3/ラーイウラ王城 -5 予選開始
「──こちらで試合を観戦できます。御興味がなければ、向こうにサロンもございます」
案内されたのは、優に千人は収容できる巨大な円形闘技場の観客席だった。
「では、私はここで」
「ええ、ありがとう」
ネルが、周囲に人気のない座席に腰掛ける。
「ふー……」
大儀そうに息を吐き、
「ほんと、堅苦しくていけないわ。貴族として振る舞うの、苦手なのよね」
「ふふ、そうだろうね」
「ユラも同じでしょ」
「わたしは慣れてるから。それが当たり前だったし」
「さすが、パレ・ハラドナの皇巫女。絶対なりたくないわ……」
「え──」
ユラが、目をぱちくりさせる。
「大丈夫、誰も聞いてない。ちゃんと確認したからね」
「……気付いてたの?」
「さっき、自分で言ってたわよ。ハルユラ=エル=ハラドナって」
「言ったかも……」
「言っておられましたね」
「言ってたな」
「言ってましたか……?」
ヤーエルヘルは、仕方ない。
耳を塞いでいたものな。
「……秘密にしてね」
「もちろん。その代わり──」
ネルが、ユラの手を取る。
「いろいろ、お話聞かせてね。遺物三都以前のこととか、今まで言葉を濁してたし」
「うん、いいよ。他に隠し事もないし」
「決まりね」
上流階級に嫌気が差した者同士気が合うのか、ユラとネルは仲が良い。
下女に飲み物を頼み、しばし歓談していると、
「──第一組の奴隷は、控え室へ!」
と、男性の声がうわんうわんと響き渡った。
拡声術だ。
常にハウリングに似た不協和音が混じっているあたり、あまり優れた術士とは言えない。
「いよいよか」
ヘレジナが、真剣な表情で目を細める。
「血生臭い試合となる。ユラさまとヤーエルヘルは、目を閉じていたほうがよいかもしれん」
「はい……」
「わたしは、たぶん大丈夫」
不安そうなヤーエルヘルに尋ねる。
「耳、また塞ごうか?」
「お願いするかもでし……」
「耳が良すぎるというのも、考えものだな」
ヘレジナの言う通りだ。
余計なものまで聞き取れてしまうのは、つらいだろう。
やがて、地階へと通じる階段から、思い思いの武器を携えた奴隷たちが現れる。
短剣、両手剣、曲刀、槍、鞭──
「なんでもありだな……」
「わ、あのひと、
ユラが驚き、ヘレジナは呆れたように言葉を吐く。
「とんだ間抜けがいたものだ」
「そうなの? 防御力が高いほうが強そうな気がするけど」
「ネル、お前はジグの何を見てきたのだ。あの男が防具を身にまとったことがあったか?」
「ない、かな……」
「見ていろ。理由はすぐにわかる」
「──これより、御前試合予選を開始する。死力を尽くし、自由を勝ち取るがいい。では──」
銅鑼の音が三回、闘技場の空気を震わせた。
十一名の奴隷がそれぞれに動き出す。
そのうち五名ほどが、板金鎧を着た奴隷へと殺到した。
予想の通りだ。
「強そうであるとか、弱そうであるとか、とにかく目立つ人が真っ先に狙われる。それが常ってやつだよ」
「あー……」
「当然、それだけではない」
五名に一斉に仕掛けられた板金鎧の奴隷が、尻餅をつく。
板金鎧とて、実戦的なものだ。
転べば起き上がれない亀のようなものではないだろう。
だが、素早く立ち上がれるかと言えば、話は別だ。
板金鎧の奴隷が必死に体勢を立て直そうとしているうちに、その胸を鋭い槍が深々と貫いた。
「ひ──」
「ヤーエルヘル、こっちおいで」
ヤーエルヘルをひょいと抱き上げ、膝の上に乗せる。
そして、車内でしたように、帽子の上から獣耳を塞いだ。
「ありがと、ございまし……」
「……こんなもの、見ずに済むならそのほうがいいんだ」
俺だって、本当は見たくもない。
でも、敵を知る必要があった。
どんな奴隷が勝ち残るのか。
武器や戦闘スタイルから、動作の癖に至るまで、すべてこの目に焼き付けて勝利する。
それが覚悟というものだ。
「──…………」
眼下で命が散っていく。
薔薇の花のように血飛沫が舞い、土が黒く濁っていく。
第一組は、泥仕合だった。
実力の拮抗した奴隷たちが、三つ巴、四つ巴で殺し合う。
やがて、曲刀使いが鞭使いを追い詰め、その首筋を半ばほど切り裂いた。
「おおおおおおおおおおおおおッ!」
血に濡れた曲刀使いの勝利の咆哮が、闘技場に轟く。
「──師範級中位。見たままであれば、カナトの相手ではない」
「あの人、体操術を使わなかったな」
「だが、本物の奴隷とは限らないぞ。身のこなしにぎこちなさがあった。油断している相手に使う気やもしれん。決して気を抜くな」
「わかった」
「はー……」
俺とヘレジナの会話を聞いてか、ネルが溜め息をついた。
「そういうの、わかっちゃうんだね」
