最終話 俺はこれからも、永遠に

 ――私立鶴ヶ丘天使学園には、かなりマイナーな大天使・ラヴィエルの像がある。そもそも聖書にすら登場しない天使の像が何故置かれているのか、そんなことは誰も気にしない。重要なのはその天使像にまつわる、一つの伝説であった。


『ホワイトデーにその天使像の前で愛を誓い合うと、その二人は永遠に結ばれる』


 その伝説に願いを込めて、今年も何人もの生徒たちが天使の前に集う。



「いいから行きましょうよ、郁君。折角の恒例行事なんですから、鶴天生なら参加するしかないでしょう?」

「は、な、せっ!」

 昴小路によりなんか無理やり天使像の前に押しやられた犬飼。彼らの頭上に広がる空は雲一つない快晴で、早咲きの桜は彼らを祝福するように咲き誇っていて。かすかに顔を赤らめながらも息を吸い、吐き、犬飼は上目遣いに彼を睨む。そんな彼の硬質な黒髪をそっと撫で、昴小路は天使像を見上げた。大きく息を吸い、飼い主に尻尾を振る大型犬のような笑顔で口を開く。

「僕は郁君が大好きです!」

「はっ、昴小路お前、衆人環視の場でそういうことをッ!」

「というわけで僕は郁君を一生好きでいることを誓います! ……さ、次郁君の番ですよ」

 大型犬のような人懐こい視線に、犬飼は思わず視線を逸らす。深く息を吐き、顔を上げ、天使像に向き直った。何度か深呼吸を繰り返し、ぼそぼそと口を開く。

「……す、昴小路を、一生好きでいることを、誓います……って、お前は一体何を言わせてるんだッ!」

「……うーん、ギリギリ合格点でしょうかね。でも郁君、そういうところ好きです」

 犬飼の黒髪を再びふわりと撫で、昴小路は彼の手を取る。相変わらず憮然としたような表情で彼を睨み、犬飼はその手を握り返すのだった。


「……わざわざこんなみんな見てるとこまで来ることなかったのに……」

「いーのいーの。エレンだってあたしのこと好きでしょ?」

「……」

 図星を突かれ、俯くエレン。輝くような金髪が初春の風に揺れる。彼女は深く息を吐き、疲れ果てたように口を開いた。

「……本当にわけがわからないよ。女の子に告白されて、フラれた後とはいえそれにときめいちゃうなんて……それでなんだかんだで今も付き合ってるし……しかもこれからもずっと恋人でいたいって思ってるなんて、本当わけわかんない……」

「言質取ったぁ!」

 勝ち誇ったような顔で黒髪のツインテールを揺らし、百合愛はエレンに盛大に抱きついた。困惑したように苦笑する彼女のぬくもりを感じながら、顔を上げ、百合愛は天使像に向けてピースサインを出す。

「ってーわけで! あたしとエレンは永遠に愛し合うことを誓いますっ! ねっ?」

「……もう、本当に百合愛は……わかったよ。誓います」

 呆れたような微笑みを浮かべ、エレンは百合愛の華奢な身体を抱きしめ返す。


「……ついにこの日が来ちゃったね」

「だな」

 天使像の前で見つめ合うのは、ソフトショートの黒髪とウルフカットの赤毛。御門の目元にはどこか別れを惜しむような光が浮かんでいて、クラレンスは彼の涙をそっと拭うように手を伸ばす。

「泣くなよ、タツヤらしくもねえ。……LINEするからさ」

「……LINEって外国でもできるっけ?」

「一応使えるぜ。っていうかタツヤも向こうで死ぬほど使ってたじゃねーか」

「そうだっけ? ごめん、ちょっと別れが辛くて頭おかしくなってる」

 ふにゃりと無防備に微笑む御門の頬を軽くつねり、クラレンスは口を尖らせる。はっとして顔を上げる御門に、クラレンスはひどく真面目くさった表情で語りかけた。

「オレは国に帰るけどさ、でもそれで絆が切れるわけじゃねーじゃん」

「……そうだけどさ」

「だからさ、笑ってくれよ。オレ、タツヤの笑った顔が好きだから。そんで誓おうぜ、ずっと好きでい続けるって」

 ひどく真面目くさった言葉こそ、クラレンスらしくなくて。やけに真剣な笑顔にあてられたように目を細め、御門は胡蝶蘭のような笑顔を浮かべるのだった。


「壮五とずーっと愛し合えますように!」

「薫と永遠に愛し合えますように……!」

 二礼、二拍手、一礼。何故か神道式の礼をするのは、色素薄めの茶髪にピンクリボンのバレッタをつけたセーラー服姿と、ヤンキーのような風貌をしたオールバックの少年。二人はしばらく神道式の祈りを捧げたのち、顔を上げ、見つめ合う。

