幕間(2021〜2026)

Last Name


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 これは、2021年から2026年の間のいつか、どこかで起きた事件、その一部である。そのいくつかは、少女たちの視点から見て把握されているものもあるが、他のいくつかは、まったく情報を得られておらず、知られていないものも含まれる。


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 2026年、五月。

 台湾、台北。


 高層ビルの上階、その一室。フロアの照明を点けずとも光の差し込む、四方をガラス張りに包まれたその部屋で、壮年の男性がきっちりとした臙脂えんじのダブルスーツに身を包み、立っていた。

 ピリリリ、ピリリリ。不意に、鳴動する。


「私だ」


 壮年はいまどき珍しいフィーチャーフォンを取り出し、応答した。


『フルーアです。申し訳ございません、此度も――』


「そうか。解った。引き続き捜索してくれ」


 壮年は電話先の言葉を先取り、端的に答えた。そこには感情などないように。ただただ事務的に、物事を処理していくかのごとく。そして、次の相手の言葉も待たずして、耳元からフィーチャーフォンを離した。


『お待ちください、リュウ様』


「なんだ?」


 声が聞こえるなり彼は改めてそれを耳に当て、応答する。苛立ちもなにもない。やはり徹底して、事務的に。


『申し訳ございませんが、わたくしフルーア・メーウィン。一年ほどお暇を――』


「了解した。引き継ぎはこちらでやっておく。戻ってくるなら一報を入れるように」


『ありが――』


 おざなりな感謝の言葉など聞くに値しない、と、壮年は今度こそ通話終了ボタンを押し、流れるように別の番号へ電話をかけた。


「私だ。ラージャン捜索の件を君に引き継ぎたい。……ああ、よろしく頼む」


 その電話は、それだけで済んだ。

 しかし、あの戦争から数年経った。であるのに、まだ発見できないとは。そう思い、壮年は思考を巡らせる。次なる一手を。他に打つべき、最善手を。


「メイリオがいれば、もう少し手っ取り早いのだがな」


 戻らない学者のことを思い出す。しかし、いつ戻るかも解らない者を歯車に組み込むことはできない。壮年は、すぐにその考えを捨てた。


 愚直に、とにかくいまできる最善手を。


 壮年は考え続ける。また、そしてまた、どこかへ電話をかけ始めた。


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 2021年、四月。

 イギリス、エディンバラ。


 とある、地下施設。


 幾十のモニターに囲まれた、薄暗い一室。照らし出すはモニターの光源と、いくらかの機器が発する、機械的な光。パープルオロカーボン類を基調にした液体に満たされ、様々なプラグが繋がる、人ひとりを収容するに適したサイズのカプセルが立ち並んだ。そんな、せせこましくも広大な、一室。


「いひひひ……いひ! 動いたぞお」


 その部屋の主であろう、醜悪な顔つきに肥満した体を携えた全裸の醜男ぶおとこが、興奮した様子でひとつのモニターにすり寄った。


「どうかされましたの? スマイル様」


 その醜男と同衾していた、長い金髪を美しく伸ばした美女が、眠そうに瞼をこすりながら、問う。そのモニターを覗き見るに、いったい世界でなにが起き始めているのか、美女には容易に理解できたが、この醜男は聡い女を好まない。それを知って、彼女はとぼけたのだ。


「解らんか、ダフネ? 世界が動き始めたのだよ。ようやっと、『異本』が世界に認知されるときがきたのだ。いひひひ……。あのガーネットのクソ娘が消息を絶ってからまだ半年。このタイミングで、やつらが動いた。世界の風が、この私に吹いてきているとしか思えん!」


 ちょっとなに言ってるのか解らない。と、つっこみたかったが、ぐっとこらえて「それは素晴らしいですわね」、と美女は答えた。いや、確かに、醜男にとって都合よく事が運んでいるのは事実だったが。


「よし、外にいる者を、できる限り呼び戻せ。それから、第八世代はもう動けるだろう? また第九世代も、使えそうな者には準備をさせておけ」


「準備……ですか?」


 それにはいくらか候補がある。ゆえに、確実にはその意図を推し量れず、美女は、本心からの疑問を投げつけた。


「横取りだよ。いひひひ……。『テスカトリポカの純潔』、『白鬼夜行びゃっきやこう 九尾之書きゅうびのしょ』、あわよくば、『ユグドラシルの切株』。いまだ行方の解らぬ、『極玉きょくぎょく』を孕んだ『異本』が、この機会に発見されるかもしれん」


