2/ハノンソル -3 首都ハノン
パラキストリ連邦ザイファス伯領、首都ハノン。
ザイファス六世の統治する商業都市である。
南北に細長く、その特徴的な形から"長靴"などと揶揄されることもあるらしい。
人口は、公称で十七万人。
だが、実際には、三十万人近い人々が住んでいる。
公称と実情とに差があるのは、ハノン南部に、"
ザイファス六世が、納税の見込みのないハノンソルの存在をなかば黙認しているのは、その住民が運営するパラキストリ最大のカジノが理由のひとつだと言われている。
表向きは不干渉を貫く代わりに、上前はきっちり撥ねていく。
その噂が本当だとすれば、双方共にしたたかだ。
騎竜車を降りて最初に驚いたのは、幹線道路の広さだった。
優に軽自動車三台分の横幅を誇る騎竜車が、十輛は同時にすれ違うことができる。
道路の端には、馬車や牛車、騎竜車などの預かり所がずらりと併設されており、好きな場所で降りることができる仕組みになっていた。
「はー……」
石畳の上を歩きながら、感嘆の吐息を漏らす。
車止めのある歩道には一定間隔で金属製のポールがそびえ立っており、ユラが作り上げたものより遥かに小さな光が、その上で皓皓と輝いている。
無数の魔術の明かりが照らす街並みは上品で、どこかロンドンを彷彿とさせた。
見るもの聞くものすべて珍しく、人の波に沿って歩きながら周囲を見渡していると、一本の街灯が切れていることに気がついた。
ヘレジナがポールへと近づき、光の魔法で明かりをつける。
「街灯が消えていれば、気づいた者が灯す。暗黙の了解だ」
「なるほど」
必要は発明の母である。
光の魔法があれば、ランプは必要ない。
一方で、懐中時計を作れる程度には技術の発達が見られることから、魔術に頼ることの出来ない分野が存在することがわかる。
成り立ちからして異なる文明を目にするのは、この上もなく刺激的だ。
「さて、ひとまず宿を取ることにしよう。カナト殿は儂と同室でよいかね」
「あ、はい」
ルインラインが、にまりと口角を上げる。
「なんなら、ハルユラ殿と同室でも構わんが」
「ちょ」
何言ってんだ、このおっさん!
「わたしはそれでもいいけれど……」
「いけません、ユラさま! いくらカナトでも男は男! 沐浴中のユラさまに向けるねっとりとした視線を、私は忘れておりません!」
「だから、あれは誤解だってば!」
「なんだ、ヘレジナ。妬いてるのか」
「やッ!?」
「カナト殿。ちいと邪魔くさいかもしれんが、不肖の弟子も混ぜてやってくれ。なあに、ちんちくりんでも女は女。カナト殿ほど若ければ、ふたりくらいは問題あるまい」
「……?」
ルインラインのセクハラ発言に、ユラがきょとんと小首をかしげる。
「ゆ、ユラはまだわからなくていいから!」
「そうです! 師匠の言葉は聞かなかったことに!」
ユラが、不満げに頬を膨らませる。
「ずるいわ、ふたりだけ。なんだか通じ合ってるみたい」
「その、そういうわけでは……」
「ないんだけど……」
「ほら」
ユラの頬が、ますます丸くなっていく。
「ははは、カナト殿は女たらしだのう」
「あんたのせいだろ!」
なんというか、本当に困った人だ。
こんなんで騎士団長が務まるのだろうか。
たぶん、副団長とかがすごく苦労してるんだろうなあ。
見も知らぬ副団長に心の中で同情していると、
「──……!」
ルインラインの眼光が、唐突に鋭さを帯びた。
「……しまったな。その手で来るか」
「ルインライン?」
「カナト殿。ハルユラ殿を連れて、すこし離れていてくれ。ちと厄介なことになる」
その言葉の直後、選択肢が現れた。
【白】この場から離れる
【黄】この場に留まる
【黄】ルインラインに真意を問う
理由を尋ねたかったが、仕方ない。
「ユラ」
「うん、わかった」
頷くユラの手を取り、人の流れに従って十メートルほど距離を取る。
恐る恐る振り返ると、ルインラインとヘレジナを挟んで反対側の道から、
道行く人々が皆足を止め、ピリピリとした緊張感が場に満ちる。
そして、先頭の兵士がルインラインの前に進み出た。
「──〈不夜の盾〉団長、ルインライン=サディクル殿とお見受けする」
先頭の兵士が、板金に覆われた右手の甲を見せながら、ルインラインに向かって頭を下げた。
後続の兵士たちも、それに続く。
ルインライン=サディクル。
静まり返っていた通りにその名が響いた直後、群衆がざわめきはじめた。
ちょっと疑っていたのだが、本当に有名人だったらしい。
「人違いではないかな。なに、よく似ていると言われるのだ。まったく、美丈夫はつらいつらい」
「その、人を食ったような話し方。ルインライン殿に相違ない」
「どこぞで話したことでもあったかな」
「失礼した。いま、兜を取る」
兜の下から出てきたのは、三十代半ばほどの凛とした男性の顔だった。
「ハノンの兵隊長か。では、とぼけても意味はあるまいな」
「ルインライン殿がハノンを訪れていると聞き、急ぎ馳せ参じた。伯爵も、是非ともあなたの武勇伝を聞かせてほしいとおっしゃっている。逗留には城の客間を使うとよかろう」
「できれば遠慮願いたいところだ」
「理由を尋ねてもよろしいか」
「堅苦しいのは苦手でね」
「では、堅苦しくならないよう取り計ろう。幸い、伯爵は寛大な方だ。ドレスコードに気を遣う必要はない」
ルインラインがヘレジナの肩に両手を乗せる。
「儂の代わりに、弟子でなんとかならんか」
「師匠……」
ヘレジナが、ルインラインを半眼で睨む。
「隣接する伯領と懇意にするのがそんなにお嫌であれば、仕方ない。伯爵にはその旨伝えておこう」
「──…………」
このままでは、国交問題になる。
否。
このままでは、国交問題に"する"。
兵隊長は、そう言っている。
「相分かった。招待に応じよう。ヘレジナも、それで構わんな」
「しかし、師匠──あいだッ!」
ヘレジナの肩に、ルインラインの十指が思いきり食い込んでいる。
あれは痛い。
「喜んで、だそうだ」
様子を窺い続ければ、俺たちは分断される。
だが、下手に首を突っ込んで、ユラの素性を知られる愚は犯せない。
どう動くべきか悩んでいると、
【白】様子を見る
【黄】ルインラインの元へ戻る
【桃】ヘレジナを見つめる
【白】ユラを止める
ユラを、止める?
