91:剣聖の幼馴染
ポタポタと俺の頬に温かい雫が垂れてくるのを感じ、徐々に失っていた意識が戻ってくるのが感じられた。
俺の頭は何か温かくて軟らかい物の上に乗っており、心地よい寝心地を与えてくれている。
「……フリック様、起きて、起きて。お願いだから、起きてください! こんなのっていやぁぁ! 起きて、お願いだから!」
微かに戻ってきた聴力に泣いて叫んでいる女の子の声が聞えてくる。
ただ、その声は水の中に浸かったようにくぐもっていてとても聞こえ辛いものであった。
誰か、泣いているのか……?
そういえば俺は一体どうなったんだっけ?
たしか……鉱山の連中が使役してたアビスウォーカーと。
自分が魔力と体力の限界まで使って、アビスウォーカーの集団とギリギリの戦闘を繰り広げたことを思い出していた。
そのあと、魔力と体力の限界がきて――
「死んじゃいや……死んじゃ嫌です。お願いですから帰ってきてください! フリック様、お願いだからっ!」
くぐもっていた声が少しづつハッキリと聞こえるようになってくると、声の主がノエリアであることが分かってきた。
あれ? なんでノエリアがここに……。
デボン村で待ってるように言ってたはずだけど。
いつの間にここに来てたんだろうか。
全く動かせないでいる身体であったが、ノエリアの手が俺の頬に触れ、そこから温かいものが身体に流れ込むのは感じられた。
これって、ノエリアが俺に回復魔法をかけてくれてるんだろうか。
前にも回復魔法をかけてもらったけど、今回のは特に心地よく感じるな。
「まだ、わたくしはフリック様のことを何も知らないままなんです。だから、こんな別れ方なんて嫌なんです。もっと、フリック様のことを知りたい。……知りたいんです」
視力がまだ回復していないが、顔に当たる温かい水滴は、彼女の瞳から溢れている涙だと思われる。
彼女はまだ俺の意識が戻りつつあることを知らないようで、自分の中に隠していた言葉を感情のままに吐き出していた。
「まだ、フリック様がどんな子供だったとか、どこでどんなことをしてきたのか、好きなこととか、好きな物とか、好きな食べ物とか、好きな……女性とか、全然知らないことばっかりなんです。わたくしはフリック様のことを全部知りたい。そのためにもっとずっと一緒に居たいんです」
ノエリアの本音が混じった言葉が耳に届き、正体を隠して彼女に向き合っていることに対し、自分の中で迷いが生じ始めていた。
だが、同時に自分が愛したアルフィーネが豹変し、自分を貶める存在に変わった彼女との日々が脳裏に広がり胸の奥に苦い物がこみあげてくる気配がする。
ごめん……俺はやっぱり、ノエリアの好意を受け止める自信がないや。
ほんと……ごめん。
アルフィーネから逃げてうやむやにしていた古傷が疼き、俺のことを本当に心配してくれているノエリアのことを受け止めてやりたい自分の気持ちとが入り乱れていた。
自分の中に芽生えてきた気持ちに蓋をすると、ノエリアの回復魔法が効果を発揮し、身体を動かす自由が戻ってきた。
そして、パッと目を開けると、泣き顔のノエリアに対し、笑顔を浮かべて口を開く。
「ノエリア、ありがとう。おかげで助かったよ!」
「ひゃあぅ!? フリック様!? いつから意識が戻って!? あ、ああ、あああ、あああ、ああああのぅ! ささささ、さっきの話を聞いてました!?」
目からポタポタと涙を流し、驚いた顔で俺を覗き込んでいたノエリアの顔は、恥ずかしさからか赤く紅潮していた。
「さっきの話? なんの話?」
俺はとっさに知らないふりをして誤魔化したが、彼女に付く嘘がまた一つ増えたことで心が重くなるのを感じていた。
「ノエリアがフリックのことがねー。ふあっ!? ディモル放しなさい! 放してぇ!」
茶々を入れようとしたシンツィアをディモルが電光石火の動きでくちばしに咥えて飛び去って行くのが見えた。
そんなシンツィアの姿を見ていたノエリアが、グシグシと自分の涙を拭うといつものと変わらぬ笑顔を浮かべていた。
「い、いえ。聞いておられませんでしたら、問題ありませんからっ! 大丈夫です。今のフリック様は魔力も体力も血も失っておられますのでしばらく安静にされることをご提案させてもらいます」
ノエリアの手が再び俺の頬に強く当てられていた。
「す、すまない。こんな無茶をするつもりは全くなかったんだけども……」
「本当です。多数のアビスウォーカーと戦うなんてわたくしは聞いておりませんでしたよ」