「かしこまりましたわ。それでは、さっそく」


 言って、その美女は衣服を纏う。そんなことは目にも止まらぬ一瞬で終えられるが、あえて、時間をかけて、ゆっくりと。


 数分をかけて着終え、最後に髪を結う。癖のある美しい金髪は、きっちりと整えられたマーガレットへ。黒いロングのワンピースに、真っ白なエプロンを纏った、その姿はまごうことなき、メイドたる様相だった。


 そして、一礼をして去って行く。足取りはゆっくり、ゆったり。まるで名残を惜しむかのように。


「おい」


 美女が去ってから、声音を変えて、醜男はドスを利かせた。


「はい、スマイル様」


 すると即座に、どこから現れたか解らないほどの高速で、見目麗しい執事がかしずく。


「次の女を呼んで来い。今後の策を練る」


「かしこまりました」


 言って、消えるが早いか、次のメイドが現れるが早いか、どちらともつかない瞬間で、そのメイドは、うやうやしく一礼した。


「お呼びいただき光栄でございます。スマイル・ヴァン・エメラルド伯爵」


 その姿はやはりまごうことなき、黒髪のどこにでもいそうな、メイドであった。


 ――――――――


 2022年、二月。

 インド、コルカタ。


 とある遺跡の奥。一般人が立ち入れない、秘められた祭殿。


「劣勢……ですか」


 その僧侶は頭を抱えた。いついつでもそのスキンヘッドを抱えるのがよく似合う僧侶であったが、今回こそはその動作を行うに適した場面であるといえよう。


 最初は、小さな諍いであった。もとより敵対してたわけではない。しかし、その小さな諍いを発端に、徐々に争いは激化。いまでは戦争、と呼ぶに値するほどの死者が出てしまっている。


 もちろん、国家間の戦争ではない。一般的にはどの国でもメディアにすら取り上げられてはいないだろう。それでも、水面下では確かに、宗教戦争とでも呼ぶべき、『異本』を巡る争いが起きていた。


「主教、それがしが行こう」


 名乗りを上げるは大男。しかし、その筋骨隆々な立居姿も、どこか疲弊している。いや、彼に限らない。その場にいた者たちは、みなが疲弊しきっていた。


「いえ、あなたにはやるべきことがあるはずです」


「だが、主教!」


「言わないでください」


 ぴしゃり、と、僧侶は言った。


「教祖も失踪。他の主教たちも、みな『異本』を明け渡し、敗走しています。それでも、我々は戦わなければならない。せめてこの場くらいは――『女神さまの踊り場』くらいは、守り通さなければ」


