第258話 法王の宣言と奇跡の体現

「清聴!」


 神殿に大きな声が響く。

 神殿の聖台と呼ばれる一段高く作られた場の左隅に立つ枢機卿の命令だ。

 ラ・トランタウで上位者の1人である彼でも、今日は主役ではない。

 主役は、聖台の中央にある聖贄台せいしだいと呼ばれる机の後ろに立つ法王。

 そして、法王を挟んで反対に立つ俺だろう。


「「「清聴!」」」


 更に周囲に立つ聖騎士達が復唱して、注意を促す。

 枢機卿の指示を聞いた時点で既に静まり返っていた神殿に彼らの声は響き渡った。

 1度目の清聴は身体を聞く姿勢に正し、2度目の清聴は心を聞ける状況にするための物だと説明を受けたが、俺の感覚では宗教儀式と言うのは実に面倒くさいと言う感想しか出てこない。


「法王陛下よりトランタウ様のお言葉が伝えられる!

 心を正してシンチョウせよ!」


 シンチョウ。聞いたことのない動詞だが、敢えて字を充てるなら"心聴"或いは"信聴"と言った所だろうな。


「今、ユーリス・マウントホーク殿の献身をトランタウ様へとご報告致しました。

 主は彼の者を聖人として迎え、マウントホーク領に大神殿を築くようにと仰いました。

 また、その神殿には使徒ベルティアを座するとのご指示です」


 座する。

 骸をご神体として配置すると言うことだな。

 その言葉に、真っ青な顔の女性が枢機卿と共にやってくる。

 彼女がベストリアの妹であるベルティアか。

 彼女にはその子息をベストリアの興した家の跡取りにするが、そのためには母親であるベルティアが還俗する必要があり、そのためには毒をもって自らの命を絶つしかないと伝えてある。

 我が子の幸せのためならと承諾した彼女だが、それでも死が怖いのは当然の話だ。

 生き返らせる予定であることは伝えていない。

 言っても信じられないだろうし、確実な成功を約束出来ない以上は変な期待をされても困る。


「使徒ベルティア。

 こちらを……」


 法王の言葉に脇から出てきた神官が盃を差し出す。

 盃に注がれているのは鮮やかな緑色の液体。

 マーシーエメラルドと言う名の教会秘蔵の毒薬で、即効性の猛毒らしい。

 ベルティアがそれを受け取っている間に山羊が連れてこられる。

 屈強な男3人ほどが首に巻いた縄を握っているのは暴れた時対策だろう。

 その山羊は生贄山羊スケープゴートだ。

 その毒が本物であることを証明するための文字通りの生贄。

 ベルティアが山羊の顔に盃を近付けると、直ぐに山羊が顔を突っ込んでゴクゴクと飲む。

 このために半日以上飲まず食わずを強制させられた山羊。

 だが、不意に盃から顔を上げて暴れようとして、抑えられる。

 抑えられた山羊は口から赤い泡を吹いて倒れ込み。

 それでもなお生きようと、もがきながらその終焉を見せ付けるのだった。

 その遺骸は神官数名の手で神殿中央にあるもう1つの聖贄台へと運ばれる。

 そして今回の儀式を見に来ていた各国の代表が、順番に近付き、思い思いの方法でその山羊が本当に死んでいることを確認していく。

 ……あ、ジンバットの代表でテミッサ侯爵が来ているじゃないか。

 この教国内で話を付けておこう。

 マーキルは知らない貴族だから放置で良いかな?

 フォロンズからビーズ子爵が来ているのは有り難いな。

 ラロル帝国の情報交換をしよう。


 聖台の上から参加者を確認していると知っている外国貴族が見えたので、この外遊中に面会の算段を考えながらじっと待つ。

 外国の貴族達が終わると神官達の番が回ってくる。

 彼らは山羊の口を覗く者や針を刺す者など、貴族達がさらっと流したのとは対照的に徹底的な確認を取る。

 偽物の毒を飲ませた後、生き返ったことにして、高徳を集めたと言う詐欺が昔は横行したらしいので懸命だ。

 特に反主流派の神官達は、これで偽物だったりすれば、法王以下主流派を排斥する材料になる。

 逆に奇跡でも起きようものなら現法王の権勢は決定的になるだろうし、聖人認定を持ち出してきた時点でそれを警戒するのは当然か。

 納得がいくまで遺骸を検分した神官達が離れるのを見図って、


「では使徒ベルティア」

「謹んでお請けいたします」


 法王がベルティアへと服毒を命じる。

 震える手で毒盃に口をつけるベルティアは、その中身を飲み干すと涙を流しながら両手を組み、苦しみに必死に耐える。


 数秒でフラッと倒れたベルティアの口から流れ出た濁った血が周囲を濡らしていく。

 その様を見てふと思う。

 時には反体制勢力に服毒をさせてきた場であろう、この聖台はどれ程の血を吸ってきたのだろうか?

 と。

 思考を切り替え、俺は法王の言葉を待つ。

 神官の1人がベルティアの状態を確認して、法王に合図を送ると、


「……これを持って、使徒ベルティアは神の身許へ旅立った。

 次に生まれ来る時は、また全ての柵なき無垢な身の上であると法王として宣言する。

 ……ユーリス殿。

 この者へ祝福を授けてくださいませ」

「ああ」


 法王の言葉に頷いて、ベルティアの元へ近付く。

 彼女の遺骸がご神体として扱われる故に、殉教者に聖人として祈りを捧げると言う建前。

 彼女の遺骸に手を添え、


「この者に幸あれ!」


 と宣言する。

 同時に生命力をベルティアに譲渡して、蘇生を実行。

 ……うん。成功。

 生命属性を手に入れた影響か、この手の感覚が異様に働くようになった。

 その感覚がベルティア蘇生を告げている。


 静かな神殿内で、衣擦れの音をたてながらピクッと起き上がるベルティア。


「へ? え? え?」


 周囲を見回し困惑の声を挙げるベルティアに対して、神殿内は水を打ったように静まり返る。

 山羊の死を観ていた誰もが蘇生の奇跡に戸惑うしかない。

 その状況で俺は自分の失態に気付く。


 ……派手な演出でも用意すべきだった。


 と、明らかに死んだ女が何故か生き返っている。そこに派手な演出も何もなければ戸惑うしかないのが、当然だった。

 俺の祈りでパーッと空から光が降り注いで生き返るとかなら、目の前の奇跡を実感出来ただろうし、視覚を共有出来れば、互いに納得させ合うことも出来ただろうに……。


「あー。

 トランタウ様は使徒ベルティアに聖ユーリスを補佐せよと新たな使命と生をお与えになった。

 皆、この奇跡を共に讃えようではないか……」


 パチパチと拍手をしながら、苦い言い訳で先導する法王。

 聖台に近い位置から徐々にその拍手が伝播して、やがて神殿内を拍手の音で満たす。


 ……うん。なんかごめん。


 俺は平然とした表情を取り繕いながら、微妙な罪悪感を覚えるのだった。

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