第21話「茨戸家のお出迎え」

 七海さんは目の前にいるこの男性をお父さんと呼称した。身体が大きく筋肉質で、七海さんとは失礼ながら似ても似つかない男性だ。


 パッと見た印象は、プロレスラーである。


七海ななみ……もう一度聞くよ……そちらの男の子は誰なんだい?」


 怒りに満ちたような表情とは裏腹に、その声色はとても優しいものだった。しかもイケボである。


 もしかしたら、ただ顔が怖いだけの人なのかもしれない。


「……私の……か……彼氏……」


「!!ッ……そうか……もう夜も遅い。立ち話もなんだ……続きは家で話そうか」


 七海さんは、観念したかのようにか細い声で呟いた。それに対するお父さんの反応は、一瞬驚いた表情は見せたものの、思ったよりも淡白だ。


 後は家族の話になるのだろう……これ以上、僕が言えることは何もないが……。


「……娘さんをこんな遅くまで引き止めてしまい、すいませんでした。僕が彼女を引き止めてしまったので……あまり怒らないであげてください」


 できることは、謝罪の言葉と、せめて七海さんが少しでも怒られないようにするだけだ。


 後ろで七海さんは「違う、私が!」と叫んだが、僕はそれに首を横に振って制止する。これは僕の不注意と、七海さんと一緒にいたいという心情が招いたことだ。


 親御さんにしてみれば……遅くなった娘が見知らぬ男と一緒と言うのは不安になるのも仕方ない。


 彼女が後ろから僕の服をギュッと握る。その彼女に、僕は笑顔を返す。


 僕の役目はここまで……これで帰ろうと思ったところで、思わぬ言葉がお父さんから出てきた。


「もう夜も遅い……帰りは車で送るよ。だから、彼氏君……君にも家で話を聞かせてもらいたい」


 ……まさかの家へのお誘い……しかも彼女のお父さんからである。彼女より先にお父さんから家にお誘いを受けてしまった。


 え? なんで? ここからは家族のお話なんじゃないの?


 正直、心の準備ができてないから遠慮させてもらいたいのだが……後ろの七海さんは小さい声で僕の名前を呟く。


 小さく、か細く、弱々しい……不安に満ちた声色だ。


 うん、腹は決まった。


「分かりました。お言葉に甘えます。あ……申し遅れました、七海さんとお付き合いさせていただいてます、簾舞陽信みすまいようしんと言います」


「七海の父親……茨戸厳一郎ばらとげんいちろうです。よろしく、簾舞君……」


 厳一郎さんは左手を差し出して、僕に握手を求めてきた。……左手の握手は敵対の意味だったっけ?……僕はどうやらまだ認めてもらえてはいないらしい。


 まぁ、年頃の娘をこんな時間まで連れ回していた男相手なら仕方ないよね……僕はその握手に応える。


「それじゃあ、家に入ろうか。寒空の下では、風邪を引いてしまうだろう」


 僕達は促されるままに厳一郎さんについて行く。家までのその短い間……七海さんは何か不安なのか震えていたので、僕はその手を握る。


 流石にお父さんの前で彼女と手を繋ぐのは少し躊躇いがあったが、背を向けている間なら良いだろう。


 七海さんは驚いて僕を見て、僕は彼女を安心させるために笑みを浮かべて小声で伝える。


「大丈夫、僕がついているよ」


 彼女の震えは止まり、その顔に笑みを浮かべていた。


 うん、僕の大好きな笑顔だ。……大好きだって直接言う度胸は無いけど。


「七海が……男の子と手を繋ぐとはな……」


 目頭を押さえながら首を左右に振っている……この人は背中に目でも付いているのだろうか? ただ、その言葉は感慨深げではあるものの、怒りは感じさせない言葉だ。


 てっきり、手を繋ぐなんてけしからんと怒られると思ってたのに、どういうことだろうか?


 そして僕等は、彼女の家に入る。


 玄関にいたのは……一人の女性と、一人の女の子だ。


「あらあら、いらっしゃい。うふふ、七海が男の子を連れてくるなんてねー♪」


「それがお姉ちゃんの彼氏? なーんかパッとしない感じね……でもまぁ、悪くないんじゃない? 乱暴そうには見えないし……お姉ちゃんにはお似合いじゃないかな?」


 目を細くして柔和な笑みを浮かべる女性……七海さんにそっくりな美女は、おそらく七海さんのお母さんだろう。大人になった七海さんは、こんな感じなんだろうか?