ふと隣のユラを見ると、大きく息を吸い込んでいる最中だった。
もし、何かを叫ぼうとしているのなら、止めなくては。
色を取り戻した世界で、慌ててユラの口を塞ぐ。
「んむ!」
「ごめん。でも、いま目立つのは不味い」
「──…………」
ユラが、こくりと頷く。
俺の意図が伝わったらしい。
「──ところで、ケレスケレスは息災かな」
ルインラインの言葉に、兵隊長が眉をひそめる。
「ここは、ハノンの中でも特に治安の優れた区域だ。"靴底"の話題はご遠慮願いたい」
「ハノンソルの支配者であるケレスケレス=ニアバベルが、伯爵と同等の発言力を有していることは、周知の事実だろう?」
「──…………」
これ以上の会話は墓穴を掘るだけだと理解したのか、兵隊長が口をつぐむ。
だが、彼は気がついていない。
今の言葉は、恐らく、俺たちに向けられたものだ。
ルインラインの意図まではわからないけれど。
「それでは、城へ赴くとしようか。今日はまだ、麦粥しか食べていないのでな。思う存分馳走になろう」
「ああ。料理人に、腕によりをかけるよう伝えておく」
ルインラインが歩き出す。
「──…………」
心配そうな顔をしたヘレジナと、目が合った。
だが、
「行くぞ、ヘレジナ」
「は、はい……」
後ろ髪を引かれながらも、ヘレジナがルインラインに続く。
師弟ふたりを連行するかのように、兵士たちがその周囲を取り囲んだ。
事実、連行には違いない。
国交を盾にして、否応なしに連れて行くのだから。
「──…………」
「──……」
兵士の一団がその場を後にすると、往来に活気が戻り始めた。
「ユラ」
「うん」
「どうしよう……」
「……うん」
困った。
この上もなく、困った。
「今からでも後を追う?」
「──…………」
ユラが、ふるふると首を横に振る。
「ルインラインを信じましょう。この状況は、彼が最良と判断したもののはず。その気になれば、わたしたちを従者と偽ることもできたのだし」
「まあ、うん……」
信じて大丈夫かな、あの人。
「悪いことして捕まったわけじゃないし、宿で待つのもひとつの手だと思う、けど」
「……だめ。だって、伯爵の意図は明らかだもの」
「旅程を遅らせること、か」
「神託に従うなら、五日後には地竜窟に辿り着かなきゃいけないの。ハノンから地竜窟までは、普通に行っても三日はかかる。夜を徹して進んだとしても、せいぜい二日がいいところ。たぶん、伯爵もそれをわかってる。わかってるから、ルインラインたちを可能な限り引き留めようとするはず」
「……なるほどな」
ルインラインの言う通り、"厄介なこと"になったわけだ。
「──ねえ、カナト」
「ん?」
「ずるいこと、言っていいかしら」
「ずるいことって──」
「カナト。もしあなたがいなければ、ルインラインはわたしを連れて逃げていた。わたしも、彼ならそうすると思った。それが最適解なんだって。だから、騒ぎを起こして、場を混乱させようとしたの」
それで、あのとき叫ぼうとしていたのか。
「でも、ルインラインはそれをしなかった。どうしてかわかる?」
「……俺が、足手まといだったから?」
ユラが、ゆっくりと首を横に振る。
「ルインラインは甘くない。目的のためなら、カナトを平気で置き去りにする。もともとハノンで別れるつもりだったから、余計にそう」
「なら、どうして……」
「たぶん、カナトに賭けたの。自分が事を起こすより、あなたに任せた方が可能性が高いと判断した。あなたの人格と能力を信じたの」
「──…………」
ああ、そうか。
そういうことか。
「お願い」
ユラが、俺の右手を取る。
「また、わたしたちを助けてほしい」
「はあ……」
空いた左手で、後頭部をボリボリと掻きむしる。
まったく。
揃いも揃って、村人Aなんぞに何を期待しているんだか。
「……本当にずるいな、ユラは。断れるはずない。断るはずもないけどさ」
「カナト……!」
ぎゅ。
優しく、だが、すがるように、ユラが俺に抱き着いた。
「ちょ、おふ、ユラさん? ……ユラさん?」
「──…………」
俺の両腕が、所在なさげに宙を泳ぐ。
本当は、抱き締めてしまいたい。
俺に任せろと、ユラの不安を取り除いてあげたい。
けれど、
「……その、人目があるので」
道行く人々から向けられる奇異の視線に耐えられない、つくづく小市民な俺だった。
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