2/魔術大学校 -2 二年銀組

「教科書とかないのかな。手ぶらで出ちゃったけど」

「配布、されると思います。む、むしろ、鞄が必要だったかも」

 そう言うイオタは、小さな鞄を手に持っている。

「イオタ、教科書は? その鞄じゃ入らないだろ」

「──…………」

 イオタが、微笑む。

 苦しげな、自嘲の笑みだ。

「……ああ」

 察する。

「俺のあげるよ。どうせ使わないし」

「そ、そんな……」

「読み書き、できないんだ。俺が持ってても宝の持ち腐れだろ。入れ物は、まあ、教官にでも借りよう。あるだろたぶん」

「すみません……」

「いいって」

 小学生の頃、クラスメイトがいじめられているのを見て見ぬ振りをした記憶がある。

 怖かったのだ。

 いじめをしている男子のことも、標的が自分に移ることも。

 しかし、今は護衛という大義名分がある。

 今度は守れるのだ。

 それが、嬉しかった。

 冬華寮を出ると、全優科の広大な敷地が露わとなる。

 幾筋もの人工河川が流れ込む長大な直線水路カナールと、その最奥に位置する涼やかな壁泉。

 植樹された木々は綺麗に剪定され、歩道を優雅に彩っている。

 富裕層の学校と聞いてまずイメージするものを数段階グレードアップさせれば、恐らくこの光景が出来上がるだろう。

 敷地内をしばらく闊歩し、無数にある校舎のうちから最も大きなものへと足を踏み入れる。

 高等部の母屋だ。

「きょ、教官室まで、案内しますね」

「ありがとう」

 教官室で、担任教官から教科書を受け取る。

 卒業する気のさらさらない編入生にさして興味がないのか、担任の女性教官の態度は事務的だった。

 教科書を入れる紙袋はくれたので、よしとする。

「はは、ぜんぜん読めない」

 教科書の一冊を開きながら、笑う。

 何から何までさっぱりである。

 ここまで何もわからないと、いっそ清々しい。

「大丈夫、ですか……?」

「大丈夫じゃないと思うなあ。こちとら、読み書きできなきゃ魔力マナもない。なーんもできない。全優科始まって以来の劣等生かもしれないぞ」

「え、ま、……魔力マナ、なかったんです、か?」

「生まれつきね」

「な、な、なんで、あんなに強いんですか……?」

「……頑張ったから?」

 本当は、違う。

 神眼があるからだ。

「──…………」

 イオタが、俺を見つめる。

 その目に意志が宿っているように思えた。

「……が、頑張ったら、カナトさんみたいに、なれますか?」

「なれるんじゃないかな。頑張り次第だとは思うけど」

「そ、そうですか……」

 各教室の読めない室名札を見上げながら、尋ねる。

「イオタは何組?」

「に、二年、銀組です」

「銀組って、たしか──」

「……は、はい。いちおう、成績優秀者の」

 思う。

「俺、入っていいの?」

「──…………」

「──……」

「だめかも……」

「ええ……」

「ま、まあ、クラスの昇格降格は、三ヶ月に一度なので……」

「なら、いいか」

 ベディルスからの依頼の期限は、夏の前節が終わるまでだ。

 夏の中節はまるまる夏休みだし、そこまでイオタを守り切れば大丈夫だろう。

 そんなことを考えながら、二年銀組の教室へと足を踏み入れる。

 その瞬間、十数名の視線が俺たちを射抜いた。

「──やあ。おはよう、イオタ君」

 狐目の、一見すると優しそうにも見える少年が、礼儀正しく挨拶をする。

「──…………」

 だが、俺は見逃さなかった。

「……お、おはよう、ございます」

 イオタが、一瞬、身を縮こまらせたことを。

「ええと、そちらは編入生の方かな」

「ああ。カナト=アイバだ。よろしく」

「へえ……」

 少年が、俺を値踏みする。

「いきなり銀組とはね。とても優秀な方のようだ。机を並べて勉学に励むのが楽しみだよ」

「はは……」

 乾いた笑いしか出ない。

「僕は、ババライラ。エイザン=ババライラだ。銀組の級長を務めている。よろしくね」

「ああ。よろしく、エイザン」

 俺がそう言うと、エイザンは露骨に不機嫌そうな顔をした。

「……ババライラ家、御存知ない?」

「ごめん……」

 たぶん、一流の家系とかそんなんだろう。

「いや、謝ることはないよ。どこから来たの? アルバラ? リンシャ? まさか、ナガルヤルなんてことないよね」

 クラスメイトたちが、くすくすと笑い始める。

 恐らく馬鹿にされているのだろう。

 でも、皮肉の意味がまったくわからない。

「ああ、国外なんだ」

「あー……」

 エイザンが、納得したように頷く。

「そういうことか。知らないわけだね」

「申し訳ない」

「ああ、いいよいいよ。納得納得。最後列の席がひとつ空いてるから、座りなよ」

 どうやら、エイザンの自尊心は保たれたらしい。

「ありがとう」

 幸い、そこは、イオタの隣席だった。

「ああ、そうそう。言っておくけれど……」

 エイザンが、酷薄な笑みを浮かべる。

「その子、関わらないほうがいいよ。不愉快な目に遭うかもしれないから」

「──…………」

 イオタが睫毛を伏せる。

「へえ」

 わりと直接的だな。

「ごめん、それはできかねるかな」

 エイザンが、狐目を細く開く。

「……それは、どうして?」

「だって、同室だし」

「はははッ!」

 俺の言葉に、エイザンが吹き出した。

「そいつは大変だ! いいね、いいね。君とは仲良くやっていきたいな!」

 ああ、なるほど。

 俺が仲間になれば、イオタを二十四時間いじめ続けられるものな。

「俺は、お前とは仲良くできないかな。性格悪そうだもん」

「──…………」

 教室が、しんと静まり返った。

「ああ、そう」

 エイザンがこちらに背を向ける。

「……後悔するなよ」

 吐き捨てるように呟いて、エイザンは自分の席へ戻っていった。

 これで、標的がこちらに向いてくれればいいんだけど。

「カナトさん……」

「大丈夫、大丈夫」

 俺は、イオタを安心させるように微笑んでみせた。



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