2/ハノンソル -8 神託

 ハノンソル・ホテル 十三階、息吹の間。

 この世界に"スイートルーム"という単語が存在するかはわからないが、少なくとも、それに類する部屋であることは確かだ。

 無駄に四部屋もあるベッドルームのうち、最も広い一室を占拠したナクルの寝息が、リビングルームにいる俺たちにまで届いている。

「──…………」

「──……」

 ユラとふたり、ハノンソルの夜景を眺める。

 無言だが、気まずくはない。

 心地よい時間に言葉を差し挟んだのは、ユラだった。

「……ねえ、カナト」

「んー」

「あなたには、何が見えているの?」

「──…………」

 当然と言えば当然だ。

 ジングル・ジャングルなどという運任せのゲームに十数連勝もすれば、確率的におかしいと思わない方が難しい。

 実際、ニアバベルであるメルダヌアがわざわざ出張ってきたのも、イカサマを疑ってのことだろう。

 イカサマにはイカサマを。

 これ以上ない対抗策である。

「ごめん、一分くらい待って。まとめる」

「うん」

 しばし熟考し、答える。

「──俺には、時折、選択肢が見えることがある。この世界に来てからのことだけど。さっきの勝負だと、ニーゼロを選ぶか、イチイチを選ぶか、ゼロニーを選ぶか、三つの選択肢が視界に表示されていた」

「……それだけ?」

「いや、肝心なことがある。選択肢は色分けされていて、その選択肢を選んだ場合の未来が大まかにわかるんだ。限定的な予知能力みたいなものだと思う」

「!」

 ユラが、目をまるくする。

「ごめん。本当はさっさと言うべきだったんだろうけど、タイミング逃しちゃって……」

 ふるふると首を横に振り、ユラが口を開く。

「いいの。それより、もっと具体的に聞かせてほしい。色分けって、どんな感じなの?」

「選択肢の周囲に枠があって、それに色がついてるんだ。たぶんだけど、青は事態の好転。白は現状の維持。黄色は事態の悪化。赤は選んだことないけど、致命的な何かだと思う。あと、もう一色だけ色があるんだけど、良いとも悪いともつかないから困ってる」

