2/リィンヤン -15 御前試合前日
──御前試合前日、早朝。
「な──」
木剣の切っ先が、ヘレジナの首筋にぴたりと触れる。
勝負は一瞬だった。
「ま、待て! もう一度だ!」
「ああ」
木剣を構え直す。
「また、こっちから行くよ」
「──来い。今度こそ、見切る」
ヘレジナが双剣を油断なく構える。
だが、
「──…………」
一瞬ののち、木剣の刃は再びヘレジナの首筋に届いていた。
「なんだ、これは……」
ヘレジナが、呆然と口を開く。
「燕返し──では、ないな。似ているが、根本的に何かが異なっている」
「基本的な動作は同じだよ。ただ、原理が違う」
「原理……」
「つまり、こう考えたんだ」
必死に紡いだ"必殺技"の原理を、簡潔にまとめて語る。
「──なるほど」
ヘレジナが、感心したように頷いた。
「これは、まさに必殺たり得る技だ。たとえ、今の私が体操術を取り戻したとしても、初見で放たれれば死は免れない。対処法はあるが、正しく"初見殺し"というわけだ。だから、わざわざ深夜に特訓を行っていたのだな」
「気付いてたのか」
「むろん、全員知っている。皆で見守っていたぞ」
「……言ってほしかった」
陰の努力を陰ながら見守られるのは、いささか恥ずかしい。
「大丈夫だ。遠目には燕返しにしか見えん。たとえジグに見られていたとしても、原理にはまるで気付いておるまい」
「ならいいんだけど……」
ヘレジナが、満面の笑みを浮かべ、薄い胸を反らす。
「──では、約束通り、私が名付けてやろう!」
「あー……」
約束だったっけ?
「あんまり大仰なのはやめてくれよ」
「よし、思いついたぞ」
「はや!」
「大本が燕返しゆえ、こういうのはどうだ」
一拍溜めて、ヘレジナが口を開く。
「燕双閃・自在の型」
「──…………」
つばめそうせん、じざいのかた。
「どっちか片方じゃ駄目?」
「燕双閃・自在の型だ! 文句を言うのなら、どんどん長くするぞ」
「……燕双閃、自在の型でいいです」
「ふふん、よろしい」
ヘレジナが、満足げに鼻息を漏らす。
「燕双閃・自在の型さえあれば、あのジグすらも容易になますにできる。あの男の吠え面が楽しみだ!」
「そう上手く行くかな」
「行く」
ヘレジナが、木剣を握った俺の拳に、自分の拳をぶつけた。
「ヘレジナ=エーデルマンが保証する。お前の刃は、もう、ジグ=インヤトヮに届く」
「……そっか」
ようやく、届く。
届くのだ。
「ヘレジナ。俺は──」
万感の思いを込めて、誓う。
「俺は、この手で、皆を助け出す。ジグを打倒し、御前試合で優勝してみせる」
「……ああ」
包む込むような微笑みを浮かべて、ヘレジナが答えた。
「期待している。私は、お前に助けられたほうが、嬉しい」
それこそが、俺が守るべき笑顔だった。
まずは、ジグだ。
ジグを倒せなければ、すべては水泡に帰す。
御前試合に出ることすら許されず、ただ運命をジグに預けるのみとなる。
「今、呼んでくるか?」
「お願いできるかな。感覚が残ってるうちに、仕留めたい」
「了解だ。お前の実力を、ジグに見せつけてやるのだ!」
「任せてくれ」
そう、力強く頷いたときだった。
──遠くに、馬のいななき。
木製の車輪が悪路を転がる音がした。
農村であるリィンヤンの朝は早い。
そう珍しくもない環境音だが、それが教会の前で止まったとなれば話は別だ。
「誰か来た?」
「まったく、間の悪い!」
「こればかりは仕方ないって。正直、すこし眠いし、仮眠を取ってからにするよ」
「連日連夜、昼に夜にと特訓を重ねていればな」
「頑張りました」
「うむ、よく頑張った。だが、ラーイウラを抜けたら無理はするなよ。その頃には、抗魔の首輪は取れているのだからな。私を大いに頼るがよい」
「そうさせてもらうよ……」
俺はきっと、ヘレジナに追いつけていない。
燕双閃は初見殺しの技だ。
奇跡級中位以上の実力者であれば、種さえわかれば容易に対処できる。
事実として、俺は、燕双閃の攻略法を幾つか思いついている。
同じ相手に何度も使えるものではないのだ。
ヘレジナは、強い。
ジグに師事したことで、彼女は自分で思う以上に強くなっている。
俺には確信があった。
今、抗魔の首輪が外れたとしたら、ジグはもうヘレジナに勝てない。
十戦して何勝できるか、というレベルではない。
百戦したとして、一勝できるかすら危ういのだ。
ジグは以前、トレーニングの傍ら、自らを"奇跡級上位の壁を越えられなかった中位"であると評したことがあった。
それは、きっと正しい。
そして、ヘレジナは、既にその先へ行っている。
奇跡級上位。
超人の、一歩手前まで。
「──どうした、立ち呆けて。そんなに眠いなら、ここで寝ていくか。ユラさまでなくて悪いが、膝くらいは貸そう」
「ああ、いや……」
ヘレジナの膝枕に多少心を惹かれつつ、教会へと視線を向ける。
「誰が来たのかなって」
「ネルの客だろう。来客の対応はジグがする手筈だ。私たちでは失礼があるやもしれんし、それ以上に不愉快になりそうだ。顔を出すのは憚られるな」
「でも、気にならないか? 今日は御前試合の前日だろ。それに関わる来客かもしれない」
「……たしかに。言われてみると、気になるな」
「だろ」
「では、先方にバレないよう、こっそり覗いてみるとしよう」
教会とネルの屋敷とは、一本の通路で連絡している。
俺たちは中庭から離れると、教会の壁沿いに進み、茂みに隠れてその正面を覗き見た。
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