65. 家出する王女 - 1

(隣国の女騎士、バート視点)


 我が国がガンビール王国を滅ぼして10数年になる。ガンビール王国は長年に渡って我が国を征服しようと狙っていたから当然の報いだ。もっとも最終的にガンビール王国を滅ぼしたのは我がコトルラ王国だが、我が国は魔族の国との戦いに敗れ見る影もなく弱体化していたガンビール王国に攻め込んだだけだ。本当の意味でガンビール王国を滅ぼしたのは魔族の国だと思っている。


 あの強国ガンビール王国を滅ぼした魔族の国は一気にこの大陸最大の国になった。しかも、唯一人間以外が支配する国だ。いつガンビール王国の様に周りの国を征服してくるかもしれない。それに対抗するため我が国は他の国と同盟を結び魔族の国の暴走に備えた。300年前のオーガキングの例もある、多くの国が魔族の国を恐怖するのは当然だった。


 だが、一時は魔族の国と大陸を2分する勢力を誇った同盟も今は劣勢だ。その原因は魔族の国の姑息な戦略にある。魔族の国は交易を通して他の国に食い込んでいった。特にエルフが育てるさまざまな香辛料、アラクネが作り出す絹を遥かに凌駕する糸と布、名刀揃いと言われるドワーフの剣、そしてなにより魔物の森で採取された薬効の高い薬草を武器にしたのだ。それらの商品がもたらす膨大な富に引かれて多くの国が同盟を離れて魔族の国側に付いた。魔族の国側に付けば無償で黒死病の薬を提供してもらえるという噂もある。黒死病が一瞬で治ってしまうと言う。そんな奇跡の様な薬があるとは信じられないが、事実だとするとそれだけでも魔族の国に付く理由になるだろう。どの国も黒死病で毎年何万人もの国民がなくなっているのだ。王族や貴族であっても病気からは逃れられない。


 そんなわけで我が同盟は存続の危機にある。最近我が国の最高会議の議題は魔族の国の事ばかりと聞く。噂では王は苦しい立場にある様だ。王としては今までの魔族の国に敵対する方針を変更し、他の同盟国と共に魔族の国と友好条約を結び、共存の道を探したいと考えておられるらしいが、主流となっている強硬派は同盟がじり貧になる前に一気に魔族の国に攻め込んで決着をつけることを主張しているとのことだ。強硬派の主張では、魔族の国は我々反魔族派の国を取り込むために今のところはその凶悪な本性を隠してどの国とも友好的に接しているが、我々が魔族の国と和解して敵がいなくなれば本性を現すに決まっている。そうなってから戦ったのでは遅いと言う事らしい。


 ある日、いつもの様に私が騎士としてお仕えするカリーナ王女の元を訪れると、何か様子がおかしい。部屋付きのメイドたちが縋るような目つきでこちらを見て来る。部屋の内部には色々なものが散乱している。まるで誰かがテーブルや棚に置かれた装飾品やぬいぐるみなどを手あたり次第に投げ散らかした様に見える。もちろん犯人はカリーナ姫だ。カリーナ姫は国王の第5夫人の2番目のお子様で、国王の8番目の姫にあらせられる。歳は15歳、そろそろ婚姻の話が決まってもおかしくない年齢だ。性格は明朗、闊達。竹を割ったような人柄だが、欠点として時たま癇癪を起こす。ピンク色の髪に緑色の目が似合う綺麗なお顔をされているのに残念だ。


 これは不味い時に来た。そっと部屋から退出しようとしたが、時すでに遅し。カリーナ姫に見つかってしまった。


「バート! 良い時に来てくれたわ。ちょっとこっちに来て秘密の話があるの。」


どうせ碌なことではないのだろうが、主人の命令に逆らうわけにいかない。私はカリーナ姫に従って姫の寝室に入る。寝室と言ってもさすがは王女様の部屋、ベッドだけでなくちゃんとテーブルや椅子もあり、お茶会くらいは余裕で出来るだけのスペースがある。我家とは大違いだ。


「バート、あなたは私の騎士よね。」


椅子に座るなりカリーナ姫が当たり前のことを口にされる。これは私がカリーナ姫に対して騎士の誓を立てたことの確認だ。騎士の誓とはその方を主人とし、一生お仕えすると誓ったと言う事だ。一旦誓を立てたら、たとえ国王の命令に逆らうことになってでも主人に従わなければならない。お小さい時のカリーナ姫様の天使の様なお姿に感動して、この姫様を守ると誓を立ててしまったのだ。我ながら早まったことをしたと後悔している。


