第39話 南瓜の南蛮漬け

「…確かに、暗いな」


12月中旬の金曜日、定時に仕事を上がった男は、同じく定時上がりの同僚の話にそう答えた。

時刻は17時20分。二人ともちょうど会社の入り口を出たところだ。


「いやぁ、最近出先から直帰ばっかだったからこの時間でこんな暗いとは思わなかったよ」

同僚が言う。

まだ夕方と言える時刻だが、既に日は沈みきっている。この時期の日の入りは16時半より早いが、外出先からの直帰や在宅勤務を繰り返している同僚にとっては暗く感じたのだろう。


「まあ、この時間はこんなもんだよ」

男は特に嫌味を言うこともなく返した。

この同僚が、日本の職場環境や通勤環境を毛嫌いし、その分、在宅勤務の時に仕事を頑張っているのを知っているからだ。


「もう冬至も近いし、その後は段々と日が延びてくるだろ」

男は続ける。

もう2~3日したら冬至、一年で最も日が短い日だ。


「あー、そっか冬至かー。ウチの母ちゃんまた南瓜の煮っころがし作るわ」

突然同僚が思い出したように言う。

実家暮らしの同僚は、外食しない限り母親の料理を晩に食べている。

同僚曰く、「秋冬は唯でさえ南瓜がよく出るのに冬至は山盛りの南瓜の煮っころがし」となるらしい。


「験担ぎってのは分かるんだけどさ。何で南瓜なのかね?他のじゃ駄目なのか?」

と同僚が続ける。


「冬至を過ぎたら日が延びるだけだからな。"ん"の付くものを食べて日の延びと共に運気を倍増させようっていう考えだよ」

男が答える。


五十音の最後の"ん"は、仏教において物事の最後を示す"うん"と結びついていた。

また、中国の陰陽の考えで一陽来復という言葉がある。これは暗いことや悪いことを指す"陰"の気が極まった後に、明るいことや良いことを指す"陽"の気に戻ることを意味する。

