第12話 姿ではなく

「……えっと…………」


 何が起きたのか理解できず、二葉は呆然とした様子で固まってしまう。それ所か、一馬もこの光景に停止していた。


「卓也……? どうしたんだ?」


「私、何かやっちゃった?」


 いきなり手を払い除けられれば驚くだろう。自分に非が無いかと心配する。

 勿論彼女に非は全く無い。卓也の不安、恐れがこの行動を引き起こしてしまったのだ。


「あっ……いや、ごめん。血で汚しちゃうかと思って……」


 慌てて謝罪し言い訳をする。当然嘘だ。

 ヴィラン・シンドロームのウイルスは血液からも感染するが、卓也の血に害は無い。ウイルスを保菌していない彼の身体が安全なのは保証されている。

 それでも怖かった。万が一の事があったら、そう考えるだけで血の気が引く。


「とりあえず手洗ってくる!」


「え?」


 自分が原因とはいえ、空気が重くここにいるのが辛い。思わず席を立ち、二葉が制止しようとしても聞かずに卓也はその場を立ち去る。

 周りの言葉も聞かず一目散にトイレに駆け込んだ。


「………………くそっ」


 卓也の悪態を聞く者はいない。周囲に人影は無く、卓也は一人手を洗いながら後悔した。


「何やってんだ俺は……」


 洗面所に寄りかかりながら俯く。頭が痛い、胸が苦しい。罪悪感に潰されそうになる。自分は安全と医師に言われたが、不安を拭う事は出来ない。

 怖い。その一言が卓也を埋め尽くす。

 ふと切ってしまった指が視界に入る。血が洗い流され傷口が露になるかと思えば、そこに傷一つ無い指があった。


「やっぱりな。もう治っている」


 卓也もキャリアーと同等の再生能力を有している。検査の時も、採血し針を抜いて数秒後にはもう傷口がふさがっていた。

 改めて自分がヒトではなくなった事を確認させられたのが苦しい。


「戻ろう……」


 考えれば考える程暗くなってしまう。

 その気持ちを振り払うように急ぎ足で席に戻り、皆との勉強会に復帰する。


 戻った卓也は血で汚すのが申し訳なかったと押し通して場を納め、それからは平和な時間が過ぎて行った。

 一馬のノートを写し、細かい所を質問。一馬が成績優秀な人物であったお陰で捗ったのは助かった。明日からの授業も充分に着いていけるだろう。

 たった一人を除いて。


「うー。わかんないー」


 問題に詰まっているせいか、二葉が突っ伏しなが呻く。彼女の頭には数学の教科書が乗せられている。

 そんな彼女を苦笑いしながら卓也と一馬は嗜め、美咲は静かに二葉のノートを見ていた。


「……井上さん、ここはこの公式使うの。ほら、このページに書いてるでしょ」


「おおっ! そゆことか! いやー、美咲ちゃん頭良いね」


「え?」


 美咲は驚いて目を見開く。名前で呼ばれるとは思ってもいなかったからだ。二葉とは確かにクラスメートではあるが、特に今まで話した事も無いような関係のはず。

 二葉がフレンドリーな性格をしているのもこの数時間で察せたが、いきなり名前呼びされるのは驚いた。それよりも……


「どうしたの?」


「井上さん……私の名前、知ってたの?」


「いやいや、クラスメートなんだし。名前知ってて当然でしょ」


 笑い続ける二葉、唖然とする美咲。やがて無邪気な笑みに毒気を抜かれ、つい一緒になって笑い出してしまった。

 二人の姿を見て、卓也は以外に感じつつもホッとした。あんな危険な世界に身を置きながらも普通の少女らしさが美咲にもあったのだと。


「あと私も二葉で良いよ。名前の方が楽だし」


「俺達双子だからな。名字だとどっちが呼ばれたかわからなくなるんだ。まあ、俺を名字に分けた方が呼びやすいかな」


 二人の言ってる事は解る。双子なら名字で区別がつかなくなるのは充分にあり得る。同性の二葉は名前で、異性である一馬は名字で分けるのも二人なりの配慮なのだろう。


「あー。俺も最初は同じ事言われたよ、男女逆でね」


「そう……」


 自分だけが特別……と言う訳ではなさそうだと納得する。


「わかった……二葉」


 嬉しそうに頷く二葉、彼女達の様子を見守る卓也と一馬。

 クラスメートと少し仲良くなった、それだけの事だ。皆の姿を見ているだけでも日常に帰ってきたのが感じられる。

