第十二幕 気炎の将星(Ⅳ) ~容赦なき試練


「やる気になったか? よし、じゃあ練兵場まで行くか。そこの方が思い切りやれる」


 ヘクトールに促されて練兵場の広場に場所を移す。シュテファンが見守る前で、遮蔽物もないだだっ広い場所で訓練用の武器を構えて向き合う2人。いや構えているのはディアナだけで、ヘクトールの方は棒を担いだまま自然体で佇んでいる。


「さ、いつでもいいぜ?」


「……っ。行きますっ!」


 あくまでこちらを舐め腐った態度のヘクトールに歯噛みしたディアナは、激情を力に変えて打ち掛かった。


「はぁぁっ!!」


 気合一閃。がら空きの胴を薙ぎ払う軌道で木剣を打ち据える。当たった! と思った瞬間、木剣は空を薙いだ。


「え……!?」


 ヘクトールは先程と殆ど変わらない姿勢のままだ。ただディアナが1人で空振りしたような錯覚を覚えた。


 実際には彼女の剣の軌道を見切って最小限の距離を僅かに下がって躱したらしいのだが、ディアナにはその動きが全く見えなかった。その巨体からは想像もできない体捌きだ。ディアナは戦慄した。


「……ん? 今何かしたのか?」

「……っ! こ、この……!」


 ヘクトールのふざけた態度に再度激情に駆られたディアナは、動揺を振り払って再度打ち掛かる。今度は掛け値なしの全力だ。しかしやはり空振りする。


「おい、まさか今のが全力じゃないよな?」


「くっ……うおおぉぉぉっ!」


 怯みかける心を叱咤してディアナは次々と連撃を仕掛ける。勿論全てが全身全霊の一撃だ。そして……その全てが空振りに終わった。



「そ、そんな……」


 既に肩で大きく息をしているディアナは、目の前が真っ暗になるような感覚を味わっていた。ヘクトールは棒で受けてすらいない。全ての攻撃を体捌きだけで余裕を持って躱してしまったのだ。


 一本取るどころの話ではない。自分の攻撃を受けさせる事さえ出来ない。絶望的というのも愚かしい程の実力の隔たり。



「……おい、何だこりゃ? ふざけてんのか、てめぇ・・・



「――っ!! ひっ!?」


 突如、ディアナは心臓を鷲掴みにされたような苦しさと恐怖を感じた。呼吸が乱れる。冷や汗が大量に噴き出る。


 一瞬何が起きたのか解らなかった彼女だが、目の前に立つヘクトールの闘気と……そして怒気・・に当てられたのだとすぐに理解した。


 身体の震えが止まらなくなる。歯の根がかみ合わずにカチカチと鳴る。


 ちんけな盗賊の頭領や私兵の隊長など比べる事すら愚かしい……卓越した武勇を以って実際に数々の戦場を生き残り多くの敵を屠って来た本物・・の武人にしか出せない凄み。


 シュテファンが可愛い義妹相手には決して出す事の無かった研ぎ澄まされた本物の闘気を、生まれて初めて当てられたディアナは恥も外聞も無く恐怖に震えた。


「御大層な理想をぶち上げてるからどれ程の覚悟かと思えば……世の中舐めてんだろ、てめぇ」


「……っ」


「おら、今度はこっちから行くぜ?」


 それだけ告げると、ヘクトールが初めて自発的に動き出した。そして次の瞬間、


「え――――きゃあぁっ!!!」


 風を切るような音が聞こえた……気がした。そして気付いた時には恐ろしい程の衝撃が木剣に加わり、彼女は一溜まりも無く吹き飛ばされて無様に地面に転がっていた。



「あ……あぁぅ……ぐぅぅっ!!」


 倒れ伏したまま痛みと衝撃に呻く。何が起きたのかさえ殆ど解らなかった。恐らくヘクトールが手に持っている棒で彼女の木剣を打ち据えたのだと思われるが、その軌道さえ碌に見えなかった。


