40th Memory Vol.41(地下世界/シャンバラ/??/????)


「うぐごうおおおおおぉぉぉぉ――――!!」


 男は蘇った。うん。それでいいんじゃないかな。


「おお。生き返ったか、末弟」


 女は楽しそうに言った。男の血走った目や、いまにも暴れ出しそうな反応など捨て置いて。


「痛え! くそ痛え! じゃねえ! ぐおうおおおぉぉぉぉ――――!!」


 もはや言葉は要領を得ていない。もちろん体も。近付くものを問答無用に払い除ける物理的な力を持って暴れている。この世界の弾力ある地面を跳ねながら、いまにもどこかへ旅立ってしまいそうだ。


「痛ってえ! なんじゃこりゃ! あはははは! 死ぬ! 普通に死ぬっ!」


 転がっていたが、それすらも痛みになると把握し、頭を抱え、震えてうずくまった。鼓膜を刺激する振動すら、ワインを二本空けた後のように頭に響く。痛みの増幅。その『異本』がもたらすデメリットは、日常生活を送るだけでも不便極まりなく対象者を襲った。


「ハクううぅぅ!!」


 そんな『異本』の効能など知らぬギャルが、無遠慮に抱き着いた。そのダメージに、男は声にならない叫びを上げる。


「よかったぁ……生きてた……ハクううぅぅ――」


「痛え! 痛えっ! あ、アリス! マジで死ぬ!」


「大丈夫じゃ。死にたくとも死ねん、これより二十四時間はな」


 痛みに悶えて加減なくギャルを突き放そうと奮闘する男だったが、元来の力関係上押し切られ、組み敷かれたまま、抵抗むなしく、ただじたばたするしかできなかった。そんな男へ、女はやはり楽しそうに、高みから言葉と視線を落とすのみである。


「ホムラ……まさか、俺に――」


「ああ、使った。『ミジャリン医師の手記』を」


「そ、……そうか――」


 男は理解する。激痛に全身を震わせながらも、極めて冷静にギャルを押し除け、落ち着く。息を吐き、息を吸い、……息を吐く。


「……痛ってええええぇぇぇぇ――――!!」


 だが、耐えきれずに叫びを上げる。理解し、覚悟し、腹を括ればなんとかなると思っていたが、無理だった。地面に拳を叩きつける。せめて痛みが分散すれば、気も紛れると――そんなことを思ったわけではないが、とにかく暴れるしかなかったのだ。だが、それすらも柔い地面に邪魔される。ぽよん、ぽよん。地面は彼の拳を傷付けることなく、平和に平穏な音を刻むのみだ。


        *


「ともあれ、なれは寝とれ。……ミジャリン?」


「……なんだ?」


「こやつは当分、死にたくとも死ねん。その前提で、治療はできるか?」


「……正直、難しいな。ただ傷口を塞ぐ程度なら可能だが、臓器も深く損傷している。人間の自然治癒力に任せた縫合だけでは不十分だ」


「なんと」


 本当に驚いて、女は顔をしかめた。どうやら、死なない前提なら治療は可能と思っていたらしい。


「すまぬな、末弟。汝、死ぬしかないようじゃ」


「だったら早くしてくれ。マジで痛えんだよ」


 声量は抑えたが、声は震えていた。もちろん顔も、引き攣って、痙攣して。


「そう簡単に死ねると思うな」


 女は言った。低く、沈んだ声で。


「ミジャリン。縫うだけでいい、できるだけ精密に頼む。……まるで、その肉体が自己治癒力を限界以上に発揮している、というつもりで」


 女の言葉に、おきなは無言で頷く。針と糸は……どこから調達したのだろう? この、物質的に欠如した世界で。


「『Des Larmesラーム dansドン le Cielシエル』。そして、『マール・ジーン』。連結発動コネクト。六十分」


 不意に、雨が降る。血を洗い流すような豪雨が、局所的に。そして、見る見るうちに回復――いや、再生する。傷を塞ぐほどではなくとも、血を止め、傷口の輪郭を、少しずつ狭めて。


「『新たなる静寂の鏡』。一分」


 さらに追加で、女は『異本』の中から、抜身の刀を取り出す。それを翁に差し出し「止血に使え」、そう言って、仕事は済んだとばかりに、視線を背けた。


 むしろ仕事は、そこからだというのに。


 乱心した執事が、動き出す。


        *


 はたして、人類はどの時代から、そしていつになるまで、大空に焦がれるのだろうか?