「どんな色?」

「桃色。白と赤のあいだだから警戒してるけど、それだと黄色と意味がかぶるんだよね」

「その選択肢、選んだこと、ある?」

「……あると思う。でも、何が起こったかはあんまり覚えてないかな。危機的状況より、ユラとかヘレジナと話してるときによく出たんだけど」

「そう……」

 ユラが目を伏せる。

「次に出たら選んでみて。悪いことではなさそうだし」

「わかった」

 頷いた瞬間、世界から色が分離した。


【白】ハノンソルの夜景を眺める


【白】ベッドに入る


【桃】ユラの肩を抱き寄せる


【白】ナクルにイタズラをする


 おお。

 空気を読んだ選択肢くんが、都合よく目の前に現れた。

「──…………」

 肩を抱く。

 肩を抱く、か。

 仕方ない、検証のためだ。

 あくまで検証のためであり、一切の他意はない。

 そう決めると、時間の流れが元に戻った。

「……えー、と」

「?」

 ユラの背中に伸ばした手指を躊躇うようにぴこぴこと動かしながら、なんとか肩に触れる。

「!」

 ユラの頬が、一瞬で真っ赤に染まった。

「──どう、かな」

 顔を伏せたユラが、言葉を搾り出す。

「どうって、その──き、緊張、します……。わたし、そういうの、初めてだから……」

「これ、桃色の選択肢だったんだけど」

「──…………」

 ユラが、呆れたような、怒ったような、初めて見る顔をした。

「……だいたいわかりました」

「?」

「それでもまだどきどきしてるあたり、わたしも単純だと思うけれど……」

「あ」

 もしかして。

「桃色の選択肢って、つまり、相手の好感度を──」

「わー!」

 ユラが、わたわたと両手を動かす。

「き、気づかなくていいから!」

 そんなこと言われても。

「──…………」

 しばしの沈黙ののち、ユラが口を尖らせながら言った。

「……ヘレジナと話してるとき、桃色を選んだらダメですよ」

「善処します」

「ダメだよ!」

「いや、他の選択肢が軒並み黄色と赤だったりしたら、さすがに選ばざるを得ないというか」

「不可抗力以外は、ダメ」

「はい……」

 禁止されてしまった。

 独占されている感があって、ちょっと嬉しい。

「……カナトは、エル=タナエルの寵愛を受けているのね」

「運命の女神さま、だっけ」

「うん。銀輪教の主神。この世界をお創りになったの」

 ユラが、目を伏せる。

「……でも、わたしはダメ。皇巫女だというのに、エル=タナエルに嫌われてしまった」

「嫌われた?」

「──…………」

 そっと立ち上がり、ユラが窓ガラスに手を触れる。

「神託は、ある日突然に下る。エル=タナエルが、わたしの体を操って、なんらかの形で言葉を残すの。そのあいだ、わたしに記憶はない。だから、周囲に臣下がいれば彼らに伝えるし、誰もいなければ書き残す。こんな具合に」

 ユラが、窓ガラスに吐息を吹きかけて、曇った場所に文字を書く。

 なんと書いたかまでは、わからないけれど。

「カナトは覚えてるかな。わたしに下賜された神託のひとつに、"前皇帝の崩御"がある──ヘレジナが、そう言ってたこと」

「覚えてるよ」

「パレ・ハラドナの前皇帝は、わたしのお爺さまだったの」

「……それは」

 思わず言葉が詰まる。

「それは、つらいね」

「……うん」

 皇巫女の神託は決して外れない。

 避け得ない死の宣告を祖父に下さなければならなかったユラの胸中は、いかばかりか。

「わたし、お爺さまが好きだった。お城の中はいつもぎすぎすしてて、居心地が悪かったけれど、お爺さまといるときだけは、そんなことちっとも気にもならなかった。だから、神託が下ったとき、決めたの。その未来を覆そうって」

「未来を、覆す……」

「子供なりに頑張った。いろんなことをした。死因まではわからなかったから、とにかくお爺さまを危険から遠ざけた。暗殺が怖いから、なるべく部屋で過ごした。毒殺が怖いから、わたしが毒味をした。お爺さまは、自らの死をとうに受け入れていたけれど、わたしのわがままに付き合ってくださった」

 だが、結末は決まっている。

「……神託によって定められたその日、お爺さまは倒れた。心臓の発作だったみたい。病気知らずだったのに、それが不思議で仕方なかった。だから、思った。思ってしまったの」

 ユラが、こちらを振り返る。

「わたしが神託なんて授からなければ、お爺さまは死ななかったんじゃないか──って」

「──…………」

 言葉が出なかった。

 頷くことも、否定することもできない。

 どちらを選んでも、きっと、ユラを傷つけてしまうから。

「……きっと、わたしは、エル=タナエルに愛想をつかされてしまったのね。それから三年間、神託は、ただの一度も下らなかった。そのせいで、パレ・ハラドナの権威は失墜し始めている。神託を授かれない皇巫女に、意味はないから」

「そんなこと──」

 ない、と言い切れるだろうか。

「三年ぶりの神託を、"外れました"の一言で片付けるわけには行かない。的中するとわかっていても、手をこまねいてはいられない。頼ってばかりで、ごめんなさい。何も返せなくて、ごめんなさい。わたしができることなら、なんだってする。だから──」

 まっすぐに俺の目を見つめ、ユラが告げた。

「カナト。地竜窟まで、わたしたちを導いてほしい」

「──…………」

 立ち上がり、ユラの頭に手を置く。

「ユラは、嫌われてなんかいない」

「……?」

「俺がいる。ここにいる。俺が女神の寵愛を受けているのなら、それはきっと、ユラの力になるためだ。そうでなきゃ、こんな気持ちになるはずない」

「どんな、気持ち?」

「……秘密」

 この子と共に歩きたい。

 この子の重荷を、すこしでも肩代わりしてあげたい。

 そんなこと、気恥ずかしくて言えやしないけれど。

「──ねえ、カナト。今、桃色の選択肢を選んだり、した?」

「?」

 唐突な言葉に、思わず首をかしげる。

「選択肢、出てないけど……」

「……そっか」

「もしかして、好感度上がったかな」

「──……!」

 ユラの頬が、ほのかに染まる。

「そ、そろそろ眠りましょう。ルインラインたちがいつ来るか、わからないのだし」

「そうだね」

 俺とユラは、それぞれ別の寝室へ向かい、床に就いた。

 疲れ切っていたせいか、夢は見なかった。



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