第61話 滅ぼされし者

 肉体は完全に融解し、美咲と千夏の足元には緑色の水溜まりが広がる。

 勝った、しかし何故か美咲の心には何かが引っ掛かっていた。自分一人ではどうなっていたか、想像するのは容易い。


(こんなんじゃ、私は……)


 悔しさに唇を噛むが、腕の痛みで力が入らない。

 勝てなかった。ただ一方的に殺される未来しかなかった。それを覆したのは誰だ? 卓也と千夏だ。

 鍛えればどうにかなる問題ではない。やはりグローバーとキャリアーには差がある。力の差が。


「…………っは、疲れたー」


 座り込む千夏に我に返る。今はそんなくだらない事を考えている場合じゃない。それに、二人のお陰でピンチを切り抜けられたのだ。感謝するのが筋だろう。


「大丈夫二人とも? 黄川田さんなんか、お腹……」


「大丈夫だよ。もう血は止まっているし、傷口も塞がってる」


「俺も無事だよ。まぁ、ちょっと水が欲しいかな」


 よく見ると今一番怪我が酷いのは自分だ。左腕は折れ首も痛い。

 そうだ、周りの人が無事である事が一番の成果だ。職員の被害もゼロではないか、最小限に抑えられただろう。


「そう……良かった」


 そう呟き美咲もその場に座る。


「高岩さんこそ大丈夫? その……腕が」


「痛いけど耐えられるわ。とりあえず人を呼ん……ああもう、通信機が壊れてる。勘弁してよ」


 顔のバイザーも左手の手甲も壊れている。当然内蔵されている通信機もおじゃんだ。救援を呼ぼうにも連絡手段が無い。


「仕方ないし、外まで歩こうぜ。俺がおぶろうか?」


 そう言い卓也は立ち上がり全身を蔦で包み繭を形成、それほどけると人の姿に戻っていた。しかし明らかに身体に力がなく顔色も悪い。げっそりとしたような、そんな表現がぴったりなくらいに消耗している。

 そんな卓也の姿を見て千夏が立つ。


「私が支えるよ。卓也君、なんだか顔色悪いし。私はもう怪我も治ってるから大丈夫だよ」


 美咲は二人を交互に見ると、少しだけ口元を緩めた。


「そうね、お願いしようかな。ちょっとしんどいし」


「うん」


 千夏が手を差し伸べる。鳥の足のような皺だらけの、長い爪が伸びた手。強く握ればその爪が手に突き刺さるだろう。

 おぞましい姿に一瞬戸惑うも、美咲は笑って手を取った。


「…………ありがとう


 そう言いながら千夏の手を握る。


「二人がいなかったら……確実に私は死んでいた。きっとここは壊滅していただろうし、院長達もやられていた」


 ゆっくりと立ち上がり、ふらついた所を千夏が支える。そんな彼女の言葉に卓也達も釣られて微笑む。


「気にすんなって。俺だって一人だとどうなっていたか……」


「私も、そんなに……」


「ううん。本当にありがとう」


 美咲は笑っていた。安心したように、とても穏やかに。

 二人への感謝の言葉は本心だ。死線を乗り越え心の底から彼らを信じられるような気がした。

 共に戦えて良かったと。戦友と言えよう。

 しかし美咲の心の奥底には小さな淀みが残されている。


 悔しい、その一言が暗く渦巻いていた。






 明かりが一つ、薄暗く人気の無い一軒のバー。掃除も行き届いていないせいか、少しばかり埃が積もっている。

 いや、そもそも誰一人としてこの店を管理する者がいない。この店の主は既にこの世にいないのだから。

 そんな店のカウンターで一人飲んだくれている人影があった。あのホスト風の男だ。


「くっ……ははは! ざまぁねぇな。十日も音沙汰無し。つまりあいつもやられたって事か……。あんだけ偉そうに豪語しやがってさ。だっさ」


 一口、グラスに注がれたウイスキーを飲む。勝手に店にある酒を飲んでも、それを咎める者はいない。不満があるとすれば、氷が無い事くらいか。

 誰もいない。部下も、仲間も、誰一人として。彼は一人ぼっちだった。


「……クソ」


 口から出るのは悪態だけ。己は何もせず部下に仕事を押し付け、その結果全てを失った。自業自得とはいえ、それを認めるような男ではない。自分勝手で保身に走るしか考えていないのだから。

