第2話:また別の異世界なのです
時空の狭間から戻って来てすぐ。
見慣れない森の中で女の悲鳴が響いた。
困っている人がいれば助ける。全力で──それが勇人の口癖だ。なんとも勇者らしい。
そんな勇人に感化され、人助けが当たり前になっていた俺は森の中を駆けた。
足場の悪い森だが、すぐに声の主を見つける。
若いな。17、8歳ぐらいだろうか。
その女の前方には、巨大な猪がいる。体高だけ見ても、俺より大きいぞアレ。
「よし、今晩のご馳走に頂くか──"切り裂け、
手の動きに合わせて、風の刃が巨大猪に向かって飛んでいく。
シュッという音のあと、しばらくして猪の首がぼとりと落ち、コンマ差で残った部分が地面に倒れた。
プシャーっとあふれ出る真っ赤な血。
うん、血抜きもバッチリだな。
「大丈夫か、君?」
大木を背に、女は弓を構えていた。
弓使いか?
「弓を下ろしても大丈夫だぞ」
涙を浮かべた目で巨大猪を睨んでいたが、やがて彼女はようやく構えた弓を下ろした。
ほっとして気が抜けたのだろう。
大木に背中を預け、眉尻を下げて今にも泣きだしそうな顔だ。
「お、おい。もう大丈夫だから、泣かなくていいからな?」
なんというか、女性の涙は苦手なんだよ。
特にこう、綺麗な子はな。
やや栗色に近い金髪と、晴れ渡る青空のような瞳。
その髪の隙間から覗く耳は、やや長くて尖って見える。
エルフ──ではなく、ハーフエルフか?
「φΛηξ!」
「ん? 今なんて?」
「¶∇Ξβ……θЁ!」
「え、おい、ちょっと待った──」
突然彼女が俺の手を引き、どこかへ連れて行こうとしている。
言葉が通じない。なぜだ?
こちらの世界の共通語は、召喚特典で標準装備だったじゃないか。
もしかして標準語を使わない、他の大陸なのか?
「待て。猪をだなー」
「βσЮ?」
「肉だ。にーくー」
いや、猪を指さしたほうが早いな。
アレだ──と指させば、彼女は理解したのかしていないのか、とにかく立ち止まった。
手を離してくれたので、呪文を詠唱して空間収納を開く。
ん?
なんとなくいつもと違う感じがするが、アイテムボックスは無事に開いている。
時空間のように何かを吸い込もうとする気配もない。ただの空間収納だよな?
巨大猪をむんずと掴み、ぽいっと空間収納へ入れる。
「ИЭ★!?」
「ん? 収納魔法が珍しいのかな?」
まぁ誰でも彼でも使える訳ではないしな。
「さ、どこに連れて行ってくれるのかな?」
言葉は通じないし、ここがどこかも分からない。
とにかく今は、彼女に付いて行こう。
小一時間ほど歩いて疲れ始めた頃、ようやく森を抜けた。
森を抜けると途端に土地は痩せ、荒野の広がる大地へと様変わり。
正面には小高い山脈が横に連なり、彼女はそちらへと向かうようだ。
三時間ほど歩いただろうか。
山……というより崖の麓に小さな集落があった。
どうやらここが彼女の住む村のようだ。
村を囲う壁や柵はなく、家も随分粗末な造りだな。だが古さは感じられない。
急ごしらえのほったて小屋といった感じだな。
村の衆が出てくると、彼女は駆けて行って興奮気味に何かを喋っている。
相変わらず言語は分からないままだ。
言葉が通じないというのは面倒だ。言語解析をしなきゃな。
それでも、彼女の身振り手振りでなんとなく何を話しているのか想像はついた。
両手で大きな円を描くように動かすのは、巨大猪のサイズを現しているのだろう。
集まって来た村人が怪訝そうな顔をし、俺の方を見た。
彼女が嘘つきではない証拠として、
どすんっと土埃を上げ地面に転がした猪を見て、しばしの静寂──そして歓声。
村人の誰もが痩せ細っているように見える。
時空間転移で出た森はかなりの大きさだが、この辺りは土地が痩せ、作物もあまり育たないのだろう。
周辺に畑らしきものも見かけなかった。