この考えを冬至に当てはめ、運気の伸びに勢いを付けるために"うん"を食べるという訳だ。

南瓜も音読みでは"なんきん"となり、この考えに適しているということになる。

冬至に南瓜を食べるのはそういった理由もあるのだが、


「なら南瓜じゃなくても良いよなぁ。寒いし、おでんが良いよ。おでん」

毎年かなりの量の南瓜を食べさせられている同僚はそうではないらしい。


「…まぁ、南瓜でも良いけど、ちょっと"ん"を足したいところだよな」

同僚を無視して男が言う。


「どういう事だ?」

同僚が返す。


「煮っころがしだと物足りないって話さ」

と男が答える。


「ふーん、まあ俺は毎年のように南瓜に埋もれるとするさ」

と同僚は言いつつ、駅の方へと歩いていった。



「贅沢な悩みだと思うがな…まあ自分は自分で、今日は冬至の練習としようか」

男はそう考え、帰り道から少し外れて商店街に入っていく。

目当ての八百屋では立派な南瓜が売られていた。


「お!立派だな。これ買おう。あとは…鷹の爪、と」

と、男はさっと買うものを決めて会計を済ませる。

長居するとまた大量に買わせられるからだ。

南瓜と鷹の爪の袋を持ち、いつもの酒屋に向かう。


酒屋に近づくといつもと様子が違う。どうやら角打ちの日らしい。

「おん?あぁ、久しぶりじゃないかい。また角打ちかい?…ってもう食材買っちゃってるね」

酒屋の女店主が気付いて男に声をかけてきた。


「タイミングが悪かったですね」

男も答える。


「まぁ、開店には早いし、普通に売ってあげるよ。今晩は何作るんだい?」

と女店主は聞いてくる。


「南瓜の南蛮漬けですね。冬至に向けた練習で」

男が作ろうとしていたのは南蛮漬けだった。

"ん"が2つも加わって縁起が良い。南瓜と合わせて合計4つだ。


「ふーん、南蛮漬けね。スペインの料理由来だね。ならこのビールなんてどうだい?」

と女店主が取り出したのは、スペインビールだ。


「うーん、先週もビールだったんですが、しかしスペインですか…」

男は先週もビールだったことが気になったが、飲んだことの無いスペインビールが気になる。


「そうですね、そちらのビールでお願いします」

結局男は勧められた通りスペインビールに決めて会計を済ましていく。


「毎度あり!」

会計後、店を出ていく男に女店主が言う。

男も会釈しつつ家路に着く。


そこに先代店主がやってくる。

「お前の自由だけどよ、『その南瓜、うちで料理しようか?』って言っても良かったんじゃねぇか?」

と先代。


「…言ってよ…」

現店主は情けない声で言う。


「今の店主はお前だからな、お前が判断して言うんだよ」

うなだれる現店主に言いながら、先代はニヤリと笑った。

この街のオヤジ共は若人の恋愛を娯楽と思っている節がある。



「あっくしょい!あー…風邪引いたかな?」

先週と同じく男は一つくしゃみをした。

家の前まで行くと宅配便の男性が自宅のチャイムを鳴らしている。

男は急いで駆け寄り、家の鍵を開けて荷物を受け取った。


「今年は届くのに時間かかったな…まあ間に合って良かった」

発泡スチロールの箱には"精肉"と書いてある。

男は箱から中身を取り出し、冷凍されているそれを解凍するため、冷蔵庫に押し込んだ。

ついでに先程のビールも一緒に。


「これで良し。あとは今日の飯だな」

と台所に食材を並べる。

【南瓜の南蛮漬け】

・南瓜

・酢

・醤油

・砂糖

・水

・唐辛子

・油 ※揚げ物用


南蛮漬けとは揚げた食材を唐辛子を加えた三杯酢に漬けた料理だ。

調理工程も至ってシンプルで、唐辛子入りの三杯酢を準備したら、後は食材を揚げ次第酢に入れていくだけだ。


よってまずは、三杯酢の準備。

酢、醤油、砂糖を大さじで2杯ずつ深めの器に入れて混ぜておく。本来はこれだけで良いのだが、寒さで砂糖がなかなか溶けない。男はラップをかけて電子レンジで20秒ほど温めて、再度混ぜる。

そこに鷹の爪を2つまみ入れて、三杯酢は完成だ。


次にそこに入れる食材、今回は南瓜の準備だ。

表面のホコリを布巾で拭き取り、1/4を切り出す。

種や綿を取り除き、0.5〜1cmの厚さに切る。


あとは揚げて漬けるだけだ。

フライパンに少し深めに油を敷き、熱する。

菜箸を入れて、小さい泡が勢いよく出るようになったら南瓜を揚げる。

両面に揚げ色が付き次第、油気を切って先程の三杯酢に入れていく。

南瓜を全て漬け、全体に三杯酢を和えたら、皿に移して、完成だ。


男は冷蔵庫からスペインビールを取り出し、南瓜の南蛮漬けと共に食卓に並べる。

三杯酢に和えられた南瓜がてらてらと光っている。

男はそれを眺めながら缶のスペインビールを開けた。


「んぐ…んぐ……くはぁーっ。思ったよりアッサリしてるな。日本のビールみたいだ」

スペインのビールはピルスナータイプが主流だ。

日本でも同じくピルスナーが主流で、風味が似ているのだろう。

これなら南蛮漬けにも合うな、と男は一口頬張る。


「あむ…むぐ…むぐ…んぐん…んーっ」

真っ先に口に広がるのは三杯酢と唐辛子の味だ。

不思議なもので、ほとんど和物の調味料を使っているのにエスニックな雰囲気のする味わいだ。塩味、甘味、酸味、旨味と唐辛子の辛さによる絶妙なバランスから来るのだろう。

そこに南瓜の食感が加わる。表面はカリッとしている部分もあれば、三杯酢を吸ってしなっている部分もあり、中は一様にホクホクとしている。

表面に残る油気と三杯酢のバランスの取れた味わいが口の中にビールを誘い込む。


「んぐ…んぐ…んぐ…はぁーっ!」

不思議なもので、スペインの酒なのに和食に合うのだ。

きっと酒屋の女主人が言っていた通り、南蛮漬けがスペイン由来の料理だからだろう。

男はビールの余韻を楽しみつつ、南蛮漬けを更に一口食べた。



食中、男は冷蔵庫に目を向けた。

中には先週注文したものが入っている。

毎年この時期になると、男は仕込みを始める料理がある。その材料だ。


「今年も旨くできるかな?」

そう独りごちて、男はビールを煽った。

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