 その隣には両手を腰に当てた中学生くらいの女の子……妹さんかな? こちらも七海さんに似ているが、目が少しだけつり上がっている。でも、自身の姉を微笑ましいものを見るような笑顔で見ていた。


「なんで二人とも……?」


 七海さんは玄関で待ち構えていた二人に困惑した表情を浮かべるが、二人はそんな七海さんが不可解であるというように顔を見合わせ、大きく溜息をつく。


 その仕草は、二人とも七海さんに瓜二つだった。


「お姉ちゃん、本気で言ってる? 普段、初美はつみさんとあゆみさんと出かける時はほとんど化粧しないくせに、あんなバレバレの用意しておいて……」


「そうねえ、それに……いつのまにかお弁当箱が一つ多くなってるし、こっそりだけど、妙に嬉しそうにお弁当作ってるし……気づくなって言う方が無理よね」


 妹さんは首を左右に振り、お母さんは頬に手を当てて首を傾げていた。


 ……七海さん。隠してたようですけど、バレバレだったみたいですよ……?


 僕の後ろに隠れて顔を真っ赤にする七海さんだが、流石にご家族の前で手を繋ぐわけにもいかず、僕もオロオロするばかりだ。


 そんな僕等を、二人の女性は微笑ましそうに見てくる。


「玄関先だ、それくらいにしておこう。二人とも、リビングで話そうか。母さん、お茶の用意を頼む」


 困っている僕らを助けてくれたのは厳一郎さんだ。僕等はそのままリビングへと案内される。


 妹さんは手をひらひらと振りながら「頑張ってねぇ、お姉ちゃん」とだけ言って部屋に戻っていった。


 姉の彼氏を一目見るのが目的で……目的達成後は興味がないと言うことだろう。面倒に巻き込まれるのを避けたとも言える。


 そのまま僕等は通されたリビングで向かい合わせに座る。僕と七海さんが隣り合い、厳一郎さんとお母さんが隣り合う。


 僕の目の前にいるのは厳一郎さんだが……彼が見ているのは七海さんだ。


「七海……私は少しだけ怒っていることがある……それが何か分かるかい?」


 顔は厳しく、口調は優しく……酷くギャップのある人だが、やはり怒ってはいたようで……七海さんは不安気に自身の考えを口にした。


「……彼氏……ができたことを……黙っていたから?」


「違うよ……まぁ父親として思うところは無いでもないが……それ自体はとても喜ばしいことだと思っている」


 喜ばしい……そういわれたことに対して僕の心も若干軽くなった。


「じゃあ……何を……」


「それはね……七海が嘘をついたことに対してだよ」


 嘘


 その一言に隣の七海さんの動揺が僕にも伝わる。そしてその言葉は、僕にも刺さる言葉だ。


 おそらく、厳一郎さんが言った嘘と、僕達が考える嘘は違うものだが……それは彼には分らない。実際問題、僕と七海さんが動揺した本当の理由も、それぞれで違うのだ。


「当人にとって恥ずかしいと思うことは人それぞれだ……だから誤魔化すと言う手段を一概には否定しないよ。だけど、七海は嘘をついて……彼氏の家にいたんだろう?」


「う……うん……」


 横目でチラリと僕を見てくる七海さんと目が合う。


 彼女は僕の家にいるときに、音更おとふけさんにも連絡していた……きっと、音更さんにも口裏を合わせてもらっていたのだろう……。


 よく漫画とかでもある展開だが……そもそもバレていたなら口裏合わせも何もないよな……ただ親御さんたちを心配させることになってしまった。


「デートくらいなら黙認してたけど……夜に男性の家……彼氏の家に行くのならば……ちゃんとそのことを言って欲しかったよ。向こうの親御さんは、御在宅だったのかい……?」


「……いなかった……だから……陽信の晩御飯を私が作ってあげたくて……」


 その一言に……厳一郎さんのこめかみが少しだけピクリとする。だけど彼は平静を保ったままだった。すごい理性だ。


「……両親不在の彼氏宅に彼女が行く……言いづらかったかもしれないけど……正直に言って欲しかったよ……反対されると思ったかい?」


 厳一郎さんの言葉に、七海さんは黙って頷いた。


 僕だって、反対されるとは思っていたので七海さんが嘘をつくのを止めなかったのだから、その点は同罪だ。僕が彼女に両親への嘘をつかせてしまったとも言えるのだ。


「まぁ、そうだね……その可能性は否定しない……それでも親としては正直に話して欲しかったよ、これは親のエゴかもしれないけどね……」


 厳一郎さんはそこで目を伏せてから、改めて僕を見た。


「でも、七海があんなに毎日……嬉しそうにお弁当を作っている相手だ……。それに、こんな時間にわざわざ送ってくれた所を見ると、簾舞君は想像してた通りとても良い青年のようだ。日頃から彼の人となりを知っていれば、晩御飯を作りに行くくらいなら反対することはなかったよ」


 淡々と、だけど笑みを浮かべながら厳一郎さんは僕のことを評価してくれた。笑顔は怖いけど、少し僕はホッとした。


「……まぁ……もしもこれが泊まりだなんてことになってたら……私は君をどうしていたか分からないけどね」


 だけど、厳一郎さんがその言葉を言い終えた瞬間に、僕の全身が震えだした。


「あなた……落ち着いてください……」


「あぁ、母さん。すまないね。ちょっと想像しただけで取り乱しそうになったよ。いけないね」


 一瞬……本当に一瞬だけ厳一郎さんの目に怒気とは違う何かが宿り僕を激しく叩いた。思わず全身が震え……これが……殺意というものなのだろうか?