 ふう。と、息を吐き、僧侶は語る。


「幸い、この場所は敵方に見つかっていません。我々はここを死守する。それでいいのです」


「だが……!」


 大男はまだ食い下がろうとした。だが、言葉を無理矢理に噤む。それは、唇を噛み裂くほどの辛抱とともに、言葉にならない怒りや悲しみを、叫んでいた。


「気持ちは解ります。カイラギさん。ラオロン翁のことも、エルファのことも。……私だって、同じ気持ちのつもりです」


 そう。それを解っているから、大男は言葉を飲み込んだ。

 ドサリ。と、埃を撒き散らし、大男は地面に座り込む。苛立ちを、どこかへ発散するように。


「せめて、アリスとゼノがいてくれたら。まだ、抵抗のしようもあったんですけどね」


 そう言って、またも、頭を抱える。


「「タギー!!」」


 そんな僧侶の名を呼び、いたいけな二人の娘が駆け寄る。現状の重大さなど欠片も知らない無垢さで。


「おお、どうした、二人とも。スキンヘーッド!」


 とりあえずの朗らかさで、僧侶は応対した。持ちネタとともに。


「「ぺしぺしー」」


 楽しそうに二人の娘は僧侶のスキンヘッドを叩いた。その加減のなさは子どもらしく、輝く頭には無数の手形が浮かび上がる。


「こらこら。私はお仕事中ですから、カイラギのおじさんに遊んでもらいなさい?」


 僧侶が言うと娘たちは眉をしかめ「「ええー」」と声を揃える。


「カイラギのおじちゃんは」


「うんうん」


「たまに首絞めてくるから危ないんだよー」


「そうそう」


 片方の娘が語り、もう片方は相槌を打つ。上下関係のよくできた姉妹だった。


「カイラギさん、なにをやってるんですか、あなた」


 僧侶は目を向ける。


「いや、加減が解らんでな。面目もない」


 大男は俯き、頭を掻いた。


「しっかりしてくださいよ、本当。あの子に申し訳が立たないでしょう」


「心得てはおるのだが」


 それでも、怖いものなど知らぬ娘たちは、その大男に駆け寄った。きらきらと、未来へ向けた瞳を輝かせて。


「とにかく、任されたのはあなただ。私たちもやれることはやりますけど、あなたの代わりにはなれないのですよ?」


 僧侶は言う。それに、極めて優しい手つきで、娘たちに応える大男。


 誕生と、決別と。契りと誓いは、どんな戦場にも芽生えていた。


 ――――――――


 2026年、七月。

 南極大陸。


 気温マイナス九十度。その、地球上で最も過酷な寒冷下にて、特段の防寒もせず、向き合う二人。


「この場で終わりにしよう。斑炎はんえんの悪魔、ネロ」


 かたや、純白の衣類に甲冑を纏った、まさしく騎士。


「げひゃはははは! げは! ぅおぉい! つれねえじゃねえか、氷桜ひょうおうの騎士、ベリアドール!」


 かたや、目を血走らせた、灰色の薄いコート――いや、布きれを纏った狂人。


 どちらもこの地に降り立つには軽装すぎる軽装で、それでも体を震わせもせず立ち会っている。日の光が射さない極夜の中。視界を覆う吹雪と、闇を照らすオーロラの注ぐ世界で、二人の人間が――そして、二つの『異本』が、ぶつかり合う。


 一人の勝者と、一人の敗者を、生み出すために。


 ――――――――


 同日。

 どこかにある、神殿。


「んん……。やーっぱ負けたかぁ」


「まさか、あの男が?」


 一人の少女と、一人の男。その取り合わせでその場にいる二人は簡潔に、言葉を交わした。


「まあ、たかが異世界転生者・・・・・・。特異な力を授かって、転生から紆余曲折、がんばった程度じゃ、そうそうなにかを成し遂げられやしないでしょ」


 ういー。っと、伸びをする。そんなことなど、どうでもよさそうに。むしろ問題は、その先にあるように。


「それよりさ。そろそろいい感じに出来上がる・・・・・ころなんだよ! 楽しみだなあ。僕のもとへ来るのも、もう遠くない未来に差し迫っているね」


「それは、なんというか、……畏れ多いことで」


 楽しげな少女を脇に、男はやや複雑な表情をした。


 自分が特別だとは思わない。しかし、彼女に誰かが新たに出会うことを、彼はよしとできなかった。それを止める術は、彼にないとしても。


 そんな彼の心境を見透かして、少女は彼に手招きした。それにつられて男が寄ると、少女は、彼を、大手を広げて抱き締めた。


「だいじょーぶだよ。僕はみんなを愛している。誰も特別にはしない。僕は、みんなの僕なんだから」


 そう言って、頭を撫でる。一回りは歳が離れているであろう男を、なだめるように。


「解ってるよ。女神さま」


「それならよろしい。従順な下僕くん」


 少女改め女神は、男改め下僕を見下し、微笑んだ。


「ああ、そうそう」


 女神から離れ、所定の位置に戻ろうとした下僕の背中に、そのように声がかかった。


「そろそろ一人、下僕が帰ってくるから。できれば君にも、仲良くしてほしいなあ?」


 ズキン。と、心が痛む。しかし、それを取り繕うように下僕は微笑み、応答した。


「ああ、もちろん」


 その本心を悟られていると知っていても、せめて外面は整えて。


 そんな彼の心など、とうに掌握した女神は、天を仰ぐ。白亜の天上。その先にある、宇宙をも、異次元の空間をも見据えて。


 物語の始まりを、予見して。



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