症例三:重症体

第62話 心に開いた穴

 趣味。それは人の心にとって大きな支えとも言えよう。

 日頃の仕事のストレス、勉強の疲れ、面倒な人間関係。誰もが心に負担を抱える現代にて自分の好きな事、楽しいと思える時間を求めている。それをぶつけられるのが趣味だろう。

 人が人らしくあるもの、そんな当たり前を彼女…………高岩美咲も持っていた。


 時刻は夕方六時を過ぎた頃。最低限の家具しか置かれていない非常に殺風景な部屋に、静かにペンの音だけが流れていた。

 年頃の娘の部屋とは到底思えないような質素な部屋。漫画雑誌やゲーム、テレビすらない。だがこの部屋の主にとって、これで充分なのだ。

 余計な物はいらない。常日頃から戦場に身を置くグローバーだからこそ、あまり遊んでいる時間は無いから。

 そんな部屋で美咲は一人で机に向かっている。


「よし、ここは大丈夫ね。二年になったけど、そこまで難しくはなってないかな」


 教科書を置き一息つく。机の上にはノートが置かれ、あちこちに線や印が書かれていた。

 彼女は先日まで行われていた学校の試験の自己採点をしていたのだ。

 グローバーとして戦いつつも、本業である学業を疎かには出来ない。美咲は本当はただの高校生だったのだから。こうして常日頃から勉強に励んでいるのだ。


「……うん、これなら成績も問題無いかな。怪我でいまいち集中出来なかったけど、利き腕じゃないから何とかなるか」


 美咲の左腕には痛々しく包帯が巻かれていた。指を動かす度に小さな痛みが感じられる。先日のカブトムシ型キャリアーとの戦いで負った傷だ。

 左腕を骨折してしまい、つい先日まではギプスも着けていた。だが今ではそれも外れ、軽く物を掴めるくらいには回復している。

 普通ならばこんな一月たらずで治るような怪我ではない。そう、の人間なら。

 彼女はヴィラン・シンドロームのウイルスに打ち克ち、抗体を手に入れた人類……グローバーなのだ。普通の人間よりあらゆる面で優れており、当然怪我の回復力も常人よりも格段に高い。

 そのおかげで美咲の腕は殆んど問題無いレベルまで戻っていた。


 だが……


「……怪我ねぇ」


 自分の腕を一目見て深いため息をつく。

 グローバー、自分の肉体は確かに常人より優れている。この力を見れば羨む者もいるだろう。

 しかしそれを超える存在もいる。

 キャリアーだ。キャリアーは人間どころかグローバーよりも高いスペックを持っている。

 手足を失おうとも新しく生え、腹を刃物で貫かれても生き抜く。そんな桁違いの生命力に加え、他の生物の能力も持っている。

 それは化け物と言っても過言ではない。

 勿論グローバーとキャリアーの力の差を埋めるのは可能だ。アサルト・キュアのよな武具に組織力、戦闘技術。人類の持つ様々な力により美咲は今まで戦えてきた。優位に立つ事が出来た。

 それでも美咲の表情は暗い。背もたれに寄りかかり天井を見上げる。


「私は…………弱いのかな」


 思い出すのは以前戦った時の事。あのカブトムシ型キャリアーが病院を攻めて来た日の事だ。

 一人だったら負けていた、確実に死んでいた。卓也と千夏がいなければどうなっていたか、想像するのも容易い。

 美咲は包帯の巻かれていない右腕を見る。

 なんてか細い腕だろう。力の無いか弱い少女そのもの。

 それもそのはず、彼女は十代の少女なのだ。肉体は強くとも年齢、性別の限界がある。同じグローバーなら当然成人男性の方が力は上になってしまう。

 決して強者ではない。グローバー全体としては中堅に届くかどうか、それが美咲の実力だ。

 頭の中に浮かぶ不穏な感情に美咲は思わず頭を振る。


「止めた止めた。せっかくテストも終わったんだし、もっと明るい事を考えなきゃ」


 軽く頬を叩き気分を入れ換える。高校生らしく、テストから開放された事を喜ぶべきと自分に言い聞かせた。


「それに……」


 不意に美咲の頬が緩む。彼女は部屋の壁、ある一点を見ていた。

 そこにはこの殺風景な部屋の中で一際存在感を放ち、かつ場違いな印象すら感じさせる物が貼られていた。

 四人の男性が写っている大がかりなポスター。それは男性アイドルグループ「FANG」だ。

 何を隠そう美咲は彼らの大ファン。よく見れば本棚には写真集やCDが並べられている。

 美咲にとっては唯一の趣味、戦う以外の人間らしい姿。以前卓也が知った時も驚かれたものだ。


「フフフ、そろそろ夏のライブチケットの抽選が発表されるし。夏休みは有給使って見に行くぞ」


 嬉しそうに微笑む姿は年相応の少女そのものだ。先程までの険しい表情とは全く違う。

 常日頃発症者と戦うグローバーである美咲は普通の女子高生とは違う。家族を失い二年前からずっとだ。

 それでも彼女に日常を手にする権利はある。


「それに二葉達も応募してるみたいだし。皆でかぁ……」


 ブラブラと足を振りながら思い出す。今回は一人じゃない、卓也に千夏、井上兄妹も一緒なのだ。


「初めてだなぁ。いっつも一人だったし。本当……普通の子診たい」


 半ば嘲笑するように小さく呟く。

 誰とも深く関わらず、グローバーとして任務に生きる。この二年間ずっとそんな人生を送っていた。

 今までこんな事は無かった。普通の女子高生のように友達と一緒に出掛けるだなんて。二葉から誘われなければ、彼女達がライブに行くのを知らず一人で行っていただろう。

 楽しい。

 そんな当たり前を感じられるのが嬉しかった。

 そして同時に怖くなる。井上兄妹が感染してしまったらと思うと、胸が締め付けられそうだ。だからこそ戦う理由になっている、この日常を守る事に。

 確かに恐れてはいるものの、美咲のモチベーションは大きく上がっている。


「…………」


 ふと美咲はうつむき目を閉じる。やはり不安なのだ。今を失う事、守れない可能性を。


「今の私は弱い」


 拳を強く握りしめる。


「もっと、強くならなきゃ。誰も守れない、助けられない。それに……」


 上には上がいる。美咲よりも実力の高いグローバーは沢山いるし、状況によっては卓也や千夏にも劣るだろう。

 己の弱さが恨めしかった。

 そして何よりも彼女にはもっと強い戦う理由がある。


「こんなんじゃお兄ちゃんを止められない。お父さんとお母さんの仇をとれない」


 情けない。その一言が心を塗り潰す。

 勉強を続ける気分も無くなり机から離れる。そして明日の科目を確認しながらノートを鞄にしまった。


「あー、最近ストレス溜まってるのかな? ちょっと気分転換しない……ん?」


 美咲のスマホが鳴っている。画面を確認すると、一通のメールが届いていた。

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