 自分たちよりもはるかに矮小な小鳥に嫉妬し、大小さまざまなからくりを組み上げた。そして、自分たちが住む惑星を股にかけ飛び回り、ついには天空に輝く他の星々にまで足を延ばす。だがいまだ、その果てを知らず。


 人類は、これだけ発展した科学の庇護下にあっても、途方もなく挑戦し続ける。その肉体の、頭脳の、精神の限界を超えてまで――超えたその先の、空へ。


「一……二……三――」


 その夢の、ひとつの到達点とも言うべき姿で、睥睨へいげいし、彼の者はただただ淡々と、指さし数えた。


「四……五……六……七……七匹、いや――」


 漆黒――。そう呼ぶには粗が目立つ。限界まで焼け焦げた全身の煤色に、白く輝く両翼を広げる。もはやいったいなにが現実か、どれが常識なのか解らないが、直観的に、取って付けた・・・・・・ような・・・翼を生やして、その執事は飛んでいた。十二分に人間を見下せるほどの――具体的には上空十メートルほどの空中に、滞空しながら。

 その、あまりにも神々しく、不格好な姿で、世界を見下す。


「八匹。……八秒、と言いたいところだが、……いや、もういいか、そんな戯れは」


 眼下を数え終え、最後に、どこか遠い地平線を眺めて……彼は嘆息した。ぼたぼたと、よく見れば、常になにかを流れ落としている。その全身から――真っ黒に焦がした、その全身から、絶えず。


 涙のように、血を、振り撒いていた。


 その痛々しい姿に、またもどこから取り出したのか、一本の長槍を握り、構える。地に足は付いていないが、それでも踏ん張るように股を開き、天空へ掲げ、逆の手は眼前に、狙いを定めるように――まさしく投擲の構えを。


 だから、地を這うネズミは一部、臨戦態勢を取った。倒れた男はそのままに、治療する翁はそれに集中し――ギャルはそんな二人を守るように立ち塞がって、その影に頭を抱える学者が一人――優男は迎撃するかのように右手を銃の形にし、女は余裕そうに赤い『異本』と紙幣を掴むのみで――そして、青年は地面に黄金の杖を突き立てた。


 各自、思い思いにその一点を警戒し、見上げる。そんな彼らを俯瞰し、執事は、思い切りその槍を、投げた。


        *


 速い。確かに速い。あの異形とも言うべき姿は伊達じゃなく、おそらく筋力も、人類が到達できる域を超えているのだろう。


 だが、遠すぎる。そう、青年は思って、いま一度、黄金の杖を持ち上げ、地面に突き立てる。この距離にて、単なる投擲。これでは躱してくれと言わんばかりだ。だが――


「案の定、身共みどもからですか」


 青年は、ため息を吐いて、構える杖へ命ずる。いわく、刃を防ぐことを。


 そこに生み出されるは、物理的な壁ではない。だから、その壁への接触に、鋼の打ち合う音はしなかった。ただただ時の静寂のように、空中で彼の槍は、静止する。


 完全に止まってから、青年は視線を、執事へ向けた。はるかなる高みへ、よく目を凝らす。そんなものは無意味だ、という思いを込めた、ニタニタとしたいやらしい笑みを向けるため。


 だが、執事は微塵も動揺しない。黒く焦げた肌。そしてこの隔てた距離。ゆえに、完全に彼の表情を読み取ることは難しいが、それでも青年は本能で、攻撃がまだ終わっていないことを知る。


「なっ――!!」


 視線を改めて槍に戻すと、あり得ないことに、その槍は向きを変え、青年が作り上げた壁に沿うように・・・・・・・真横へ動き出した。それも、高速で。


 いや、動くというほど意識的ではない。瞬時に理解する。その動きは、ただ流れているだけだ。最短距離を。遮蔽物との衝突、それによる減速や静止。それらをすべて無視して・・・・、目標まで蠢き続けている。


