2/ハノンソル -終 折れた神剣
「──ナト……、カナト……!」
声が聞こえる。
女の子の声だ。
「ユ、ラ……?」
目を開く。
焦点の合わない視界の中、俺の顔を覗き込む誰かの頬に、そっと手を添えた。
「おはよう、ユ──」
「ユラさまでなくて悪かったな」
「!」
幾度かまばたきをしたのち、相手の正体にようやく気づく。
「ヘレジナ!」
「……へえー。ふうん。ユラさまが相手なら、そんな起こされ方をするのだな」
「いや、その……」
頬に添えていた手を、ヘレジナがぺしっと叩き落とす。
痛みはないが、なんだかへこむ。
「……不機嫌みたいだけど、伯爵のところで何かあった?」
「城では何もなかった。むしろ、歓待を受けたくらいだ。私が不機嫌な理由が知りたければ、自分の胸に手を当てて考えてみるがいい」
みだりに顔に触れたから、だろうか。
違う気がする。
「──って、そんな話をしてる場合じゃなかった。ルインラインも一緒なのか?」
「うん。事はすべて、滞りなく。これも、カナトとユラさまが"七番目"と接触してくださったおかげだ。ありがとう」
そう言いながら、ヘレジナが、ベッドのシーツを容赦なく剥ぎ取っていく。
「言葉でしか感謝を伝えられないのが、こんなにももどかしいとはな……」
「ぐえ!」
ベッドから蹴り出される。
さっきから行動と言動とがちぐはぐに思えるのは、俺の気のせいだろうか。
ヘレジナに叩き起こされ、寝室を出ると、ルインラインが朝食らしきパンをミルクで流し込んでいるところだった。
「──…………」
心の中でメルダヌアに感謝する。
彼女は、自らの誇りにかけて、俺との約束を果たしてくれたのだ。
「おお、カナト殿。おはよう。高級なホテルだけあって、パンひとつ取っても柔らかくて美味いぞ。ひとつどうかね」
「おっ、と」
ルインラインが投げて寄こした丸パンを受け取り、頬張る。
確かに美味い。
「ところで、ユラは?」
ヘレジナが答える。
「ユラさまは、まだ眠っておられる。先程、一度起こしたのだが、旅路の疲れが一気に溢れ出たのだろうな」
昨夜のうちに取り返しておいた腕時計を覗き込む。
午前九時過ぎ。
「昨日、かなり夜更かししたからね。そのせいもあると思う」
「それにしても──」
ミルクを飲み干したルインラインが、口元を拭いながら続ける。
「まさか、"七番目"を引っ張り出すとはな。さすがはカナト殿だ」
「そんな、大したことは」
「ご謙遜召さるな。正直なところ、儂は、解放されるまで二日はかかると踏んでいた。市井に紛れて暮らす"二番目"と"十一番目"とは面識があってな。儂の名を供にして探し歩けば、向こうから接触してくると睨んでいたのだ。それが半日で済んだのだから、カナト殿は、誰憚ることなく自分の有能さを誇るべきだ」
「──…………」
ちくり。
罪悪感が胸を刺す。
逡巡していると、
「……あふ」
ぼりぼりと腹を掻きながら、ナクルがベッドルームから姿を現した。
「カナトの兄ちゃん、誰か──」
ナクルの寝惚け眼が、一瞬にして見開かれる。
「も、もしかして、ルインライン=サディクル──さん、ですか……?」
「むん?」
ルインラインが、胡乱げな視線をナクルに向ける。
「なんだ、坊主。パン食うかパン」
「いや、食うけど……」
ナクルは、ルインラインに憧れている。
紹介すべきだろう。
「ルインライン。この子は、ナクル。今回の功労者なんだ。ナクルの洞察力がなければ、たぶん、この結末には辿り着けなかった」
「ほう」
ルインラインが姿勢を正す。
「すまんな、ナクル殿。侮った。貴殿の言う通り、儂の名はルインライン=サディクル。パレ・ハラドナ騎士団〈不夜の盾〉の団長を務めておる」
「本物……?」
