第16話「男友達として」

「やぁやぁ、簾舞みすまい君、茨戸ばらと君。今日もお二人は仲睦まじいね。羨ましいよ。あ、僕もお昼を一緒にしてもいいかな?」


「嫌です。彼氏と二人っきりにしてほしいです」


 バロンさんの言葉通り、その日は平和だったのだが……ある意味平和ではない人がお昼に訪れた。


 標津しべつ先輩だ。昨日の今日だというのに彼は僕らの前に現れた。


「……僕の隣でいいなら空いてますよ先輩」


 七海ななみさんにバッサリと切り捨てられた先輩は、叱られた犬のように意気消沈していた。


 ……なんだかかわいそうで、僕は自身の席の隣を指さした。彼は嬉しそうに僕の隣に腰掛ける。


陽信ようしん……」


「いや、ほら……ここには僕等だけだと思えばいいじゃない」


「簾舞君……君の優しさに感動した後で、その発言は少しショックだよ……」


 先輩は僕の二倍はあるようなお弁当箱を抱えていた。中身をちらりと見ると……唐揚げ、ハンバーグ、焼き肉、トンカツ……肉のオンパレードにたっぷりの千切りキャベツの入った弁当箱……ご飯の量も尋常ではないくらい多かった。


 ちなみに今日の僕のお弁当はエビフライがメインになっている。エビフライはかなり大ぶりのエビで、レストランで出されるような立派なものだった。


 昨日はお弁当のリクエストを聞かれなかったので、何が来るのかなと楽しみにしていたが、これは期待以上だ。


 お弁当箱を開ける瞬間のワクワク感は、童心に返った気分だった。


「私の家、お祝いってなるとエビフライが定番なんだ。昨日の勝負の勝利を祝ってのお弁当だよ」


 なるほど、昨日リクエストを聞かれなかったのはそれが理由か……。


 その勝負に負けた先輩が隣にいるが、とりあえず気にしないでおこうか……。


「時に簾舞君……実は今日……僕が用事があるのは君の方なんだ」


「へ? じゃあお弁当食べ終わってからでもいいですかね?」


「あぁ、かまわない。……ちなみに聞きたいのだが、卵焼きと僕のトンカツを一つ交換してもらえないかと……」


「ごめんなさい、それはお断りします」


 即答である。


 当然ながら、僕のために七海さんが作ってくれたお弁当を人と交換するなんて……考えられるわけがない。


 先輩もダメもとだったのだろうが……ちょっとだけうなだれている。


「……先輩、何しに来たんですか?」


 先輩への不機嫌さと、僕が断ったことに対する嬉しさを同居させた七海さんが、先輩へと自ら話しかけた。


「あぁ、茨戸君……二人きりのところをすまないね。先ほども言った通り、僕は君の彼氏である簾舞君に用事があるんだ」


 昨日の勝負後から、先輩は七海さんのことを「七海君」から「茨戸君」と呼称を変更している。


 勝負に負けたことによるけじめと、もう彼女の事を諦めたことからの潔さなのだろう。


 できれば、その潔さはもうちょっと早く発揮して欲しかったが。


「僕に用事って何ですか? 昨日の勝負はもう終わったし……いまさら僕と話すことなんて、先輩にはないでしょう?」


「そう寂しいことを言わないでくれたまえ……そうだね、単刀直入に言うと、簾舞君には僕と友達になってほしいんだよ。だから連絡先の交換をしてもらえないかと思ってね」


 ……なんでそういう話になるんだろう?