 私が女だてらに騎士になったのには理由がある。まずは体格だ。私の身長は2メートル近い、女はもちろんほとんどの男が私より背が低い。それも単に背が高いだけでなくがっちりとした体つきで筋肉も十分過ぎる程についている。つまり女らしい体付きとは無縁なのだ。小さい時は周りの心無い子供達からオーガみたいだと悪口を言われたものだ。それはいまでも心の傷となって残っている。そんなわけで私は早々に結婚をあきらめた。嫁がない女は家の厄介者だ。我がコトラムーン男爵家は代々騎士として国にお仕えしてきたが決して裕福ではない。家に負担を掛けたくなかった私は騎士になると宣言した。生まれた子が女ばかりで後継ぎがいないと嘆いていた父は迷いながらも承認してくれた。騎士としての訓練を始めた私は、他の男性騎士と対等以上の実力を持つ女騎士として国王様の目に留まり、まだ幼かったカリーナ姫様付きの騎士としてお仕えする様に命じられたのだ。それから私は一生懸命カリーナ姫にお仕えした。もっともその内容は騎士というより遊び相手としてだったが...。


「もちろんでございます。私はカリーナ姫に忠誠を誓った身。この身も心もナリーナ様のためにあります。」


「そうよね、私がバートの主人よ。だったら私の命令は絶対よね。」


「もちろんでございます。」


と応えるが、内心どんな無理難題を出されるのかとヒヤヒヤする。最近はましになったが、幼い頃には、ドラゴンを捕まえて来いだの、空を飛べる魔道具を買ってこいだの、勇者になるから剣を教えろだの、無理難題を言われて閉口したものだ。


「なら命令よ、私を連れて国外に逃げなさい。」


「は?」


と思わず返事に詰まる。


「国外でございますか? 国王様のお許しが無ければ難しいかと...。」


「今日、お父様に言われたのよ。私と魔族の国の第一王子との婚姻を申し込むことにしたからそのつもりでいろって。魔族の国よ! なぜ私がそんなところに嫁がないといけないの! 冗談じゃないわ! 」


なるほど、癇癪の原因はこれか。まあ無理もない。この国では魔族の国を良く言う奴はいない。カリーナ姫様も小さい時から魔族の国は酷い所だと悪口ばかり聞かされてきたはずだ。いきなりその魔族の国に嫁げといわれれば腹も立とうと言う物だ。


「それで、国外に逃げるとは?」


「決まっているじゃない。私に魔族の国に嫁げなんて、死んで来いと言う様なものじゃない。」


「それは、そうでございますが...。」


「だからね、そんなことになる前に逃げ出すの。頼りにしているわよバート。」


 姫の部屋から退出しつつ、私は頭を抱えた。国王様のしようとしていることは想像がつく。現状、反魔族の同盟国では魔族の国との戦争を始める機運が高まっている。戦争ではなく魔族の国との共存を望んでおられる国王様は現状の緊迫した情勢を改善したい。そのためには国の体面を保つことが出来る形で魔族の国と交易を開始することだろう。魔族の国に付いた国々と同様に魔族の国の貴重な特産品がもたらす富を享受できれば人々の考えも変わるかもしれない。しかし、長年反魔族の国同盟の盟主として魔族の国と敵対してきた我が国だ。一度頭を下げなければ魔族の国としても承諾できまい。だがそれでは我が国の体面が保てない。そこで姫の婚姻の話が出てきたわけだ。表向きは対等な婚姻として反対派を押さえ、その実は魔族の国の機嫌を取るために人質として姫を送り出し、これを機に魔族の国との関係改善を図ろうとしているのに違いない。


 魔族の国はどんなところなのだろう。我が国では国民に対しては故意に魔族の国の悪口を流している。それが魔族の国に対抗するための国策だったのだ。だが、平民はともかく、多くの貴族はそれが真実ではないと気付いている。かくいう私も他の国に嫁いだ姉から魔族の国についていくつかの噂を聞いている。もっとも驚く噂は、魔族の国を統治しているのは魔族でも人間でもなく女神様だというものだ。これはあり得ないとしても、魔族の国が女王に統治されているのは間違いなさそうだ。それも人間の女王にだ。様々な噂があるがこの点だけは共通している。そして、魔族と人間が仲良く暮らしているとの噂も多い。農民の税が収穫の3割だとの噂もある。我が国では4割だから1割少ない。我が国の農民達がこれを聞いたら一気に魔族の国に対する評価が変わるかもしれない。


 第一王子はガンビール王国との戦争が始まる少し前に生まれたらしい。だとすると今は13か14歳くらいだ。カリーナ姫よりも少し下だが、婚姻の相手として年齢は釣り合っている。しかも第一王子が結婚したとの噂はないから、いまなら第一夫人に成れるかもしれない。まあ、敵対国の姫を第一夫人にするなどと虫の良い話は希望的観測としても、最初の夫人と成れれば王宮での地位を保つのも容易かもしれない。国王様だって色々と考えているのだと思う。それをカリーナ姫様は分かっていない。まあ、誰も注進しないからと言うのもあるが、姫様はお生まれになった時から魔族の国の悪口しか耳にしていないだろうからな。