 日常生活でまず受けたことのない感情に、僕の背筋が凍るように冷える。本当に殺気で寒気がするってあるんだ……。


 このプロレスラーのような人に襲われたら……僕は成すすべなくやられてしまうだろうな。


 筋トレが趣味ではあるが僕のは趣味レベルだ……この人は見るからに……戦うための筋肉をしている。


「男の子が苦手だった七海が男女交際を始めた……言いづらかったかもしれないがこんなに喜ばしいことは無いんだ。言って欲しかったよ。まぁ、親に報告するのが恥ずかしいというのは……気持ちはわかるけどね」


「だって……だってお父さんが言ったんじゃない!!」


 そこで初めて、七海さんが声を荒げる。初めて見る彼女の取り乱したような姿に、隣の僕は面食らってしまう。


 いつも笑顔で、僕を揶揄ってきて、たまに自爆して、可愛らしい彼女のそんな姿を見るのは初めてだった。彼女の悲痛な顔に僕の胸も痛くなる。


 厳一郎さんも、そんな姿の七海さんを見るのは初めてなのか……最初は驚いていたが、黙って彼女の言葉の続きを聞こうとしていた。


「お父さんが……お父さんが変なことを言うから……私は陽信と付き合ってるって言えなかったんだよ……」


「七海……落ち着いて……すまない、私は七海の男女交際について特に何か言及した覚えがないんだ……何のことを言っているのか教えてくれないか?」


 困惑した表情を浮かべる厳一郎さんと、それを落ち着いて眺めている七海さんのお母さんだが……視線は少しだけ泳いでいた。ご両親もこのような七海さんを見るのは初めてなのかもしれない。


 僕としては意外な理由だった。


 てっきり彼女が両親に打ち明けていないのは、これが罰ゲームによる告白だからだとばかり思っていたのだが……その理由は厳一郎さんにあったというのだ。


 こんなに良いご両親がいる家庭で……いったい何があるというのだろうか?


 僕の疑問は、七海さんの次の叫びで解消した。彼女は立ち上がり、厳一郎さんに向かって叫ぶ。


「お父さんが、私の彼氏ならお父さんより強くないと認めないって……前にお酒を飲んでいるときに言ってたじゃない……!! 陽信がお父さんに勝てるわけないから……だから私黙ってたのに……」


 ……え? この人に勝たないと七海さんとの交際が認められないの?


 そんな漫画のような話本当にあったのかと感心と同時に……僕が彼と戦わなければならないという状況を想像して絶望する。


 ……確かにそれなら、内緒にしたままの交際にするよな……言えるわけがない。罰ゲームなら尚更だ。


 でも僕は……七海さんのためなら……頑張れる気がする。何度挑んでもいいなら、勝つまで続けるだけだ。そして、認めてもらう。そう決意する。


 七海さんの叫びから、数秒ほどの沈黙が場を支配した。七海さんは立ち上がり叫んだ影響か、肩で息をしていた。


 僕は衝動的に、彼女を落ち着けるために……同じように立ち上がり……気づけば彼女を抱きしめていた。ご両親の目の前であるということも忘れて、彼女を慰めていた。


 自分でもその行動にビックリである。


「大丈夫だよ七海さん……それが条件なら……僕は何度でもお父さんに挑戦するよ……言ったでしょ? 離すつもりはないよって?」


「陽信……ううぅぅ……うん……ありがとう……」


 涙目の七海さんを慰めていると……お母さんの方が「あらあら」と言いながら興味深げに僕を見ていた。


 やばい……ご両親の前って忘れてた……焦った僕は厳一郎さんを見ると……彼は腕を組んで首を傾げていた……。え? なんで傾げてるの?


「なぁ……七海……悪いんだが……本当に悪いんだが……」


 なんだか歯切れが悪いその一言だが……僕は少しだけ嫌な予感がした。七海さんの言っていた前提がひっくり返るような、とても嫌な予感だ。そしてそういう予感は往々にして当たるものだ。


 厳一郎さんの反応が不思議なのか、座った七海さんも首を傾げている。皮肉にも、その首を傾げる姿勢は二人とも、とてもそっくりだった。


 それから厳一郎さんは……申し訳なさそうな表情を浮かべながら口を開いた


「私……そんなこと言ったのかい? 全然覚えてないんだけど……」


 厳一郎さんのその一言に七海さんも僕も……そして横にいる七海さんのお母さんも目が点になっていた。

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