「ふふん、二人はすごいでしょう」
ユラが、小さく胸を張る。
「ユラ、目を閉じなくて大丈夫?」
「なんとか。試合形式の闘技なら、パレ・ハラドナでも何度か見たことがあったし」
目を伏せ、言葉を継ぐ。
「……城下街のあれは、だめだけど」
「うん……」
あれが平気な人間は、まともな価値観を持っていない。
ましてや、それに参加して高らかに笑うともなれば、とうに狂い果てているだろう。
「──…………」
ネルが、ぽつりと呟いた。
「王、か」
その言葉に篭められた感情を、俺は読み取ることができなかった。
「ほら、第二組が始まるぞ」
「うん」
第二組、第三組、第四組と続いて、第五組の試合が始まろうかというとき、俺たちはその姿に気が付いた。
「──ジグだ」
鍛え抜かれた肉体は、遠目から見ても鋭い。
歩いただけでわかる。
ジグの実力は、他の奴隷と一線を画している。
他の奴隷も、それを察したのだろう。
試合開始の銅鑼と共に、十名が十名、一斉にジグへと襲い掛かった。
俺には、ジグが薄く笑ったように見えた。
次の瞬間──
ジグの拳によって、真正面の男の頭部が鳳仙花のように弾けた。
そこから先は、一方的な蹂躙だ。
怯んだ者から、剛拳の、剛脚の、餌食となる。
最後の二人が降参し、第五組の試合は終わった。
ほんの三十秒程度の出来事だった。
「……圧倒的、だね」
ユラが、半ば呆然と呟いた。
「気付いたか、カナト」
「ああ」
ヘレジナの意図は理解している。
「奇跡級が一人、混じってた」
「二人だ。最初に殺された男も奇跡級だろう。下位だがな」
「マジで」
「マジだとも」
奇跡級二人を含む十名を、文字通りに瞬殺だ。
相変わらず、とんでもない。
「カナト、お前はあの男に勝たねばならない。わかっているな」
「……ああ」
「──…………」
ヘレジナが半眼で告げる。
「ヤーエルヘルを膝に抱きながらキリッとしても、いまいち間抜けよな」
「そんなこと言われましても」
仕方ないじゃん。
「……も、終わりましたか?」
「ああ、第五組は終わったよ。ジグがすごかった」
ヤーエルヘルの帽子から手を離す。
帽子の中で、獣耳がぴこぴこと動いた。
「勝てましか……?」
「勝つよ。絶対に」
「言葉の上でなら、いくらでも言える。このエロバカナトめ」
あ、機嫌悪くなってきてる。
どうしようかとユラに目配せをする。
「──…………」
ユラが、こくりと頷いてみせた。
以心伝心、ユラの考えはおおよそわかる。
「ヤーエルヘル、すこしだけ降りていてもらえるかな」
「あ、はい」
小首をかしげながら、ヤーエルヘルが立ち上がる。
「ヘレジナ、こっち来て」
「なんだ」
ふてくされながらも、ヘレジナが素直に近寄ってきた。
「ほい」
「のわ!」
ヘレジナを抱え上げ、膝に乗せる。
その体躯は、小柄なヤーエルヘルと大差ない。
「何をする!」
「えー……、その」
拗ねてるみたいだから、とは言えないよな。
「……膝に乗せたくなって?」
「意味がわからん!」
「そりゃそうだ」
でも、抵抗はしない。
暴れて逃げるかと思ったのだが、意外だ。
「ううう……」
ヘレジナが、ちらちらとユラに視線を送る。
「ヘレジナ」
「はい……」
「許します。でもカナト、次はわたしね」
「もちろん」
「──…………」
ヘレジナが、恐る恐る尋ねる。
「……そのう。よい、のですか。ユラさまは」
ユラが、慈愛の笑みを浮かべる。
「わたしは、ヘレジナを従者だと思ったことはない。友達だって思ってるよ。ヘレジナは、いつだってわたしを立ててくれる。守ってくれる。カナトを貸すことがお返しになるのなら、このくらいぜんぜん平気」
「ユラさま……」
ネルが、俺の耳元でぼそりと告げる。
「"貸す"ってあたり、大変ね。プレイボーイくん」
「はは……」
どう反応していいものやら。
「ほら、カナト。もうすこし、こう、ぎゅーっとせんか。腰のあたりに腕を回すのだぞ」
「はいはい」
ヘレジナはヘレジナで、なんか吹っ切れてるし。
でも、悪い気はしなかった。
俺は、この人たちを守るのだ。
そう考えたら、いくらでも力が湧いてくる気がした。
「はい、そこまで。次はわたし」
「ユラさま、短いです! ヤーエルヘルは小一時間はこうしていたのですよ!」
「ごめんなし……」
「もう、仕方ないなあ。ヤーエルヘル、わたしの膝においで」
「はい!」
ヤーエルヘルが、ユラの膝の上に腰掛ける。
「第六組が終わったら交代だよ」
「了解致しました」
こんな具合に、しばらくのあいだ、俺は皆の椅子としてその役目を全うするのだった。
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