「本物だとも」
「……ほ、本物なら、証拠を見せろください!」
微笑ましい。
なんだ、年相応の顔もできるんじゃないか。
「ふむ。証拠とな」
しばし思案したのち、ルインラインが立ち上がる。
「どうやら、儂について、あることないこと吹き込まれている様子。逸話というのは厄介だな。儂の手を離れ、勝手に尾ひれがついていく。何を以て証拠とするかは難しいが、どれ、技のひとつも見せようか」
そう言って、腰に提げた鞘から、剣を抜き放つ。
その剣は、
「……折れてる?」
柄と同じ長さの刀身のみを残し、不格好に折れていた。
「──折れた神剣アンダライヴ!」
拳を握り締めながら興奮気味に声を上げるナクルを見て、ルインラインが呆れた顔をする。
「剣の銘まで出回っとるのか……」
「さすが師匠!」
「嬉しくないのう」
辟易した様子で、ルインラインがベランダに出る。
そして、折れた剣を上段に構えた。
「──覇ッ!」
一閃。
折れた剣は虚空を斬り裂き、あまりの剣圧に、体重の軽いナクルがたたらを踏んだ。
「──…………」
「──……」
「すげえ、けど……」
「……素振り?」
そもそも、折れた剣なんかで何かが斬れるとも思えない。
「はー、やれやれ。年は取りたくないのう。一振りで、もう腰が痛いわ」
ルインラインが、大儀そうに椅子に腰掛ける。
「カナト。それに、ナクル殿」
「?」
ヘレジナが、空を指差す。
「あれを見るといい」
ヘレジナの指先を追い、視線を上げる。
すると、
「……は?」
「──……!」
雲が、真っ二つに割れていた。
「ふふん。師匠はすごいだろう!」
凄すぎて、ちょっと引く。
「……魔法?」
「魔法でも、魔術でもない。遠当てという技術だ」
「ヘレジナもできるの?」
「……うでのながさくらいなら」
「見栄を張るな、ヘレジナ。その半分にも達しておらんだろう」
「う」
それでも十分凄いとは思う。
ルインラインと比較しなければ、だけど。
「すッ……、げえ──ッ!」
ぴょんぴょんとその場で跳ねながら、ナクルが大声を張り上げた。
「カナトの兄ちゃんについてきてよかった! ほんと、よかった……!」
「泣かなくても……」
「な、泣いとらんわ!」
それだけ、ルインラインに憧れていたんだろうな。
「──ああ、そうだ。カナト殿。"七番目"から預かり物がある」
「メルダヌアから?」
ニヤリと口角を吊り上げたルインラインが、懐から鍵を取り出した。
「寝室の合鍵だそうだ」
「え」
「いやあ、カナト殿はほんにモテるのう」
あの女、爆弾寄越しやがった!
「──…………」
ヘレジナの視線が痛い。
とても痛い。
そのとき、選択肢が現れた。
【桃】受け取る
【桃】受け取らない
どっちも桃色じゃねえか!
ええと、これは、受け取るとメルダヌアの好感度が上がって、受け取らないとヘレジナの好感度が上がるのだろうか。
でも、受け取れないよなあ……。
心が決まると、世界に色が戻った。
「……ナクル。これ、メルダヌアに返しといてくれる?」
「もったいねえなあ。現地妻ってことにして、キープしときゃあいいのに」
「できるかそんなこと!」
「ユラの姉ちゃん一筋ってか。まあ、あんだけ可愛い恋人がいれば、仕方ないかもな」
「……恋人?」
ぴくり。
ヘレジナが、片眉を上げる。
「あっ」
「さあ、エロバカナト。その話、詳しく聞かせていただこう」
「いや、ちょ、ま、これには深い理由が──」
「きりきり吐けい!」
「あ──ッ!」
ヘレジナの詰問は、ユラが起きてくるまで続いたのだった。
……これ、好感度上がったのか?
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