どんでんを返却する

sanpow

どんでんを返却する

 気が付いたのは夕方六時だ。寝袋を探すため、パソコンの上に積んであった百科事典セットをどけていたらどんでんが転がり落ちてほふっと音を立てた。

 そうだ、どんでんを借りたんだった。結局使わないままだった。

 元の場所に戻そうと思った。なんと言っても眠かったし、寝袋は百科事典ではなく国語辞典とポケット般若心経の間に挟まってたし、僕は徹夜二日目。アパートのワンルームには寝袋を横たえられるほど平らな場所もないわけだけど、工夫すれば眠れるさ。たとえば死ぬとか、どんでんを片付けるとか。

 どんでんはつるつるすべって、元の場所には収まらなかった。どんでんがこちらを見ていた。そのうちしゃべりだしたらどうしよう? いやどんでんに口はないけど、しゃべれないとは限らない。僕が寝返りうっている間に口のなかに入ってきたらどうする? どんでんののど越しはすごくつるつるしていてまるで天使が喉を降りていくよう。そして声帯をわしづかみしてサブウーファーで「おまえのおかあさんになってやろうか」なんて言わせるかも。どうする?

 どんでんはそんなことしないよ、みたいなでこちらをみて、少し安心した。

 そうだ、目にカバーをかければいい。確か付属のケースにカバーの作り方が載っていたはずだ。

 付属のケースは尻の下で見つかった。ちょうど紙きれが入っていた。使われているインクは赤、重要だとハンコが二十も押してある。前に同僚のサプライズ生前葬を企画したときに作った地獄の訴状かと思ったら違った。

「どんでんの返却期限は令和二年三月九日二十三時五十九分です」

 今日じゃん。


 六時から二時間寝て起きたら午後九時だった。イカれてるよ(時間の感覚が)と思いながら、ぼくは延滞を決意した。つまりさ、延滞したって死にゃしないだろ?

 どんでんを冷蔵庫へ押し込んだ。これで先送りできると期してのことだ。どんでんはお前の生殺与奪を握ってるのが俺じゃなくてよかったよな、みたいな目でこちらを見ながら冷蔵庫に入った。

 これで終わりかと思ったが、人生のあらゆる局面がそうだったように、この見通しも甘かった。どんでんの存在感がラーメンの中のコンクリートブロックのように主張している。まるで怨霊みたいに病める時も健やかなるときも一緒さ、と口があったら言っていたに違いない(どんでんには口がない。それでも奴は叫ぶ)。

 僕は冷蔵庫を責めた。怠慢じゃないか。つまり冷却とは分子運動の減速で、その理想は万物の停止だ。景気も人口増加も僕の人生だって減速してるのにお前だけが乗り遅れていいのか。どんでんのやつを冷やすんだ、と諭してやったら冷蔵庫は自尊心のない家電製品のままじゃ先祖にあわせる顔がないと思ったのか極低温の風を噴射し始めた。

 で、停電した。仕方がないからパソコンの手回し充電器を回してどんでんについてネットで調べた。答えは二分で出た。赤くて四角くて金属みたいな顔をしたどんでんレンタルショップの店長が「どんでんの借り方返し方講座」みたいな動画で答えていた。

「どんでんは店舗のほか、ポストでも返却できます。明らかに合法です」

 無視する手もあっただろう。だが真っ暗な中にどんでんとふたりっきり。どんでんの息遣いには鼻がつんとなり(どんでんには口がない。それでも奴の口は臭う)思わず辞世の句をしたためそうになったぐらいだ。

 おとなしく返すか。

 僕は息絶えた冷蔵庫をあけ、どんでんをかかえて家を出た。時刻は十時。急いだほうがいい。


 外は大雨だった。夜の大雨だ。水を吸ったどんでんは死体のように重いし、死体のようにぐにゃぐにゃ滑って、地面に落とすとつかみどころを探すのにも苦労する。

 問題はもう一つ。お店じゃなくてもポストで返却できるらしいけど、夜の街ではポストは姿を消している。少なくとも雨が降ってたらダメだ。雨が降ってくると、ポストたちは内部の郵便物をぬらさないよう雨宿りのために移動する。どこかの建物のかげにぬれそぼったポストが群れ集まって自分の運命を嘆くんだ。みじめな負け犬みたいにな。

 そうだ、負け犬と言えば川、そして川には心当たりがあった。近所にかかる橋の下、僕の秘密の場所だ。

 ちょうど赤い奴が雨宿りしていた。赤くて、四角くて、どうみても人でなし。ポストヒューマンだ。

「すみません、ポストに返却します!」

「なんだお前は!」

「運命さ!」

 どんでんをひっつかみ、ポストヒューマンの口に押し込んだ。格闘になった。ポストヒューマンの口は小さいし、どんでんはぬるぬるしている。おまけに夜の雨のなかだ。僕らは泥の中を転げまわり「死ね!」「返却します!」と命のやり取りをした。

 やっとの思いで押し込んで、僕もポストヒューマンも倒れこんであえいだ。長かった。でも返却はこれで終わりだな、と思った。

 けれど、河原に倒れ伏してあえぎ、濁流に飲み込まれそうになっている赤い奴を見ていると胸騒ぎがした。川に落ちたら中の郵便物はどうなる?

 というか、こいつは本当にポストかな?

「違うが?」

 赤い奴はどんでんを正月の餅みたいに飲み下しながら言った。

 困ったことになってきた。


 赤い奴はぷりぷり怒った。

「今は多様性の時代なんだぞ! なのにお前は俺の肌が赤くて体が金属の箱でみじめな負け犬だからってポストだと決めつけたわけだな!」

「だってあんたが何も言わないから」

「言えるわけないだろ、あんたに押し込まれたこいつで口の中がいっぱいだったんだぞ!」

 赤い奴の口からどんでんが顔を出し、そうだそうだみたいな目で僕を見て、また口の中へ戻っていった。どうも今夜はそこで過ごすことに決めたようだった。

 まずい。時刻は十一時三十分を回っている。延滞したらどうなっちゃうんだろう。どんでん警察が来るんだろうか。俺の口にどんでんを入れるのかな。いやだ、そんなのいやだ!

「返せ、どんでんを返してくれ! 返却したいんだ! 十一時五十九分が期限なんだ! なのにあんたが食っちまった!」

「お前が押し込んだんだ! なのに返せだと? ばかばかしいぜ!」

「そりゃそうなんですけどさあ!」

 そもそも、俺はなぜどんでんなんか借りたんだろう。家には眠るためのスペースだってないのに。

「お前みたいなやつはいつもそうだな!」赤い奴がせせら笑った。「考えもなしに借りる、そして返し忘れる。なのに悪いのは自分じゃなくて周りの人間だと思ってやがるんだ!」

「だってポストに返せるって」

「借りた店を探すべきだったな!」

 不可能だ。だってどこでいつ借りたかだってわからないのに。だいたい、どんでんって何なんだよ。

「そんなことも知らないのか? まあいい。小僧、運がよかったな。俺はどんでんに少しばかり詳しいんだ」

「あ、あんた、いったい何もんだ」

「あ、私が店長です。ご返却ですね」

「あ、どんでんの借り方返し方動画の店長?」

 店長は今さら気が付いたのか、みたいな目で俺を見て「返却、ギリギリ間に合ったな」と言った。

 時刻は十二時十五分だった。過ぎてるじゃん。すると店長はものすごいウインクをした。

「おまえが俺の口におしこんだときはまだ日付が変わってなかったのさ。ちゃんと返せて偉いぞ。お前は昨日よりましな人間になったんだ」

 なんかしっくりこなかったけどもうどうでもよかった。家に帰り、どんでんがいなくなったスペースに寝袋をしいて眠った。僕はどんでんを返し、昨日よりましな人間になった。これはそういうお話だったのさ。

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