俺の頬を手で押さえたノエリアが頬を膨らませて怒った顔をしていた。
「ちょっとした手違いで……」
「手違いでアビスウォーカーと戦われては、わたくしの心臓がもちません。フリック様にもしものことがあれば……」
「俺にもしものことがあれば?」
「あれば――わ、わたくしたちはアビスウォーカーに対する切り札を失ってしまいます。フリック様はご自身の持つ力の価値を自覚してもらえると――」
俺の頬に触れているノエリアの両手の力が少しだけ強くなったように感じる。
「ふぁ、ふぁい。今後は気を付けるよ。こんな無茶はしない」
「本当にですか?」
俺の顔に自分の顔を近づけ、ノエリアが覗き込んでくる。
「ああ、約束する」
「承知しました。その言葉、わたくしの心に留めおきます。では、フリック様はまだ傷が癒えておりませぬのでしばしお眠りください。あとのことはわたくしがきちんとやっておきます」
ノエリアがそれだけ言うと、俺の視線を手でふさぎ魔法の詠唱を始めていた。
そして、俺の意識はまたそこで途絶えていた。
次に目覚めた時、俺はインバハネスの街の宿屋で目が覚めていた。
例の鉱山に居た白いローブの連中は、シンツィアが尋問しようと捕まえた後、全員が毒物を含んで自害をしたと聞かされている。
誰一人生き残った者はおらず、あの連中がどこから来た外国人たちだったのかも分からなかったそうだ。
彼らが服毒したのは、事前に指導者から情報が漏洩しそうなら、全てを隠蔽してなかったことにしろとでも指示されていたのだろう。
連中は更に用意周到に隠蔽工作をしており、俺の治療を優先していたノエリアの目の前で根城にしていた要塞が勝手に爆発し、新しい坑道ともに施設自体が落盤して潰れ、ラハマン鉱山の奥にあった集落は土砂崩れが起きて全てが埋まってしまったそうだ。
水晶掘りを手伝っていた獣人たちは事前に逃げ出していたため人的被害はなかったことだけがせめてもの救いだった。
そして、ラハマン鉱山に居た俺たちがインバハネスに居る理由は、デボン村に帰還した際、ラハマン鉱山の爆発の唯一の目撃者として冒険者ギルドとインバハネスの代官との共同原因調査名目で半ば強制的に連れてこられたとのことだった。
傷を癒すため意識のない俺の代わりに、ノエリアが聞き取り調査に対し、ラドクリフ家の関与はぼかしながらも理路整然と説明してくれたおかげで犯人扱いされず、鉱山は粉塵爆発によって崩落したことで話がまとまったそうだ。
本当ならラドクリフ家関与の情報を引き出し、糾弾するべきだったが、彼の家の関与を示す情報は全て憶測とここに居ない獣人たちの証言しかなかっため、ノエリアも色々と引っ込めて政治的な決着をつけたと言っていた。
なので、俺たちは鉱山爆発の首謀者とはされず、目撃者として証言をしただけで解放されており、辺境伯家とラドクリフ家は表向きは争いには発展していないらしい。
だが、アビスウォーカーを使役する外国人集団と、ラドクリフ家が王国の裏で色々と画策していることは浮き彫りになり始めている。
両者が繋がっていることを示せる決定的な証拠を得るために他の地方で見かけられたアビスウォーカーの目撃証言の調査を急ぐことにしていた。
今は次に目撃情報があった北部のアルグレンに向かうため、宿の中で出立の準備をしているところであった。
「本当にラドクリフ家は尻尾を掴ませませんでしたね。あのようにきれいさっぱりと吹き飛ばすことまでするとは……」
調査会でのラドクリフ家の代官の態度にスザーナが怒りを思い出したのか、プンプンと怒りながらノエリアの荷物を受け取って、綺麗に畳んでいた。
「しょうがありません。わたくしたちの持っていた情報だけではラドクリフ家が画策したとは言い切れないものばかりですし……」
「そうだな……せめてアビスウォーカーの遺体とかだけでもあれば、また違った攻め手も取れたかもしれないが。きれいさっぱり吹き飛ばされて大量の土砂の下に埋まってしまったからな。連中にしてやられたということだ」
「あと少しでしたけどね……今回は相手が一枚上手だったとしか」
ノエリアも少し疲れた顔をしてこちらを見てきたが、彼女がいなければ俺は鉱山を爆破した冒険者として首を落とされていた可能性もあった。
なので、今回のことで俺は彼女には返しきれないほどの恩を感じている。
「でも、ノエリアのおかげでなんとか危機を切り抜けられたから、次に目撃情報があったアルグレンでは絶対にラドクリフ家の連中の尻尾を掴んでみせるさ」