「ハンデ有りとはいえ、バスケ部主将の僕を負かした君に尊敬の念を抱いたのだよ。君は彼女にふさわしい男だった……だから僕は君と友達になりたいと思ったんだよ」


 汚い手を使って勝っただけなのだが、どうやら先輩の中ではそれはきちんとした勝負の結果と捉えられているようだ。


 うーん……この人は良くも悪くも純粋なのかもしれない。ほんの少しだけ良心が痛む。


「……それに、君と友達になれば茨戸君とも友達としてもう少しお近づきになれるかもしれないだろうし」


 ……少しでも痛んだ僕の良心を返してほしい。


 ていうかそれを僕に言っちゃう辺り、やっぱりこの人ちょっと馬鹿だ。


 先輩に言いたくないけど、長身でイケメンでバスケ部主将なのに、馬鹿キャラだこの人。


「……標津先輩はね、言っちゃえばバスケにだけ特化した人なの……他は全部残念なんだけど……そこが母性本能をくすぐるって女子達に人気なのよ」


 唐突に僕の耳の近くで七海さんの小声が聞こえた。


 口に出す言葉とともに耳にかかる吐息が僕の背筋を驚きとは違う震え方をさせてくる。


 なんだこれ?! この心地いいゾクゾク感は何だ?!


 危うくお弁当箱を落としそうになってしまうが、それを何とかこらえる。危ない危ない……。


 電話でしゃべるよりも、生で声が近いというのがこれほど破壊力があるとは……。吐息が耳に当たると何とも言えないゾクゾクした感じが……癖になりそうだ。


 また一つ、今日も新しい発見をしてしまった。


 僕が一人で感動しているが、七海さんはそれに気づいた様子はなかった。


「……七海さんは……母性本能をくすぐられなかったの……?」


 僕は七海さんの耳元に顔を近づける勇気はなかったので、彼女に小声で聞いてみる。七海さんは再度僕に近づいて……耳元で囁いてきた。


「……全然……。告白する時に胸ばっかガン見で……母性本能なんて全然くすぐられなかったよ?」


 手厳しいご意見である。


 まぁ、そのおかげで今の僕があるのだから先輩が胸ばっかり見てくれたことには感謝するべきだろう。僕は改めて七海さんの顔を見て、先輩への感謝の念を強めた。


「それで、簾舞君。どうかな? 僕と友達になってくれるかな?」


「えーっと……僕でよければ喜んで。ただ、七海さんは絶対に譲りませんけどね」


「それはもうわかってるよ。未練がましく昨日は勝負を仕掛けたが、僕は次の恋を探すことにするさ」


 次の恋を探す……ということはまだ気持ちは七海さんにあるのだろうか?


 だけど、この人はそれを吹っ切ろうとして、その一つのけじめとして僕と友好関係を結ぼうとしているのかもしれない。


 その辺り、スポーツマンらしくなのか、非常に男らしいと思う。僕にはない面だ。


 僕は先輩と連絡先を交換する……相変わらず僕のアイコンはゲームキャラのままだったのをその時に思い出したが、七海さんはそれでもいいようだし、このままにしておこうと思う。


