第63話 是が非でも

 翌日の朝。晴れた青空、浮かぶ白い雲、心地好い風が頬を撫でるきもちの良い朝だ。

 卓也と井上兄妹、千夏は揃って学校に向かっていた。

 そして彼らの先頭を進む二葉は、空模様にも似た笑みを浮かべながらスキップをしている。


「いやー、私も一馬も、卓也に千夏ちゃん。みんながチケットゲットできて本当に良かったよ。ねぇ一馬?」


「ったく。そんな事よりもフラフラと歩くな。人とぶつかったら危ないだろ」


 前に目を向けず歩く二葉を一馬が引き止める。彼の言う通りこの状況は少々危なっかしい。

 そんないつもの光景を卓也と千夏は笑いながら眺めている。

 昨日はFANGのライブチケット、その抽選結果メールが届いていた。結果は四人とも当選、無事チケットを手に入れられたのだ。

 井上兄妹の後に続く千夏の足取りも軽い。


「私ライブって初めてだなぁ。ちょっと楽しみ。卓也君は?」


「俺は二人に誘われて何度か。みんなで楽しむと言うか、あの独特の空気が俺は好きかな」


 卓也はFANGの熱狂的なファンではないが、普段からテレビで見ている彼らは嫌いではない。そしてライブは好きだ。アーティストと観客が一体となるあの感覚はたまらない。

 そう話している二人に二葉が駆け寄る。


「そうそう、楽しいんだから。いやー、今回は千夏ちゃんと美咲ちゃんも一緒に来てくれて私は嬉しいよ」


「まあ、こういうのは人数がいた方が楽しいだろ。そういえば美咲はどうだったんだ?」


 ふと卓也は美咲の事を思い出す。彼女は特に熱心なファンである。今回の件も誘った瞬間に食い付いたくらだ。当然、チケットの応募も既に済ませている。

 そして彼女がファンであるのを教えたのは卓也だ。


「うーん。美咲ちゃん元々返信遅いし、とかで出られない時もあるらしいからね。ぶっちゃけまだ連絡とれてないの。とりあえず学校で会えるし、そこで確認すれば良いかなって」