「おら、立てよ。立たないならそのまま殴るぜ」


「な……」


「別にこっちから攻撃しないとは一言も言ってないぜ? そもそも戦場じゃ倒れた相手に追撃を待ってくれるお人好しがいると思うか?」


「……っ!」


 容赦なく近付いてくるヘクトールの巨体。ディアナは恐怖も手伝って必死に身体を起こすと、何とか立ち上がる事に成功した。しかし既に脚は引き攣ってガクガク震えている。それでも何とか木剣を構えるディアナの姿に口の端を歪めるヘクトール。



「おう、良く立ったな。それじゃ続き、行くぜ?」


「う……!」


 ディアナは慌てるが、あの凄まじい闘気に押されて打ち掛かる事が出来なくなっていた。足が地面に縫い付けられたように動かない。だがヘクトールは容赦なく棒を振るった。


「おら!」

「うあぁっ!」


 恐らく彼は大幅に手加減して軽く振っただけなのだろう。しかも敢えてディアナが木剣で受けられる軌道での攻撃。


 しかしそれでもディアナには到底耐えきる事は出来ずに、再び身体全体を揺さぶられるような衝撃が伝播し横っ飛びに吹き飛ばされて地を這った。


「……何してる、立て。早く俺から一本取ってみせろよ」


「う……うぅ……」


 容赦なく促すヘクトールだが、ディアナは苦痛に呻くばかりで立ち上がる事が出来ない。しかし――


「立てや、こらぁっ!!」


「――ひぃっ!!? う、ううぅ……!」


 圧力すら伴うような大喝を受けて、ディアナは半ば本能的な反射で起き上がった。疲労と苦痛で息を乱し、足は震えて立っている事すら覚束ない。何度も地を這って身体中土埃にまみれている。



 彼女の表情も最初の威勢はどこへやら半分泣きそうな顔で、大量の汗を流して喘いでいた。しかしヘクトールはそんな少女の惨状にはお構いなしに、また無慈悲な一撃を振るう。


「ふん!」

「ああぁぁぁぁっ!!」


 三度、悲鳴と共に吹き飛ばされるディアナ。遂にその手から木剣も離れてしまう。四肢を投げ出した姿勢で仰向けに横たわる。その姿勢のまま苦し気に喘ぐばかりで、頭を上げる事すら出来ない。


「……どうした、早く立て」

「う……あ……」


 どう見ても死に体の少女に対して尚一切の容赦なく促すヘクトール。ディアナにとってその姿は、既に煉獄の極卒である赤尸鬼そのものに映っていた。だが……



「そうか。お前にとって『戦乱を終わらせる』ってのはそんな簡単に諦められる物なんだな? その程度の覚悟で言ってたんだな?」



「――――」


「女だから、若いから……そんな甘えが通じる道だと思ってたのか? そんな中途半端な覚悟しか無いんなら、今すぐやめちまえ。今は良くてもどうせどこかで挫折するに決まってる」


「っ!!」

 中途半端な覚悟。その言葉にディアナの脳裏にとある光景が浮かび上がる。


 焼き尽くされて原型を留めなくなった廃村。広場跡にうず高く積み上げられた……焼け焦げた人間の死体。判別も付かない程に焼け焦げて、僅かな焼け残りの遺留品から判断・・した父の、母の、弟の、友達の……皆の死体。それらの死体の前で慟哭する自分の姿。


(そうだ……思い出せ! あの時の気持ちを……! 中途半端なんかじゃない! そんな事……絶対に言わせないっ!!)


「ぐ……ぅ……おおおぉぉぉぉっ!!」

「……!」


 その可憐な面貌には相応しくない咆哮を上げながら、ディアナが、身体の悲鳴を無視して強引に立ち上がった!


 その手には一度は取り落とした木剣が握られている。そして目の前に立つヘクトールを、まるで戦乱の世そのものであるかのように睨み上げる。

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