなたたちを全力で、駆除致します」


 無機質な表情で、ブロンドメイドは、言った。



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