「そ、そうだな……」


 バイト。二葉の一言に卓也は心に微かな痛みが走る、

 当然それは嘘だ。彼女がやっているのはバイトだなんて生ぬるい仕事ではない。キャリアーやベクター、ヴィラン・シンドロームの発症者との命懸けの戦いなのだから。

 嘘をつかなければならないのが心苦しい。だが二人を巻き込む事は出来ず、何よりも知られる事も卓也には恐怖なのだ。

 今の自分を、もう一つの姿を見られたくない。植物の化け物となった自分を。


 そうしている内に四人は教室に到着。しかし一馬がドアを開けた瞬間、彼は思わず足を止めた。

 一馬の後ろにいた卓也もぶつかりそうになり立ち止まる。


「急に立ち止まって、どうしたんだよ一馬」


「あー…………あれ」


 卓也が教室を覗き込み一馬が指差した先を見る。教室の一角にどす黒いオーラを纏い机に突っ伏す一人の少女の姿があった。

 生気の無い背中から痛々しい程の悲壮感が滲み出ており、周りのクラスメートも彼女から距離を置いている。

 その少女が誰かはすぐに解った。長い黒髪の彼女は美咲だ。

 彼女の様子に流石の二葉も退いている。


「うわぁ、いくら私でも解るよ。ありゃ美咲ちゃん落ちたね」


「そうだろうな。卓也の話しだとかなはらのファンらしいし。ダメージでかいだろ」


 後から顔を覗かせた千夏も、美咲の様子に眉間に皺を寄せる。


「……どうしようか。ちょっと声掛け難いよね」


 三人の視線が卓也の方に集まる。


「…………えっと」


 どうにかしろ。六つの瞳がそう訴え掛けていた。

 正直卓也も触れたくなかった。しかし自分の席は美咲の隣、否応にも声を掛ける事になるだろう。


「……解ったよ。俺が行く」


 卓也は観念したように肩を落とし自分の席へと向かう。

 空気が重い。今だかつて見た事のない美咲の姿に思わず息を飲む。

 どんな時でも真っ直ぐと前を向いて戦ってきた彼女の、そのイメージを完膚なきまでに破壊しているのだ。


「よし」


 机に鞄を置き、息を整え美咲に話し掛ける。


「よ、よう。おはよう」


 美咲の身体がピクリと反応する。そしてゆっくりとこちらを向いた。


「おはよう……」


 なんて酷い顔だろう。乱れた長い髪、生気の失せた顔、それはもはや柳の下に憑いた亡霊のようだ。


「美咲……その、大丈夫か? 顔、酷いぞ」


「全然大丈夫じゃないかな……」


「そうか……」


 会話が続かない。何を言えば良いのかわからない。

 卓也がまごついていると、彼の様子を察し三人も集まってくる。

 そして二葉が気まずそうに口を開いた。


「お、おはよう美咲ちゃん。なんだか元気無いけど……。もしかして、昨日の……その、チケットが……」


「察しの通り買えなかったけど」


 怨念の籠った声に後退る。そんな四人の様子に美咲はため息を漏らした。


「で? みんなは?」


 誰もが目を逸らす。それだけで彼女は全てを悟った。手に入れられなかったのは自分だけなのだと。


「フ…………フフフ……」


 笑うしかなかった。あれだけ楽しみにしていたのに、夏休み最大のイベントが泡となって消えた。一人じゃない、みんなで行くライブは自分だけ行けなくなったのだ。


「あー、私だけか。どうせ私なんか……楽しむ権利なんか無いって事か。アハハ……ざまぁないわね」


 呪詛のように呟く美咲。その言葉は卓也達には届いていない、そんな小さな声だ。

 ただ一人、フクロウの力を持つ千夏は優れた聴覚で聞き逃しはしなかった。それでも何も言う事は出来ず口を閉ざしている。

 がっくりと項垂れる美咲の様子に、千夏を除いた三人は寄せ集まりヒソヒソと話し始めた。


「どうする? 流石にさ、美咲一人置いて俺達だけでってのも……」


「私としてはみんなで行きたいんだけどなぁ。こればかりはね」


「なんとかしてやりたいな」


 どうすれば良いかわからない。単に運が悪かっただけの話しだが、全員で行こうと話していた以上彼女を放置するのは心苦しい。

 そうして悩んでいると千夏は卓也達、そして美咲を順に見ると意を決したように美咲の肩を叩く。


「ねぇ……」


「ん?」


「もし良かったら、私のチケット使って」


 皆の視線が千夏に集まる。

 折角手に入れたチケットを譲ると言っていたのだ。驚いて当然だろう。


「二葉ちゃんに誘われて、ライブってどんなのかなーくらいだったし。そもそも私はFANGのファンって訳じゃないし、みんなと遊びに行きたいだけだもん」


 ぐったりとしていた美咲はゆっくりと顔を上げ千夏を見詰めた。


「それはダメ」


 はっきりとした口調で断ったのだ。


「そのチケットは千夏が買うやつでしょ。みんなで行くんだし楽しみにもしてたんだから、私の為に止めるなんて言わないで。ね?」


「けど……」


 千夏も確かに行きたい気持ちがあるが、この中で美咲が一番楽しみにしていたはず。だからこそ提案したのだ。

 それでも彼女は断った。本当なら喉から手が出る程欲しいのに。


「今回は縁が無かったって諦めるから。転売とかもあるけど、そんなの買うなんてファン失格だもの。…………ハァ」


 そう言いつつも後悔はあるのだろう。残念そうに再び項垂れる。

 どうすれば良いかと卓也達は顔を見合せる。本来の予定では五人で行こうと話していた。その為に夏休みに予定も空けていた。だから美咲だけを除け者にするなんてしたくない。

 卓也は軽くため息をついた。


「……じゃあさ、行くの止めるか。俺達だけで行くのも悪いし」


 千夏も同意するように大きく首を振る。そしてその意見には二葉も同じだ。


「そうだね。私も全員で行きたかったし、美咲ちゃんだけだなんて辛いもん」


「そんな、私の事は気にしないでみんなで行ってよ。チケットだってもったいないし」


 自分のせいで中止になるなんて美咲も嫌。行きたい気持ちは大きいが、自分の不運を周りも巻き込むのはもっと嫌だ。

 かといってこのままでは中止になるだろう。もう美咲の心には諦めの気持ちが固まっているのに。気を使わせるのも良い気分ではない。

 だが卓也達も気持ちは変わらない。

 お互いが納得できずぶつかり合ってしまっている。

 譲れない、退けない状況で一人考え込むように口を閉ざしている人物がいた。一馬だ。彼は話しには交ざらず視線を逸らしていた。


「…………よし。俺がなんとか用意するよ」


 その一言に一馬視線が集まる。


「一馬、宛でもあるのか?」


「一応な。知り合いなんだけど、もしかしたら譲ってもらえるかもしれないんだ」


 二人の話しに美咲も反応する。


「だからそんな事しなくても……」


「大丈夫だって。転売とかじゃないから。高……美咲がそういうのを嫌がってるのもわかるから。とりあえず聞いてみるよ」


 一馬は笑いながらも自信に充ちていた。その様子に二葉にも目で語り掛けている。本当に大丈夫なのかと。


「あー……そういえば親戚なんだけど、宛にはなるかな。まあ私からもお願いしてみるよ。みんなで行きたいしね」


 そう微笑む姿に美咲は意見する気も失せた。

 みんなで……その気持ちは彼女も同じだからだ。

 たまには人に頼るのも悪くない。そんな一言が頭を過るのだった。

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