 次の瞬間、槍は壁の端にまで到達したのだろう、その刃先を改めて青年へ向け、やはり直線の最短距離で――しかも、これまでの減速など、もとよりなかったかのような速度で走り、青年を襲う。


 どういうわけか、宝杖、『ブレステルメク』による壁では防げない。青年は目前に迫った槍を、単純な杖による払い除けで弾く。だが、弾かれた槍は瞬間、距離を空けるのみで、またも刃先を青年へ向け、さらなる加速で飛来した。


 ゆえに、その構造を理解し、青年は諸手を広げる。これを防ぐ手段は、ない。だがしかし、だからどうした? という気概で。諦めよりもよほど強固な、笑みを湛えて。


 突き刺さる。青年の体は千切れ、白い幾千の紙片へと変わる。槍はその勢いで、彼の肉体を構成していたそれら紙片を吹き飛ばす。その視覚を狭める幻のような光景の中、いつの間にか、槍は消えていた。


「概念拒絶の壁。とでもいったものか。だが、せいぜいが五メートル。……そんなもので、『パラスの槍』は止まらない」


 件の槍を、またいつの間にかその手に握り、執事は言った。


「……の、ようですね。そちらは、目標を必ず射止める、いわば必中の槍、とでもいうものでしょう。しかも、貫いた後は持ち主の手に返る」


 また、どこからか青年が一人現れ、そう言った。ニタニタと、まだ余裕そうに空を見上げながら。


「主人の仇討ちですか? 実に、くだらない」


 問いとともに、今度はこちらから、と言わんばかりに、青年は広い袖口から扇を取り出し、開く。その表面を相手へ向けて、自らの口元を隠した。その陰で、音を鳴らす。


「……そう見えるか?」


 極限まで増幅された音は、衝撃波となり空を割り、進んだ。だから、執事のその声は、掻き消える。


「『アイギスの盾』」


 執事は、やはりどこから取り出したのか解らないままに、その、二メートルを越える巨大な盾を構えた。


「馬鹿な……音ですよ? そんなもので防げるわけ――!?」


 自分の言葉を心中、即座に否定し、青年は杖を突き立てる。音は、目に見えない。ゆえに、半分は勘だ。普段であれば、互いの間にある、枝葉や岩など障害物への影響から予測するのだが、現在、その世界にはそれら物質が圧倒的に足りなかった。だから、せめてもの遮蔽物である大気の乱れから、青年は感覚的に防御の姿勢をとったのである。


 そして、その行動は正解だった。


 空間が揺れるほどの衝撃。自らが発した音での攻撃より、はるかに強い振動が、その場を襲う。


 音へは音で、打ち消したうえで反撃した? いや、違う。にわかには信じがたいが、まさか――


「これが本物の守りだよ。『アイギスの盾』は、受けた攻撃を、倍にして跳ね返す」


 盾の影から身を出し、執事がご丁寧にも解説してくれた。


 青年は、口元を歪める。その厄介さを理解して。


 ただ防がれるというだけなら、その隙を突けばいいだけ。あれだけの大盾だ、その後ろに隠れる執事自身、視野が狭められる。だが、跳ね返されるとなれば、それは、攻防一体の、まさしく隙のない戦闘行動。しかも、彼の言を真に受けるなら、倍で・・跳ね返される。下手な攻撃は自らの首を絞めるだけとなってしまうだろう。


「さて、絶望は十分か? ……『グラウクスの翼』」


 執事が言うと、それに呼応してか、わずかに、その背の翼が震えた。


「そろそろ本体を、貫かせてもらう」


 執事は言うと、再度、槍を構えた。眼下の青年へ向かって、狙いを定める。


 だが、その投擲の段になって、急に大きく狙いを外し、あらぬ方へと槍を投げた。……そして、次の瞬間――。

 その場にいた青年が、槍に貫かれてもいないのに、体を数多の紙片へ変えた。


「まず、一匹」


 執事が冷酷に、残りの者たちへ、向き直る。



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