3/ペルフェン -8 石竜

「以前、"銀琴"の解析を、国家術具士に依頼したことがあったろう……」

「──…………」

「だが、術式の八割は解析不能ブラックボックス。光の矢を射出するだけであれば、残りの二割で事足りる。であれば、この"銀琴"は、いったい何の魔術具なのだろうか。貴様とて、一度は考えたはずだ」

「"銀琴"を置け」

「実を言うと、既に答えは出ている。聞きたいか?」

「聞きたくない。置かねば斬る」

「急くな」

 アイヴィルが、こちらに背を向ける。

 そして、"銀琴"を、弓ではなく、本物の竪琴のように構えた。

「貴様……ッ!」

「──!」

 俺とヘレジナが同時に斬り掛かる。

「ハサイ楽書は、本当に音楽書だったのだ」

 だが、アイヴィルのほうが早かった。

 アイヴィルの指が、弦を爪弾く。

 弓であるはずの"銀琴"が、短いフレーズを奏でた。

 その瞬間、周囲の空間が、歪んだ。

 歪みが凝集し、近くの城壁へと吸い込まれていく。

 神剣と双剣の三撃を、アイヴィルが左手の小刀で捌く。

 だが、動きが鈍い。

 構えた"銀琴"と、ヘレジナが負わせた傷のせいだ。

 このまま続けていれば、いつかは押し切れる。

 そう確信したときのことだった。

「──カナト! ヘレジナッ! 避けて!」

 ユラの声が響いた。

 反射的に、その場から飛び退く。


 ──ドォ……ン……


 何かが、俺たちのいた場所を激しく打ち据えた。

 それは、尻尾のように見えた。

 付け根を見上げる。


 そこにいたのは、


 まるで、


 石で作られた竜──


「はッは、こいつは良いものができた! 幾度も試した甲斐があったというものだ! さあ、石竜よ! すべてを壊せ!」

 土埃が収まり、俺はようやく理解した。

 城壁の一部が、ない。

 城壁が竜と化したのだ、と。

 石竜が、無音の咆哮を上げる。

 鱗のように見える石壁が、無機質でありながらも生物的に石竜を彩っていた。

「アイヴィル……ッ!」

 ヘレジナが憎々しげに叫ぶ。

「これこそがハサイ楽書の力だ。"銀琴"が欲しければ追ってきたまえ。その代わり、ペルフェンは崩壊する」

 アイヴィルが、恭しく一礼する。

「それでは、また」

 そして、城壁の向こう──ベイアナットへと駆け出して行った。

「くそッ、この女装野郎!」

 だが、俺の言葉はアイヴィルには届かなかった。

「カナト、アイヴィルなど放っておけ」

「でも、"銀琴"が!」

「いいんだ。ありがとう、カナト」

 ヘレジナが、鼻血を垂らしながら、それでも満面の笑みを浮かべてみせた。

「カナトが──皆が、私のために頑張ってくれた。その事実こそが、私の宝物だよ」

「──…………」

「さあ、石竜を止めるぞ。私たちの諍いで生み出された怪物だ。ペルフェンの民を傷つけさせるわけには行かない」

「わかった」

 折れた神剣を構える。

「ユラ、着火を頼む」

「はい!」

 ユラの炎術により、神剣が炎を纏う。

「ペルフェンは窪地だ。あの丸い図体では、坂まで進行を許せば底まで止まるまい。ここで決着をつける!」

「応!」

 石竜の体長は、首の長さを含めると、十メートルを優に超える。

 元が城壁らしいずんぐりとした胴を持ち、短い二本の脚で市街へ向けて歩いている。

 俺は、石竜の右後脚に炎の神剣を振るった。

 剣速と共に勢いを増した業火が、石竜の脚を焦がす。

 だが、相手は石だ。

 神剣の赤い炎では、明らかに温度が足りない。

 石竜は、止まらない。


 ──キンッ! キン、キン、キンッ!


 ヘレジナの双剣が凄まじい速度で石竜の左後脚を打ち据える。

 火花と共に石片が散る。

 石竜の歩みは止まらない。

「くッ、弱点はないのか……!」

 石竜の尾が、眼前を薙ぐ。

 動きは鈍重で、気を付けてさえいればこちらがやられる心配はない。

 そのとき、背後から声が届いた。

「おい、ワンダラスト・テイル! そいつは……!」

「──竜だ! 竜が出たぞーッ!」

 思わず振り返る。

 それは、十数人の冒険者たちだった。

「逃げろ! こいつ、攻撃が効かない!」

「そんなわけに行くかよ!」

「ここは俺たちの街だ! 俺たちのペルフェンだ! 竜だかなんだか知らねえが、壊させてたまるか!」

「──…………」

 その言葉に、思わず笑みがこぼれた。

 冒険者たちが、剣や斧、棍棒で、石竜に殴り掛かる。

 術に秀でた者たちは、炎術で表面を焦がし、操術で樽を飛ばし、光の矢で石竜の目を射抜いた。

 石竜の歩みが、すこしだけ鈍る。

 だが、それは予備動作に過ぎない。

「──尾が来る! 避けろ!」

 石竜が勢いよく反転し、その尾が周囲を薙ぎ払う。

「ぐ、……うッ」

「かはッ──」

 避けきれなかった数人の冒険者たちが、十メートルほど吹き飛ばされた。

「ユラ、ヤーエルヘル! 怪我人を運ぶぞ! このまま行けば潰される!」

「はい!」

「わかった!」

 俺とユラ、ヤーエルヘルが、冒険者たちに肩を貸し、石竜の進行方向から外れた位置へと連れて行く。

 ヘレジナが、石竜の胴体を駆け上がり、頭部に剣閃を幾度も見舞う。

「駄目だ、硬い……!」


 そして、

 最後の冒険者を迎えに行く途中、

 眼球のない石竜の双眸が、ユラを捉えた。


 石竜の前脚が、ユラ目掛けて振り下ろされる。


「ユ──」


 駆け出す。


 間に合わない。


 こんなところで失うのか。


 あの子を失うのか。


 手を伸ばす。


 届かない。


 届かない──


 そのとき、ヤーエルヘルが、ユラをかばうように立った。


 ──パチッ


 炎術が爆ぜる。


 次の瞬間、


 ヤーエルヘルの眼前まで伸びていた前脚の先が、消え失せた。


 空間に開いた穴を埋めるため、周囲のすべてが引きずられる。

 暴風の吹き荒れる中、俺は、ヤーエルヘルとユラを両肩に担いでその場を離脱した。

 二十メートルほど離れ、ふたりを下ろす。

 そして、思わずふたりを抱き締めた。

「わ」

「ありがとう、ヤーエルヘル……」

 涙が溢れそうになる。

「──…………」

 だが、ヤーエルヘルの双眸は、変わらず石竜を射抜いていた。



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