調査場所であったラハマン鉱山が吹き飛んでしまった今、ラドクリフ家の影響の強いインバハネスで長期滞在するのはとても危険と考えており、一刻でも早くこの地を離れることにして荷造りを急いでいるところだった。
「そうですね。ある程度事情を知ってしまったデボン村周辺の獣人たちもユグハノーツに移住を考えてる人には父上の助力を得られるようにと書き記した書状を渡しておりますし、わたくしたちも早く次の目的地に参りましょう」
ノエリア自身も今回切り抜けられたのは色々な運が重なったことを認識しており、このままこの地に居残ればいつ刺客を放たれるか分からない状態だと察していた。
「ほんと、助かる。当事者だった俺は寝てただけで本当に申し訳ない」
「いいえ、フリック様があの地にいたアビスウォーカーを一掃してくれたおかげで、あの怪物が王国中に散らばり大惨事を引き起こす可能性がなくなっただけでもすごいことなのです! だから、フリック様は胸を張っておられればいいのです!」
「そう言ってもらえるとありがたい」
「フリックー、あたしは荷物の準備終わったわよー。とっととズラかるわよ」
宿の外で本体が荷物の積み込みをしていたシンツィアが俺の肩に止まって、早く出立しようと急かしていた。
シンツィアに急かされるまでもなく、俺の方もノエリアも出立の準備はほぼ終わっていた。
「ああ、準備はできた。出立するとするか。次はアルグレンに行く」
「承知しました。今度こそ、ラドクリフ家関与の情報を手に入れましょう」
「寒いのかー。フリックの外套中にいる時間が増えそう」
「駐屯地にいるディモルとディードゥルもきっと首を長くして待ってますよ」
それぞれの荷物を持つと、俺たちはインバハネスの宿を出て馬車に乗るとディードゥルとディモルを迎えに一旦駐屯地へ向かうことにした。
その道中、近衛騎士団の支所の前に黒山の人だかりができているのがチラリと見えた。
あの人だかり何だろうか。
今回の鉱山爆発に関する情報でも書いてあるのだろうか。
「ごめん、ちょっとなんか気になるからチラッと見てくる」
「ちょっと、フリック様」
人だかりが気になった俺は馬車から飛び降りて、人だかりをかき分けていくと、一つの立て看板が目に入った。
そこに書かれていた内容に目を走らせていくと、俺は立っている地面がグラグラと揺れる感覚におそわれていった。
「王都で剣聖アルフィーネが近衛騎士団長暗殺未遂犯として処刑されたらしいぞ。あの剣聖がジャイル様を斬ったらしい」
「ジャイル様は背中に大きな傷を受けたものの命は取りとめた書いてあるな。その際、近衛騎士が多数身代わりの盾になって傷を負ったそうだ」
「最近は病気をして療養していたらしいが、近衛騎士団長を斬るとは気でも狂ったのか」
立て看板を見ていた住民たちから声が聞こえるたびに、地面の揺れが大きくなり、立っていることが困難になった俺は地面に膝を突いていた。
「嘘……だろ……そんなことがあるわけ……アルフィーネが処刑……悪い冗談だろ……」
あのアルフィーネが暗殺犯として処刑されたという立て看板を見て、俺の脳裏には幼い時から一緒に過ごしてきた彼女の姿が次々に浮かんでは消えていた。
いくら無鉄砲なアルフィーネだからって貴族相手に剣を抜くなんてことは……。
いったいどうなってるんだよ。
本当に何やってんだよ! アルフィーネのやつは!
本当に死んじまったのかよ……嘘…だよな。アルフィーネ。
荒くなる息のせいで意識が遠くなり、かすむ目には首のないアルフィーネが姿がチラついていた。
「フリック様!! いかがなされましたか! れ、例の発作ですか! すぐに回復魔法を」
ノエリアに肩を掴まれ、妄想の世界から引き戻される。
「だ、大丈夫。ちょっと立ち眩みがしただけだから。それよりもちょっと王都に寄り道をしてもいいだろうか。確かめたいことができたんだ」
「王都……ですか!? アルグレンに行く途中に寄る予定をしてましたから別に大丈夫ですけど。本当に大丈夫ですか? 顔色が真っ青ですが……」
「ああ、大丈夫。ありがとう、じゃあ目的地は王都に変更しよう」
俺は力の抜けた身体に無理矢理力を込めると、ノエリアに支えてもらいながら馬車に戻ることにした。
アルフィーネ……なんでそんなことをしたんだよ……。
訳が分からないぞ……アルフィーネ。
剣聖アルフィーネ処刑の報に接し、心が乱れた俺は一路馬車を飛ばして王都へと向かうことになった。
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