少し離れた所に小さな森はあったが、あの規模だと動物の生息も期待できない。
この歓声を聞けば分かる。
きっと久しぶりの肉なのだ。
「俺も腹が減った。捌けば誰かが料理してくれるよな?」
自慢じゃないが、俺は料理なんてなんにもできない。
魔王を倒すための長い旅の間は、俺と勇人以外の三人が食事当番をしてくれていた。
何度か俺もチャレンジしたが、そのたびにみんなから「賢志は魔法を習得することに専念してくれ」と言われたものだ。
「"風よ──刃となれ"」
風属性の中でもっとも下級魔法『エア』。
切れ味抜群の風の刃をいくつも生み出し、巨大猪を解体していった。
皮を剥ぎ、牙や爪も素材に使えるだろうから根元から切断。
ざっと村を見渡して、小屋の数から人数を予測する。
小屋は十五軒ほど。なら三十人前後か。
「こんなもんかな?」
受け取ってくれと言わんばかりに、切り分けた肉を摘まんで彼らへと差し出した。
俺の独り言に、既に向こうも言葉が通じないことを理解しているようだ。
肉を指さし、それから自身を指さす。
「いいのか?」と言いたいのだろう。
俺が頷き、それからお腹をさする。
お腹が空いたというジェスチャーだ。
肉を差し出したのは、細いながらもそれなりに引き締まった体をした中年男性。
一番精悍そうであり、俺から一番近い位置に立っている。
村長と呼ぶには若い気がするけれども、リーダー的な立場の者だろう。
彼は肉を受け取ると、白い歯を見てニカッと笑った。
それから村人に何事か伝えると、周りの者たちがあわただしく動き始めた。
「Чй△∴◆」
「ん?」
猪から助けた女が俺の手を引く。
どこからか持って来たのか、椅子が置いてあってそこに座れと言っているようだ。
ありがたい。ここまで結構歩いたからな、正直疲れていたんだ。
なんせこっちは、魔王を倒してそのまま時空の狭間を封印しては出る方法を考え、出たら出たでずっと歩きっぱなしだ。
そうこうするうちに、猪肉の近くで大きな焚火が作られ、肉が焼かれていく。
あぁ、そうだ。残りの肉は腐らないよう、アイテムボックスに入れておかなきゃな。
ま、好きなだけ食べたあとでもいいか。
パチパチと爆ぜる焚火を見つめていると、どうにも目がとろーんとしてきて。
肉が焼けるまで少しの間、うたた寝をさせてもらおう。
「──ケンジさん」
俺の名を呼ぶ声がする。この声は……。
「女神アリテイシア。みんなは無事に日本へ送り帰してくれましたか?」
「ふふ。自分のことより、まず友のことですか?」
そりゃあそうだろう。
俺は無事なんだし、だったら心配するべきは親友たちのことに決まっている。
目の前に現れた女神アリテイシアだが、周囲は先ほどとまったく別の場所だ。
真っ白な世界に、ふわふわと浮かんだような感覚。
ここは夢の中か?
「約束通り、ユウトさんたちは元の世界へ送り届けました」
「そうか、よかった」
俺たちをこの世界に召喚したのは、彼女ではない。
女神アリテイシアは魔王に力のほとんどを奪われ、長い間捕らわれの身となっていた。
召喚したのはこの世界でもっとも大きな大陸にある王国。その国王だ。
まぁ召喚魔法を使ったのは宮廷魔術師だけれども。
「私が魔王に捕らわれたせいで、ケンジさんたちにはご迷惑をおかけしました。四人は既に、私の世界に召喚されたあの時あの場所に戻られています」
「それを聞いて安心しました」
安堵して微笑んだつもりだが、女神の顔は険しい。
「問題があるのです」
「問題、ですか?」
こくりと頷いた女神の口から、予想だにしていなかった事実が告げられた。
「ケンジさん。あなたが今いるそこは、私の世界とはまた別の異世界なのです」
……はい?
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