2/ロウ・カーナン -13 落とし穴の先で
「──……ト……」
声が聞こえる。
ほっとするような、身の引き締まるような、そんな声だった。
「お願い、起きて……ッ!」
俺は、死んだのか。
嫌だ。
俺は、まだ、何も成していない。
ヒーローになれていない。
「──カナトッ!」
失われた感覚を寄せ集め、
俺は、
全身全霊を込めて目蓋を開いた。
「──…………」
目に映ったのは、ぽろぽろと涙を流すヘレジナの顔だった。
俺は、震える右手を伸ばし、ヘレジナの頬に触れた。
親指で涙を拭い取る。
「……泣く、なよ……、ヘレジナ……」
「カナト……」
ヘレジナが、俺の手に両手を重ね、頬ずりをする。
溢れる涙がくすぐったかった。
「よかった……、目を覚まして、くれた……」
現状の理解のために記憶を掘り起こす。
「……そうか。俺たち、落ちたんだっけ」
そこまで言って、気付く。
「ユラとヤーエル──づッ!」
身を起こそうとして、全身に激痛が走った。
「カナト、動くな。全身の打撲に加え、右足も折れているのだぞ」
「あー……」
そうか、けっこう落ちたものな。
「ヘレジナは?」
「……大丈夫だ。カナトのおかげで、無傷だ。カナトが、私をかばってくれたから」
「なら、よかった……」
壁に背を預ける。
「いいわけあるか!」
ヘレジナが声を荒らげる。
「どうして私を放って置かなかった! ユラさまとヤーエルヘルを守るのはお前だと言ったはずだ!」
「いや、反射的に……」
「馬鹿! アホ! 考えなし! お前はユラさまを守っていればいいのだ! それを、私などと……」
「──…………」
ぽん、と。
ヘレジナの頭に手を置いた。
蟲の魔獣の粘液で固まってしまった髪を、梳くように。
「そんなこと、言わないでくれ。どちらかしか守っちゃ駄目だなんて、そんな意地悪はやめてくれ。あの日、流転の森で俺を拾ってくれたのは、ハルユラ=エル=ハラドナと、ヘレジナ=エーデルマン──このふたりなんだから。どちらが欠けても、俺は嫌なんだ」
冗談めかして言葉を継ぐ。
「……もちろん、今は、ヤーエルヘルも」
「──…………」
しばし呆然としていたヘレジナが、口を尖らせた。
「ばか」
「はい」
「ばかかなと。ばかなと」
「……エロはつけないの?」
「今は、エロバカではない。本当の、ばかだ」
「ひどいな……」
ヘレジナが、くすりと笑う。
「ばー……か」
馬鹿馬鹿と連呼されているのに、不思議と心が温かくなった。
ヘレジナが笑ってくれたことが、嬉しかった。
「……実際、今、どういう状況なんだ? ただ真下に落ちただけなら、ユラとヤーエルヘルに声が届くと思うんだけど」
天井を見上げたが、崩れているようには見えない。
あの通路の真下ではない。
「落下したあと、かなり長い時間、急斜面を滑り落ちたのだ。カナトの頭上にある穴から放り出されて、今はもう、ここがどこかもわからない」
周囲を見渡す。
そこは、ごく狭い空間だった。
学校の教室ほどの広さもない空間の中央に、あの宝箱が逆さになって中身をぶちまけている。
中から溢れていたのは、無数の金貨だった。
「……換金したら、百三十万シーグルに届くかな」
「わからん。正直なところ、カナトと無事に帰れるのならば、"銀琴"などどうでもいい」
「えー……」
頑張ったのに。
「お前は既に、"銀琴"より価値ある存在だと言っているのだ。誇るがいい」
「──…………」
さすがに照れる。
「ああ、そうだ」
ヘレジナが、見覚えのある鞄を拾い上げる。
「これが落ちていた。ユラさまの鞄だ」
「……なんで?」
「恐らく、ユラさまが投げ入れてくださったのだろう」
「秘密って言ってたけど、何が入ってるんだろう」
「実のところ、私もよく知らん。詮索したことなどなかったからな」
従者の鑑である。
「……開けていいのかな」
「よかろう。開けねばユラさまの御意思に背くことになる」
そう言って、ヘレジナがユラの鞄を開いた。
「──…………」
中には、革袋がひとつ。
中身を確認したヘレジナが、俺に言った。
「カナト、口を開けろ」
「……?」
意図がわからなかったが、とりあえず口を開く。
「はい」
口の中に、丸いものが入ってくる。
「……甘い」
それは、飴玉だった。
「ユラ、飴玉をずっと大事に持ち歩いてたのか」
可愛いなあ。
「それだけではないと思うのだが……」
何事か思案するヘレジナに告げる。
「ヘレジナもひとつもらえば? 甘くて美味しいぞ」
「うむ」
ヘレジナが、飴を口に放り込む。
「甘い……」
「な?」
「これはこれで、心が落ち着くものだな」
革袋を鞄に仕舞い、ヘレジナが立ち上がる。
「私は出口を探す。カナトは休んでいろ」
「いや、俺も──」
「馬鹿者。足が折れているのに無理をするやつがあるか」
ヘレジナが、心配そうに言葉を継ぐ。
「……カナトが守ってくれたから、私はこうして無傷で動けるのだ。私の代わりに怪我を負ってくれたのだ。だから、休んでいてくれ」
「……わかった」
仕方がない。
無理を押せば、ヘレジナに迷惑を掛けてしまうだけだろう。
この部屋は、狭い。
ほんの十分もあれば、部屋の中を隈無く調べ尽くすことができてしまう。
ヘレジナが、神妙な顔で言った。
「──出口が、ない」
俺は、頭上の穴を示した。
「元来た斜面を戻るのは?」
「急斜面と言ったろう。無理だ。仮に可能だとしても、カナトを置いて行くことになる」
「干し肉も水もあるし、いったん置いて行ってもらえれば」
「嫌だ」
「嫌って……」
「そもそも無理なのだ。ユラさまとヤーエルヘルに期待するしかない」
「……大丈夫かな」
あのふたりのことを考えると、胸がざわめく。
無事でいるだろうか。
「大丈夫だ。蟲の魔獣はほぼ殲滅した。ヤーエルヘルは、あれでいて気骨がある。それに、何より、ユラさまが私たちを放って置くはずがあるまい」
「たしかに」
苦笑する。
ユラが、何もしないはずがない。
きっと助けに来てくれる。
それまでの辛抱だ。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
面白いと思った方は、是非高評価をお願い致します
左上の×マークをクリックしたのち、
目次下のおすすめレビュー欄から【+☆☆☆】を【+★★★】にするだけです
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます