第27話 銀色の思い出(3)
ある日。
私はいつものように桜の森の奥にいた。
ヒロさんが来るのを待っていた。
だけど——
現れたのは3人のいじめっ子だった。
よく私に意地悪をしてくる子たちだ。
彼らを見た瞬間、身体が強張るのが分かった。嫌な汗も出てきた。
なんでここが分かったんだろう。
誰かに見られちゃったかな。
もっと用心していればよかった。
ここだけは、私の安息の地で。
ここは、彼と私だけの場所だったはずなのに。
この日、その場所は侵されてしまった。
「きゃっ……いたっ……」
ニヤニヤと笑いながら彼らのうちの一人が私の髪を掴み、乱暴に引っ張る。
「やめ……てぇ……」
やめて。ヒロくんが好きだと言ってくれた髪を引っ張らないで。そう、強く言いたいけれど声が出ない。勇気がでない。
怖い。怖い。怖い。
「あはは。おいそんな触んなよ。きったねぇぞー」
「それもそうだな。じゃあ……おりゃ!」
いじめっ子が私の髪を掴んだまま、思いきりその手を振る。私はその力に引っ張られて、地面に転がった。
「うはっ。髪抜けた。きったねぇ捨てろ捨てろー!」
いじめっ子たちは宙に放られたほんの少しの髪束に大騒ぎだ。
私はこんなに痛くて、苦しくてしょうがないのに。彼らばかりが下卑た笑みを浮かべて、楽しそうにしていた。
また髪を引っ張られて。地面に転がされて。何かを投げつけられて。心ない言葉に刺されて。
でも抵抗することは出来なくて。
私は早くこの時間が終わってと願うばかり。
「なあなあ、こいつぬいぐるみなんか持ってんだぜー」
いじめっ子の一人が、私が必死に抱え続けていたぴょん吉さんを奪いとる。
「うわ何これ気持ちわり〜」
「こんなもんこうしてやる!」
それから汚いものを押し付け合うようにして投げ合って。最後に池の中心に向かってぴょん吉さんは投げ捨てられた。
「あっ……」
私は思わず立ち上がって、力を振り絞って池に飛び込む。浅い池だ。幼い私でも、膝まで浸かる程度でしかない。
そうして私は池の中心で沈みそうになっていたぴょん吉さんを抱え上げて、抱きしめた。
「ごめんね。ごめんね、ぴょん吉さん。冷たかったよね。ユキのせいで……」
ぴょん吉さんは、お母さんとお父さんがお誕生日に買ってくれた大切なぬいぐるみ。私の一番大切なぬいぐるみだ。
そんな大事なものを投げ捨てられたのに。怒りが湧いてきてもいいはずなのに。弱い私はやっぱり泣くことしか出来ない。
「ぬいぐるみなんかのために池に入るとか頭おかしいんじゃねぇの〜?」
「石投げつけやろうぜ!」
いじめっ子たちが私に小石やら枝やらを投げつけてくる。
痛い。怖い。悲しい。
身体の震えが止まらない。
神さまは意地悪だ。
私が何をしたって言うんだろう。
ただ、髪の色が違うだけなのに。
ただ少しだけ、お喋りが得意じゃなかっただけなのに。
なんでこんな目に遭うんだろう。
子どもの世界では、ほんの少し違いが、とても大きなことらしい。
少しでも自分と違う人間を、寄ってたかって排除しようとするらしい。
——もう、ダメだ。
——だれか。だれか助けてよ……。
しかしいくら願おうと、こんな場所に助けは来ない。
もう、耐えられないよ。
やっぱり、私に銀色の幸せなんて宿っていない。
私は不幸なだけの、嫌われ者の女の子だ。
辛い。辛いことばっかりだ。
こんな私に、生きてる意味なんか……。
悪夢のような現実を前にして。
世界から色は失われて。
孤独を受け入れて。
私は目を閉じて、すべてをおしまいにできたら。そんなことを願い始めた。
その時。その時だ。
「おまえらユキに何やってんだよ!!」
「ぎゃっ!?」
「いっでぇ!?」
「な、なんだよおまえぇ……!?」
「うっっっせぇ!! 今すぐここから消えろ! ここはおれと、ユキの居場所だ! おまえらの来るところじゃねぇ!」
彼の怒号が響いた。
鈍い音が響いた。
いじめっ子たちが慌てて逃げ帰る足音が響いた。
ああ、来てくれた……。
助けに、来てくれたんだ。
私の、ヒーローが……!