 怪人になる病気だなんてふざけた世界から離れ、友と過ごす時間が心の影を忘れさせてくれた。


 その時誰かの携帯電話が鳴る。その音に美咲がいち早く気付き、自分の携帯電話を取り出した。


「…………ちょっと離れるね」


 画面を見た美咲の顔、髪の隙間から見えた目が鋭くなるのに卓也は気付いた。

 美咲は三人と離れ電話に出る。


「はい…………了解、すぐに行きます……」


 小さな声で変事をしすぐに通話を切る。そして席に戻ると自分の勉強道具をカバンに戻し始める。


「ごめんなさい、バイト先で欠員が出ちゃって。私帰るね」


「そうなの? 残念だわー」


「わかった。また明日学校でな」


 美咲を見送ろうとする二人と違い、卓也は一人硬直していた。

 バイトと言っているが、卓也は彼女が何をしに行くのか知っている。キャリアーかベクター、ヴィラン・シンドロームの発症者が現れ、その処理に行くのだ。

 落ち着いてきた心を再び裏の世界へと引き戻す。あの病により変貌した世界へと。


「さよなら、明日学校でね」


 軽く手を振ると、美咲は急ぎ足でその場を立ち去る。

 卓也の身体は震えていた。ほんの僅かな小さな震えだったが、彼の心は締め付けられるような痛みに苦しめられる。

 このまま日常を生きるのも良いだろう。だが二人の事を、家族を想うとじっとしていられなかった。


「…………よし」


 卓也は意を決しわざとらしく携帯を取り出し驚いたふりをする。


「わ、悪い。俺もこの後用事があってさ。行かなきゃ。ノート、明日学校で返すから借りるな」


 急いで私物をまとめ、一馬のノートも一緒に持ち帰る。そして美咲の後を追うように走り出した。

 呆気に取られたように目を点にする二人。別れの挨拶すら許さぬ速さで立ち去った卓也に言葉を失った。


「………………一馬」


 先に口を開いたのは二葉だ。


「どうした?」


「卓也、何か様子が変だったよね」


 一馬は少し考えるように腕を組み上を向く。今日の卓也を思い出し数秒間考える。


「確かに変だったな。何かよそよそしいと言うか……」


「でしょ? まさかこの前倒れたのってヤバい病気だったとか?」


 二葉は顔を青ざめ狼狽する。そんな彼女を落ち着かせるように、一馬は二葉の頭を優しく撫でた。

 優しく触れる兄の手に二葉は我に帰る。


「病み上がりで万全じゃないだけだろ。それにヤバい病気ならここにいないし、さっきみたいに走りはしないさ」


「そうだね……。考え過ぎかも」


 深く考えれば悪い事を想像してしまう。だからこそプラスに考え、何かあれば相談に乗る。それが友人として成すべき事だろう。

 二葉はゆっくりと椅子に背を預けた。マイナスな思考を捨て、明日の事を考える。

 美咲とも少し距離を近づけられた。明日は昼食に誘うのも良いだろう。そんな事を考えながら二葉は自分の宿題を続ける。

 まだ半分も終わっていないのだ。


 一方卓也は走りながら美咲を探していた。エレベーターに乗り一階まで降りると急いでデパートを出る。

 周りを見渡していると、信号に足止めされている美咲の後ろ姿を見付けた。連絡先も知らないのだから、見付けられるか賭けだった事もあり胸を撫で下ろす。


「高岩!」


 信号が青になり、走り出そうとした美咲が足を止め振り向く。


「藤岡君?」


 美咲の傍まで走り軽く息を整える。


「何の用? 私急いでいるんだけど」


「解ってる。発症者が出たんだろ?」


 一瞬驚いたような顔をするが、卓也の事情を思い出し納得する。彼もまたこちら側の存在、自分のを予想してもおかしくはない。


「で? なら私が急いでいるのも解るでしょ」


「勿論だ。俺も同行させてほしいんだよ」


 美咲は顔をしかめ、あからさまに嫌そうな表情をする。あくまで卓也は研究資料であり、博幸の患者でもある。危険に晒す訳にはいかない。

 だが今は時間が惜しい。断っても勝手に来るだろう。


「最低限、自分の身は自分で守りなさい」


「ああ、ありがとう」


 美咲が駆け出すのと同時に卓也も彼女を追いかけ、街の中へと姿を消した。

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