第36話 何よりも大切な『今』がある。

 俺と磯貝、星乃は空き教室にいた。


 磯貝は静かに、こちらを睨んでいる。

 星乃は不安気に、俺たちを見守っている。


 いつかの、親衛隊が出来た日を思い出した。あの日の俺は何を自信満々に、偉そうに、語ったのだろう。


 磯貝は眼鏡を光らせながら、目の前に佇んだままだ。人を呼び出しておいて、未だ話し出す気配はない。


 俺はひとりため息をついて、星乃に助けを求めてみる。


「なあ星乃、何の用だよ? あ、そうだこの後ゲーセンでもどうだ? 気晴らしがしたいんだ」


「……あは、それもいいかもね」


「だったら」


「————でも、ダメだよ」


 磯貝なんて置いてさっさと行こう、そう言おうとした俺を星乃は確かな意思を持った瞳と言葉で遮る。


 その星乃の様子は、いつかの告白を思い出した。


 星乃のはっきりとした拒絶に、俺は次の言葉を失って。何も言えなくなってしまう。


 そうしてまた、短い沈黙が教室を支配して。やっと深い思索を終えたとでも言うように磯貝が口を開いた。


「なあ、浅間紘あさまひろ。貴様は何をしている?」


「何って、なんだよ。帰ろうとしてたんだろ」


「そうではない。貴様はこの一週間、何をしているんだと聞いている」


 不遜な態度を崩さない磯貝に俺は少しだけ気圧されそうになりながらも答える。


「…………おまえには、関係ないだろ」


「関係、ないだと……?」


「これは俺とユキの問題だ」


「ああそうだ。そうだろうとも。それは貴様と雪様の問題なのだろう。だが……!」


 磯貝はもはや感情が抑えられないとでも言うように、激昂する。


「僕は親衛隊のリーダーだ。雪様のお付きだ」


「そんなもん、おまえが勝手に言ってるだけだ」


「それをやめさせなかったのは貴様だ。貴様はやろうと思えばあのとき、むりやりにでも僕たちを解散させることだって出来たはずだ!」


「っっ!!」


 磯貝の追及に俺は息を呑む。


 そうだ。あの時。本当にユキのことが好きで、他の男なんて近寄らせたくないのなら。俺は親衛隊なんてやめさせるべきだった。


 それなのに、何もかもを決めきれない俺は。情けない俺は。親衛隊のことを同士だなんて言って。誤魔化して。親衛隊の存在を良しとした。


 あの時、ユキを。ユキは俺が守るからと。俺が一生幸せにするからと。


 そんなことを言える俺がいたらどんなに良かったのだろう。


 俺は逃げたんだ。


 だから、


「何もかも関係ないとは言わせないぞ」


 磯貝の言うことがどうしようもなく、正しいのだろう。


「なぜこの一週間、貴様は雪様と一緒にいない。話さない。なぜ、雪様はあんなに悲しそうな顔をしている。話せ、浅間紘」


「あたしも、聞かせてほしいな」


 磯貝に続いて、優しい声音で星乃が言う。

  

 ああ、なんなんだ。この2人は。

 なぜこんなにも、揺るぎない目ができるのだろう。俺を見つめるのだろう。


 まるで、この世界で自分がやるべきことを理解しているとでも言うように。自分の使命が分かっているとでも言うように。


 磯貝はバカみたいに、ユキに仕えるなんて言って。でも、いつだって気持ち悪いくらいに真っ直ぐで。


 星乃はいつだって一生懸命で。誰かの幸せを願える女の子で。誰かのために頑張れる女の子で。


 この2人はきっと俺が持っていない何かを、答えを知っているんだ。



 だからこんなにも眩しくて。

 羨ましくて。恨めしい。



 俺は諦めたように。いや、もしかしたら何を期待して。話し始める。


 抱えていた想いを。


 誰かに話すことなんて永遠にないと思っていたはずの想いを。





✳︎ ✳︎ ✳︎





「いってぇな……」



 話し終えた瞬間、俺は磯貝に殴られた。

 体育祭を通して鍛えられたその拳はとんでもなく重くて、痛い。

 身体も心も、悲鳴を上げる。


 でも、殴られて当然だと思うから。


 俺はやり返すこともしなかった。


 ただただ、その場でよろめいていた。


 これで気が済んだかよ。もう帰らせてくれよ。


 だがそんな俺に、磯貝はさらなる憤怒を露わにする。胸ぐらを乱暴に掴まれた。


 ああ、理解できないだろうさ。

 これは俺とユキの話で。

 俺にだけ分かる話で。

 俺たちの物語の脇役でしかない磯貝には理解し得ない。理解されてたまるものか。


「……ふざけるな。ふざけるなよ! 僕は貴様が……貴様だから! 貴様だけが雪様を笑わせることができるから……」


 荒々しい、泣き声にも似た声が教室を支配した。


「貴様だけが雪様を幸せにできる。そうだろう!? それは僕には出来ないことだ!」


「……うるせぇよ」


 俺は思わず、口の中で呟く。

 

 大事だからこそ。大切にしたいからこそ。出来ないことがある。紡げない言葉がある。


 拭えない過去がある。約束できない未来がある。


 だから俺はこんなにも悩んでいるんだ。


「何が過去だ。未来だ。くだらない!」


「くだらない……だって?」


 終わりなく言いたてる磯貝。

 だがくだらないというその一言で、何かの糸が切れたかのように俺は磯貝の顔を見やった。


 言う必要のない言葉が、意味のない言葉が、溢れ出した。

 