 先輩のアイコンはバスケットボールだった。


「それじゃあ、目的も達成したし僕はこれで失礼するよ……。そうだ、簾舞君……君、バスケ部に入る気は無いかい?」


「無いですよ。部活に入ったら七海さんとの時間が減っちゃうじゃないですか」


 これはどこかの作品で見たセリフだ。本音ではあるが、そもそも僕は体育会系のノリが苦手なのだ。部活に入るなんてとんでもない……。


 ちょっと七海さんを理由にするようで気が引けるが、横目でちらっと彼女の顔を見ると嬉しそうに顔をほころばせているので問題ないだろう。


「そうかい、羨ましいね。何かあればいつでも連絡してくれ。いつでも相談に乗るし、部活があるからしょっちゅうとはいかないけど……遊びのお誘いも歓迎だよ」


「ありがとうございます。その時はよろしくお願いします」


 先輩はそういうとさわやかな笑顔を残して去っていく。


 何人かの女生徒はそのあとをついていくように屋上からいなくなっていったので……先輩の新しい恋とやらも意外と早く見つかるかもしれないな。


 僕らは先輩を見送ると、そのまま昼食を再開する。


「やっと二人っきりになれたねー。陽信は先輩と一緒の方が良いのかもしれないけど」


 二人きり……とはいっても屋上の周囲には相変わらず人はいるのだが、七海さんはほんの少しだけご立腹のようだ。


 まぁ、自分がフッた相手と彼氏が仲良くなると言うのは確かに面白くはないかもしれない……。


 だけどまぁ、なんとなくあの先輩は憎めないのだ。少年漫画のように勝負したから仲間意識が芽生えてしまったのかもしれないが……。


「ごめんね、七海さん。不安にさせちゃったかな?」


「……不安とかじゃないけど、先輩ばっかり構っているのは面白くないかなーって」


 プイとそっぽを向いている七海さんは口を尖らせている。なんという可愛いことを言うのだろうか。


 でも何となく……なんとなくだけど僕を見る目に不安の色があるように見えた。


 僕の気のせいかもしれないが……昨日考えたセリフを言うなら、ここかな。


 ……本当に言うのか僕? 自分で考えたとはいえ……正直、ちょっと……いや、かなり恥ずかしい……。いや、でも……言うなら今しかないか。


「七海さん、安心してよ。昨日みたいに……先輩みたいに、君をまるで景品みたいに僕から奪おうとする人が出てきても……僕は絶対に……どんなことをしても君を離さないからさ」


 ……我ながらクサいセリフすぎる……。


 やばい、背筋が寒くなってきた。いや……平静を保て……。少なくとも、彼女からの反応を聞くまでは平静を保て僕……。がんばれ……。


「陽信……」


 七海さんの声が聞こえてきた。小さく僕の名前だけを呟き……そして……。


「プッ……」


 吹き出した……。


「アハハハハハハハハッ!! なにそのセリフ、かっこよすぎるんだけど!! やっぱり、陽信の方が先輩なんかよりずっと格好いいよ、でも……無理してるのバレバレだよ、顔真っ赤!」


 僕は言われて自身の頬を触る。どうやら自分でも気が付かないうちに顔中が真っ赤になっていたようだ。指摘されて顔はますます赤くなる。


 ……そこで僕は笑っている彼女に視線を送ると……彼女も耳が真っ赤になってることに気が付いた。


「……七海さんこそ、耳が真っ赤だよ。僕から言われてうれしかった?」


「そんなの当り前じゃない、彼氏からそんな格好いい事言われて、喜ばない女の子っているのかな?」


 グッ……また反撃を食らってしまった……この状況だと僕には完全に分が悪い……勝てる気がしない。


 隣同士でお弁当を食べながら、僕の顔は真っ赤になり、彼女は耳を真っ赤にさせていた。


 言うタイミングを間違えたかと思っていたのだが、不意に彼女は僕の脇腹をつんとつついてきた。


「……私、ちょっとお弁当が多かったみたい。食べてくれる?」


 若干棒読みでそう言うと、彼女はお弁当の中の卵焼きを差し出してくる。


 僕が彼女のお弁当の中で、特にお気に入りの卵焼きだ。


 わざわざそれを……箸につまんで差し出してきた。


「……あーんは、僕のお弁当の量が多くなったからしないんじゃなかったっけ?」


「仕方ないじゃない。私がお腹いっぱいになっちゃったんだから……残すのも勿体無いよね?」


 ……確かに、お腹いっぱいなら仕方ないよね。


 僕は彼女の差し出された卵焼きを頬張る。


 これだけで、恥ずかしい思いをしたかいがあったというもので……幸せだ。


 それから昼食を終えて弁当箱を七海さんに渡すと……彼女は僕にぴったりとくっついてきた。


 腕を組んで、僕に体重を預けてくる。その重みが心地よいのだが……。周囲からの視線が少しだけ恥ずかしい。


「七海さん……何を……?」


「格好いいことを言ってくれたご褒美かな? 今日はお昼休み終わるまで、こうやってお喋りしてよっか」


「……友達は良いの?」


「あの二人は、久々に作った手作りお弁当を彼氏に食べさせるって張り切ってたから……たぶん、また学校外に行ってるはずだよ」


「あの二人の彼氏も謎だね……。まぁいいか。……じゃあ、このまま話をしてようか」


「うん!」


 ぴったりくっついたままの彼女の満面の笑みを見て……僕は恥ずかしい思いをしても彼女にあのセリフを言ってよかったと思ったのだ。思ったのだが……。


 後日……僕は屋上で恥ずかしいセリフを真顔で恥ずかしげもなく言った男として……ちょっとした話題になってしまい……本当に、本当にほんの少しだけ後悔する羽目になるのは……また別の話だった……。

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