「ねえ壮五、ちょっと聞いてくれる?」

「なんだよ」

 何気なく首を傾げた鹿村に、桃園はかすかに顔を赤らめながら口を開いた。彼の小さな手が、鹿村のの大きな手をそっと握る。

「いつもありがとう、壮五。薫、実はすごく感謝してる。壮五がいなきゃ薫、どうなってたかわかんないもん。だから、本当にありがとう……壮五」

「今更何言ってやがんだ」

 色素薄めの茶髪をわしゃわしゃと乱雑に撫で、鹿村は月の光のように笑う。ふと彼の足元に跪き、花を差し出すように繋いだ手を伸ばした。

「……それ言うなら……ずっと永遠に、俺のそばにいてください」

「……っ、もっちろん! 壮五大好き!」

 一本釣りでもするように鹿村の手を引っ張り、反射的に立ち上がった彼を桃園は抱きとめる。ひどく華奢な彼の身体を抱きしめ返し、鹿村は慈しむように彼の頭を撫でるのだった。



 雲一つない青空はいつの間にか淡い紫色に染まり、濃いピンク色の桜の花が落日を浴びて輝く。春風は輝くように桜の枝を揺らし、ざわざわと淡い音が鳴った。完全下校時刻が近づいている今、ブロンズ像の周りはひどく閑散としていて、しかしそれこそが山田の狙いで。


「……これで、後ろの連中を気にする必要はないな」

「うーん……これボク何て言えばいいの?」

「別に、何も言わなくていい」

「……そういうもの?」

「ああ」

 何気ない会話を交わしつつ、二人はブロンズ製の天使像の前に立つ。神風の手が山田の手にそっと触れて、彼はその手に丁寧に指を絡めた。眼鏡のブリッジを押し上げ、ふっと神風に視線を向ける。春風のような光を宿す茶色の瞳を見つめ、山田はパイプオルガンに指を置くように口を開く。


「……四月に言ったこと、覚えてるか?」

「ええっと……なんだっけ?」

「『俺は今日から一年間、お前をいじり倒す』ってやつ」

「あっ」

 その言葉に、神風の脳裏でフィルムが巡るように記憶が流れてゆく。今年の四月、彼に初めて話しかけられた日。神風にとっての、すべての始まり。呆れたように表情を綻ばせ、神風は口を開く。

「そういえばそうだったね……懐かしいや」

「中盤あたりから、そんなにいじってなかったけど。……なんか一年でやり尽くしたら、それで終わりになりそうで、嫌だったから」

 どこかばつが悪そうに俯く山田に、神風は陽だまりのように微笑む。脳裏に巡るフィルムを一度止めるように目を閉じ、開き、山田の眼鏡越しの瞳を見つめた。

「終わりにするわけないじゃないか」

「……っ」

「ボクはキミのことが心から好きだよ。だから、これで終わりになんて絶対しない。なんならこれからもずっと、そばにいたいくらいだよ」

「……そう言うって、信じてた」

 一度ふっと目を閉じ、また開く。繋いだ手を胸の前に持っていくと、自然に手がほどけ、さらに強く結ばれた。神風の茶色の瞳をじっと見つめ、山田は金色の矢からそっと手を離すように口を開く。


「――宣言する」

「うん」

「俺はこれからも、永遠に。お前のそばにいる、共に生きる、爽馬のために生きる」


 その声は真っ赤な薔薇が咲き誇るように、流星が落ちてゆくように。頬が熱を帯びてゆく、心臓が甘く溶けていきそうだ。神風は花の蕾が綻ぶように笑顔を浮かべ、繋いだ手にそっと手を置いた。山田の瞳を真っ直ぐに見つめ返し、花束を差し出すように言葉を唇にのせる。


「……約束するよ。ボクはずっとキミのそばにいる。キミを愛し続ける」

「……爽馬」

「病める時も健やかなる時も、どんな時も……ボクは、スターライトと共にいるよ」


 満月の光のような言葉が、二人の世界に満ちてゆく。見つめ合う二人は必然で、運命で――そんな確信であふれていた。早咲きの桜の花びらが二人を祝福するように散ってゆく。淡い紫色の空に浮かぶ朧月が、二人の姿を淡く照らし出す。ふと二人が顔を上げると、天使のブロンズ像がどこか微笑んでいるように見えた。満たされたようにそれから視線を外し、神風は口を開く。

「……帰ろうか」

「ああ」


 手を繋いだまま、二人は天使像の前を後にする。

 桜の花びらが朧月に照らし出されて、愛し合う二人を祝福するように、舞った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

不意打ちの山田くん 東美桜 @Aspel-Girl

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