「……おまえに何が分かるんだ。家族を失う気持ちが分かるのかよ。誰かを失う悲しみが。そんな俺が、ユキを幸せにしたいと思う気持ちが」


「そんなものは知らないし、分かるわけもない。…………『今』なんだ」



「……は?」



 磯貝の言葉を理解出来ず、俺は口籠る。



「大事なのは過去でも未来でもない。大事なのは、『今』だ! 雪様は今、悲しんでいる。今日、この瞬間に雪様を幸せに出来なくて、未来に幸福なんてあるわけがない! そうだろう!?」


「————っ!?」


 磯貝は言い聞かせるように、誰かの祈りを代弁するかのように叫ぶ。


 その言葉には説得力なんてないはずなのに、それなのに何故か俺の心の奥深くに届いてしまった気がした。



「過去のあやまちなんて繰り返さなければそれでいい。未来のことなんて未来の自分が考えればいい。僕たちにとって最も大切なのは、『今』なんだ。貴様は雪様の今を、幸せにしろ。今だけを考えろ」

 


 一度たりとも俺から目を逸らさず、磯貝は言い切った。耳がキーンと痛くなるくらいだった。


 あー、くそ……。

 なんなんだよ、本当に。

 これじゃあ俺が格好悪いばっかりじゃないか。情けないだけじゃないか。拗ねた子どものようじゃないか。


 こいつには、磯貝には負けたくないんだよ。俺が初めて、逃げた末にとはいえ同士と呼んだ男だから。ユキの魅力に気づいてくれた男だから。


 俺は負けるわけにはいかないんだ。


 俺は胸ぐらを掴む磯貝の腕を振り払う。

 しっかりと地を捉えて立つ。

 それから大きく息を吸った。



「——————————————————————っっ!!!!!!!!!!!!!!」


 

 声にならない言葉を、叫んだ。

 好きな人が、世界のどこにいても届くようにと願って。叫んだ。


「浅間くんっ!? ど、どうしたの!?」


 ずっと静観していた星乃が、俺に駆け寄る。磯貝が、なんだやるのか!? みたいな感じでバカみたいに構えた。



 そんな2人に、俺は大丈夫だと手を振ってみせる。



「ちょっと、気合を入れただけだよ」



 磯貝の言葉が綺麗事だなんてこと、わかっている。経験や実感のこもっていない世迷言だってことも、わかっている。


 過去に想わずには。未来を考えずには。生きてなんていられない。


 でも俺はバカだから。凝り固まった思考ばかりしていた。偏った思考ばかりしていた。


 自分の殻に閉じこもっていた。


 俺が見ていなかったのは磯貝が言う通り、『今』なのだろう。


 目の前に横たわる確かな今日を、ユキを見れていなかった。だから傷つけた。


 過去は拭えない。未来なんて分からない。


 しかしそれでも。ここに留まって。

 いつまでも暗く悲しい雨に打たれ続けて。

 どこにあるかも分からない未来に怯えて。


 『今』のユキに悲しい思いをさせるよりは、


 青臭くたっていい。

 動かなければ何も変わらない。

 そうだ。ユキはずっと行動していた。


 ユキはずっと、『』を伝えてくれていた。


「浅間くん」


 駆け寄ってくれていた星乃が俺の頭をそっと抱き寄せる。

 体育祭のとき、ユキがしてくれたのと同じように。


「あたしが言っても、何の保証にもならないけれど。信じられないと思うけれど。でも、保証するよ。2人なら、大丈夫。だからね。あと少し、頑張って? ね?」


 俺は星乃のその優しい言葉に、涙が溢れそうになる。しかしそれだけはいけないと、必死でこらえた。


 星乃の選んだあの結末が、間違いだとは決して言わない。いや、言えない。


 あの言葉には、確かな祈りがあった。


 だけど、俺たちは違うんだ。

 俺は星乃のようにはなれない。その結末の先に何かを見出すことはできない。それが体育祭を通して、そしてこの一週間を通して。わかった。


 俺たちはきっと、2人でないとダメなんだ。

 2人で、ひとつなんだ。


 だから、星乃と同じ結末には絶対にしない。させない。


 それがきっと、俺たちを見守ってくれる星乃への。俺たちの幸せまでをも願ってくれる星乃への。せめてもの恩返しだ。



「……って、ごめんね。こんなふうに抱きしめちゃって……」



「いや、べつに……」



「こ、こういうのは雪ちゃんにやってもらった方がいいよね。ほ、ほらあたしって、その……」



「たしかに、ユキの方がふかふかだったな」



「はっきり言わないでよ! ばかぁ!」


 俺は泣きそうな自分を隠す意味も込めて、おどけたことを言う。


 星乃はそんな俺の頭をポイと投げ捨てて、びえーんと喚きながら走り去ってしまった。



「ふっ。女性の扱いがなってないな。そんなことではこの先が思いやられるぞ」



「……そうかもな。でも、大丈夫だ。」



 星乃が保証してくれたから。

 磯貝が叱咤してくれたから。


 俺たちの世界に紛れ込んだ2人が、教えてくれたから。



 それに、何より。



「ユキは幼馴染だぞ? ユキのことは、俺が一番よく分かっているよ」



 俺は精一杯の虚勢を張って言う。


 いや違う。これは祈りだ。そうであってほしいという祈り。そうであるはずだという祈り。


 



「……僕は雪様が笑ってくれるのならそれでいいんだ。だから、答えが出たのならさっさと行け」


「ああ」



 俺は走りだす。


 今度は俺の番だ。


 だからどうか。待っていてくれ。


 俺の大好きな人。


 俺の一生捧げたいと、そう思わせてくれた人。


 俺のすべてを君にあげたい。

 

 だけど、今の俺には何もないから。


 未来なんて約束できない。



 でも。



 『今』の君を笑わせるために。


 幸せにするために。


 銀色の幸せ歩んでいくために。


 俺は叫ぶよ。



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