 いずれにしろ、姫を国外に連れて行くなど出来るわけが無い。どのようにして思い留まっていただくか策を練らなければならない。今夜は眠れそうにないぞ。


 それから1週間は姫が出発を急かすのをのらりくらりと躱す。やれ、目立たない服装を準備中だとか、偽の身分証を作成させているとか言い訳していたが、そろそろ種が尽きる。だが翌日登城すると王宮が大騒ぎになっていた。姫が行方不明だと言う。しまった! と慌てて姫の部屋に駆け込む。部屋の中ではメイド達が右往左往しているが、私は勝手知ったる姫の寝室に飛び込んだ。実はこの部屋には私と姫だけの秘密の隠し場所がある。壁板の一部を外すことができ、中が空洞になっている部分があるのだ。姫が子供の時にはふたりだけの秘密にして、秘密の手紙を入れて遊んだものだ。恐る恐るその部分の壁板を外すと、やはり手紙が置かれていた。こっそりと懐に入れ、人目の無いところまで行ってから中身を読む。手紙には、「バート、待ちきれないので先に出発するわ。カーマル共和国の国境の町で待っているから早く来てね。」とだけ書かれていた。


 あのじゃじゃ馬姫!!! どうしよう...。とにかく急ぐことだ。運の悪いことに今日は午前中に騎士の集会があったから、今は既に昼過ぎだ。手紙を「姫の置手紙だ」と言ってメイドに押し付け、返事も待たずに城を飛び出す。少しでも早く姫に追い付いた方が良い。私は馬に乗りカーマル共和国に続く道を全速力で駆けた。


 カーマル共和国は商業の盛んな国で、真っ先に同盟を離れて魔族の国との交易を始めた憎たらしい国だ。我が国と違い海に面していて船を使った交易が主体らしい。城から国境までは馬で2日、道はナイール川と呼ばれる大河に沿っていて、川には沢山の船が往来している。海からここまで川を遡って商品を運んでいるのだ。


 姫が城を抜け出したのが早朝だとしても、徒歩ではそれほど先には進んでいないはずと思っていたのだが、夕方まで駆けつづけても姫は見つからない。おかしい、姫の愛馬ラニーは厩に繋がれたままだった。徒歩で行かれたのならとっくに追い付いているはずだ、それともどこかで追い越してしまったのか...。いずれにしろここより先に姫が進んでいるとは考えにくい、私は道に馬を止め、姫が来るのを待つことにした。


 姫の無事を祈りながら待って周りが暗くなり始めた頃、ドン! という爆発音が響いて来た。音のした方をみると、ナイール川に浮かぶ船が炎を上げて燃えている。船の甲板に何人かの船員が走り出て来たと思ったら、その船員を目掛けてファイヤーボールが飛んだ。船員達はファイヤーボールを避けるために慌てて川に飛び込む。


 これは...間違いないカリーナ姫だと私の直感が囁く。カリーナ姫は我が国でも有数の魔法の使い手だ。あのじゃじゃ馬姫ならこれくらいのことはやる。


「カリーナ姫!!!」


と船に向かって何度も叫ぶが応答はない。だがあそこにカリーナ姫が居るとしたら放って置けない。船は今も燃えている。カリーナ姫は泳げない、川に飛び込んで逃げることは出来ないのだ。私は鎧を脱ぎ捨て剣も放り投げて川に飛び込んだ。だが、船まで100メートルはある。おまけに先日の大雨で水嵩が増して流れが速い。必死に前に進もうとするのだが、船との距離は縮まらない。カリーナ姫ほどではないが、私も泳ぎは得意ではない。


「バート~、助けて~」


と声が聞こえる。顔を上げるとカリーナ姫様が船の甲板に立っていた。やはり船の火災はカリーナ姫の仕業の様だ。船に近づこうと必死に手足を動かすが、やはりだめだ。


 その時目の前にロープが投げられた。必死になってそれを掴む。ロープを投げてくれたのはカリーナ姫だ、数十メートル離れた私までロープを投げるなんて、きっと何かの魔法を使ってくれたのだろう。ロープを手繰りながら私は何とか船に辿り着き、必死の思いで甲板に這い上がる。だが状況は最悪だ。私の体力はもう限界だ、姫を連れて岸に戻るなんて出来そうにない。一方で船は炎に包まれつつある。私と姫がいる一帯が燃えていないだけだ。


 船のマストが倒れて来る。マストは辛うじて私達を直撃することは無かったが、すぐ横の舷側を派手に破壊してから川に落ちた。直撃していたら命はなかった、だが、これだと閃いた私は、カリーナ姫を抱き上げてそのまま舷側から川に飛び込んだ。目指すのは先ほどのマストだ、あれに掴まっていれば溺れないで済むかもしれない。何とかカリーナ姫をマストに跨らせ、私はマストに掴まった。岸に向かいたいが既に真っ暗になっており、どちらに行けば良いのかすら分からない。どちらにしろ私の体力は限界だ。そのまま意識が遠くなった。


 目を開けると目の前にカリーナ姫の顔があった。私は狭いベッドの様な所に寝かされている。どうやら溺れて死ぬことは免れた様だ。

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