一 動き始めた時間

 みーんみんみんと、蝉が五月蝿かった。オマケにこの暑さ、冷房の効いた本屋にでも逃げ込もう。


 イヤホンから流れる、スマホのラジオが囁いた。東京の最高気温更新。気が滅入りそうになる。どこまで暑くなるんだ。


 額の汗を拭いながら、僕は偶然見つけた古本屋に入り、本を物色しながら夕方になるのを待った。


 店内の時計を見た。そして外の薄暗さに気づく、そろそろ帰ろうかな。


 【女性にモテる七つの言葉、男よハーレム道を行け】


 よくわからないタイトルの本を、読む男が隣にいた。


 読む本の残念さを除けば、伊達男である男が本を閉じ、店番をしていたおじさんに会計を済ませた。


 そして男は本の包みを手に、店を後にした。


 あの本買っちゃうんだ!モテそうなのに!?


 残念イケメンってヤツかな?んんっ、財布が落ちている。


 さっき会計してる時に見た伊達男の財布だ!


 僕は財布を拾い、まだ間に合うだろうと店の外へ出て男を探した。


 しかし、何処にも居ない。


 まだ男が外へ出て一分も経っていないのに?違和感を感じながら男を探した。


 道行く人に尋ねたりしながら、町を駆け回る。


 人影らしき姿が、背後に見えた気がした。


 僕は驚いて振り向けば、伊達男に銃を突きつけられていた。


 鼓動が速くなり、冷や汗が流れる。


 男の目を見ると、金縛りにあった時のように体の自由がきかなくなった。


「何かご用ですか?」


 尋ねられても、僕は答えることができなかった。


「もしかして、君は私のファンですか?」


 首を振るが、男は構わず話を続ける。


「しかし、残念です。綺麗な女性のファンなら嬉しいのですが、男の子のファンはご遠慮下さい」


 男は僕の顔をジーっと見つめて、何かを思い出した表情になる。


「あっ…君はサイコパス少年」

 

「えっ!?」


 男は銃を下ろすと指を鳴らした。


 それに合わせて、僕の体は自由を取り戻して荒く呼吸をする。


 それを見ていた男は、申し訳なさそうに問う。


「君はどうやら一般人のようですし、悪意も感じません。どうして私を追いかけられていたのですか?正直に話してくれたら身の安全は保障致しますよ」


 僕は怯えながらも、財布を差し出した。


 差し出された財布を見ると、男は驚いた様子で、鞄の中を確認する。


 そして先ほどのシリアスな表情とは一変した。男は頭を抱えるとやらかした表情になる。


「私のお財布を拾って下さったのですね…すいません。これは大変失礼致しました」


 財布を受け取ると、申し訳なさそうに男は頭を下げた。


「それならそうと言ってくれれば良かったのに」


 男はニヘラと笑う。


「まあ、動けなくした私の言える立場ではないですが、ホントに申し訳ない」


 この男は一体何者なんだ。先ほどの能力の正体は?


 男は、僕の怪訝な顔を気にした様子もない。


「お礼をさせていただきたいところですが、時間がありません」


 財布から男はお金を取り出した。


「これで何か美味しいモノでも食べて下さい」


 お金を僕に握らせると男は耳打ちする。


「それと、私のことは見なかった。忘れていただければ幸いです」


 僕は声を出そうにも、赤子のように言葉にすることはできなかった。


「もう会うこともないでしょうし、では少年良い夢を」


 男は、僕に背を向けると歩き始めた。


「待ってください」


 なんとか声を絞り出して、男を呼び止める。


 しかし声は届かず、男は瞬きした一瞬で消えた。


 五月蝿い蝉の声と、渡された一万円札だけが残る。その残滓が、夢ではなかったと物語っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る