 勿論このままで良いはずがない。しかし彼は逃げるように酒を飲んでいる。

 そうしていると店内に足音が聞こえた。店にいるのは自分だけのはず。今さらマスターが戻ってきたとは思えない。


「コソドロか? ふん、ちょっと憂さ晴らしに殺すか」


 足音の正体を確認しようと振り向く。


「…………な」


 驚きのあまり一気に酔いが覚める。

 そこにいたのは一人の若い男。二十代前半、大学生くらいだろう。凛とした整った顔立ちに、肩にかかる程はある男性にしては長い髪を揺らしながら、恐ろしく冷たい黒い瞳でこちらを見詰めている。


「何故お前がいる」


「何故かって? それは君がよく解っているだろステラー……いや、金尾君」


 威圧するようなねっとりとした声で話しながら、ゆっくり一歩ずつ歩み寄る。


「部下は全滅し怠け者の君が一人生き残る。こんな無能を飼っている余裕は我々には無いんだよ」


「だ、黙れ! そもそもお前が俺の部下に余計な事を吹き込まなければ……。どう落とし前つけんだ!」


 ホスト風の男、金尾は立ち上がりグラスを床に投げ捨てる。甲高いグラスが割れる音が静かな店内に響き渡った。

 だが男は眉一つ動かさずに金尾を見ている。

 その目にあるのは軽蔑だった。


「……まぁ、彼の事は心の底から残念だと思っているよ。正直、死んだのが君だったら良かったんだけどね」


「てめぇ!」


 完全にキレ、男に掴みかかろうと手を伸ばす。しかし指先が触れるよりも早く、何かがボトリと床に落ちた。


「あ……」


 遅れて感じる痛み。そして何が起きたのか理解する。

 腕が無い。肘から先は床に転がり、赤黒い血が流れ出す。

 慌てる金尾と違い、男は落ち着きつつもため息をついた。


「僕達の中で、声を聞いたコンダクターの中で唯一進化していない落第者、恥さらしめ。全く、新人のドードーの部下でさえ進化したのに……」


 男の手には黒い、翼のような形をした大剣が握られていた。刃先からは赤い血が付着し床に一滴、二滴と垂れている。

 そのまま剣の先端を金尾に突き付けた。


「情けない」


 見下し、嘲笑い、呆れる。

 金尾は何も言い返せなかった。小馬鹿にされ、文句の一つでも言ってやりたいが出来ない。彼も理解しているからだ。己の弱さを。


「だ、黙れ! 俺だってこんな雑魚の力じゃなければ……。ステラーカイギュウ? はっ! 人間にあっという間に滅ぼされたカスを寄越されたって意味が無い。そもそもお前だって粋っていても、ちっちぇペンギンのくせ……」


「金尾」


 ゾッとするような冷たい声に息が詰まる。口が動かない、思考すら停止したように脳が停止した。

 ただただ恐怖心に心臓が掴まれている。


「馬鹿な男だ。僕達が何故この力を与えられたのか、意味すら考えないとはな。まぁ、ボスはもう君はいらないって言ってたよ」


「は?」


「穀潰しは不要。そうだな……きっとミキサー行きなんじゃないかな?」


 金尾の顔色が一気に青ざめその場にへたりこんだ。


「嘘だろ……ま、待ってくれ。それだけは……。何でだ、何でお前ばかり……」


 必死にすがろうとするも身体が動かない。

 蛇に睨まれた蛙、まな板の上の鯉。彼の未来には絶望しか残されていないようだ。


「さようならだ。ああ、あと一つだけ訂正させてもらう」


 剣を床に刺し、男はしゃがんで金尾と視線を合わせた。


「君は僕をペンギンと思っていたようだけど違う。僕はオオウミガラスだ。覚えなくても良いけどね。君はもう処分されるんだから」


「高岩……てめぇ……!」


 そう呼ばれた男の瞳はとても似ていた。

 美咲の瞳と。

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