「ユキ! 大丈夫か!?」
彼は一瞬の躊躇いもなく、池に入り込み私の元までやって来る。
そして私を抱きとめてくれた。
「ごめん。遅くなった。まさかこんなことになってるなんて思わなくて……本当にごめん」
「ううん……ううん……! ありがとう。ありがとう、ヒロくん。怖かった……怖かったよぉ……」
私は彼に抱きしめられたまま、また泣いた。
彼の前では泣いてばかりだ。でもそれは、嬉しい涙ばかり。
私が泣き止むまで、彼は私を抱きしめていてくれた。
池の淵まで戻った私たちは、いつもの位置で座り込む。
「靴、濡れちゃったね。ごめんね」
「いいよこんなの。すぐ乾くし。それよりユキ。怪我は?」
「大丈夫だよ。ちょっと擦り剥けちゃったりはしてるけど」
私は慌てて、手をぶんぶん振りながら答える。
本当は身体も心も、どうしようもないくらいに擦り減っていたはずだと思う。
でもヒロさんが来てくれただけで、そんなことはどうでもよくなっていた。
「そっか……でも後でうちに来いよ。ばあちゃんが手当てしてくれると思うから」
「うん……ありがとう」
「それとさ、よくあるのか? その、ああいう……虐めみたいなの」
「今日みたいなのはほとんどないよ。だからびっくりしちゃった」
それは本当だ。ここまで直接的なことは、教師の目がある学校ではされない。
「もしまた何かあったらさ、おれを呼べよ。何があっても絶対、おれがユキを助けるからさ」
「ほんとに……?」
「ああ。えっとさ、あれだよ。ぴょん吉が役に立たないみたいだからさ、代わりにおれが、ユキのヒーローになってやる。だからいつでも呼べよ」
ヒロさんは少し頬を染めて、言葉を探すように目線を宙に揺らしながら言う。
「あはは……ぴょん吉さん、動けないから……。でも嬉しい……嬉しいよぉ……」
また、涙が溢れてしまいそうだ。
「だから泣くなって。ほら、傷の手当てしに行くぞ」
「うん……ありがとぉ……」
彼に手を引かれて、私は立ち上がる。
私を助けてくれる、ヒーローの手。
握られた手に彼の温かさを感じると、なんだか顔まで熱くなった。
そして心臓がドキドキ、ドキドキ。リズミカルに脈打つ。
胸の高鳴りが抑えられない。
私は、どうしてしまったのだろう。
気遣わしげに、たまにこっちを振り向いてくれる彼と目を合わせるのがとって恥ずかしい。見ていられない。
鼓動がさらに早くなる。
私はきっとこの時、彼に、ヒロさんに恋をしたのだろう。
銀色の話を聞いたあの時に撒かれた種が、芽吹いただろう。
ヒロさんは私の初めての友だちで。
私を助けてくれるヒーローで。
そして、今でも続く、初恋の人だ。
✳︎
それから、多くの時間を共にした。
いくつもの季節が過ぎ去った。
いつのまにかあの森だけでなく、学校でも一緒にいるようになった。
ヒロさんがいてくれるおかげで、虐められることもなくなった。
ご飯はいつも何から食べるか。服のボタンはどこから付けるか。そんなどうでもいい些細なことまで、私たちはお互いを知っている。
私たちはいつでも一緒だった。
一緒に遊んで。ご飯を食べて。お勉強をした。
そんな銀色の幸せが、何年も続いた。
妹のサユキが産まれて、賑やかになった。ヒロさんと2人で、これでもかというくらいサユキを可愛がった。
サユキを産んだのを機に、お母さんは仕事を辞めた。いつでも家に居てくれる。幸せだ。
でも、そんな生活にも転機は訪れる。
私たちが高校生になる頃、ヒロさんのお婆さまが亡くなった。
両親のいないヒロさんにとっては、お婆さまが最後の家族だった。
これで、ヒロさんは正真正銘のひとりぼっちだ。
そしてそんな子どもは、養護施設に送られるらしい。
このままでは、私たちまで離れ離れになってしまう。
そんなのはイヤだ。
だからお父さんに頼んだ。何度も何度も頼んだ。
幸い私のお父さんは弁護士だ。私にはよくわからないけれど、こういったことに関してはスペシャリストのはず。
だからお願いした。
お父さんはかなり渋っていたけれど。
最後には了承してくれた。
仏頂面をしていることも多いけれど、私にとってはとってもとっても、優しいお父さんです。感謝してもしきれません。
そうしてお父さんという後見人の元、ヒロさんの一人暮らしが始まった。
お料理もできない。
お洗濯も、お掃除もできない。
朝ひとりで起きることさえ、ほとんどできない。
そんな生活力皆無のヒロさんのお世話は、私がする。
丁度いい花嫁修行ですね。
私のお相手はヒロさん以外にいないから、これが本番みたいなものですが。
そうだ。それなら、口調も改めてみよう。
そんなことを、あの頃の私は思ったのです。
もっと口調を丁寧に。夫を支える良き妻、みたいなイメージでどうだろうか。
私はヒロさんと、本当の家族になりたいから。
絶対にそうなると、確信しているから。
そこにはきっと私たち2人だけの、銀色の幸せがあるはずだから。
だからこれも、全く気が早いことじゃないですよね。
「ヒロさん。朝ですよ。起きてくださーい」
私が、ヒロさんをひとりぼっちになんてさせない。
寂しい思いなんてさせない。
だから大丈夫だよ。安心してね。
そうして私たちの新生活が、始まった。
✳︎
時は戻り、現在。
思い返していたら、なんだか色々と熱くなってしまった。火照ってきてしまった。
過去を振り返るときは、いつもそうだ。
好きが溢れて、止まらなくなってしまいます。
だからこんな時は、自分で慰めないといけません。
今日は自分の部屋だから。この前みたいなことにはならないから。
私は自分の気持ちいいところに手を伸ばす。
「ヒロさん……ヒロさぁん……」
すぐに身体がぴくんっと反応した。
ヒロさんのことを想うだけで、私はこんなにも……。
「んんっ……、んんンっ……♡」
私は大きな声が出てしまわないように、めくった服の端を咥える。
長い夜はまだ、終わらない。
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