第92話 それだけで、十分

「……これが、俺と森永、北条に起きたすべてだ」

 そう話を締めくくり、山田は隣にいる神風に視線を向けた。彼はすべてを飲み込むように、ただ押し黙っている。だけどその目元はひどく潤んでいて、握りしめた拳は細かく震えていて。声も出ないのか、しばらく押し黙っていたが……やがて、あまりに大きな感情を絞り出すように口を開いた。

「……辛かったんだね」

「……辛かった、のか?」

「そうだと思う」

 淡々と話していたのも、きっと過去と現在を切り離すことで精神を保っていたからだと思えて。最後の方は声が悲しげに震えていたし、何より今まで誰にも言えなかったことが、それを克明に表している。

「今までボク以外の人とあんまり関わろうとしてこなかったのも、もしかしたらそのせいなのかもしれない……何も知らずに、今まで色々とひどいこと言ってたかもしれないけど……」

「……別に、そんなことはなかった」

 神風だったら普通に許すし、他の人間だったらまず気にしない。山田は今までそうしてきたし、これからもそうするだろう。ふっと目を伏せ、山田は瞳を揺らしながら口を開く。

「……一番辛かったのは森永だと思う。あいつはあれ以来、学校に来なくなって……北条もあの一件でドン引かれて、しばらくは陰口叩かれてたけど、森永はその比じゃなかった……クラス全員の前で恋愛事情大声でバラされりゃ、誰だってああなる。北条は嘘は言ってなかったから、余計に質が悪い」

 その言葉は淡々としていたけれど、声は山田自身でもわかるほどに震えていて。その震えを無理やりにでも押し殺すように、山田はさらに言葉を重ねる。

「……俺は、何もしなかった。北条が何かヤバいってことはわかってた……もっと前に、何かできたはずだ。なのに何もしなかった……森永が言うように、全部俺のせいなんだ。……そして俺は、それからずっと逃げ続けてきた」

「……」

 神に懺悔をするような言葉が響く。山田の声はひどく震えていたけれど、どこか静謐で。握りしめられた拳が、耐えきれないように震える。神風は自身の拳をそっと開き、山田の拳に手を重ねた。春の海のように、静かに口を開く。

「……それじゃあ、向き合わなきゃいけないね」

「……ああ」

 山田の言葉を、神風は否定しなかった。罪を償おうとしている彼の意思を否定することは、彼の存在否定にもつながる気がして。ただすべてを飲み込むように言葉を重ねる。拳の震えを止めようとするように、手をそっと包む。

「前に進むためには、過去を振り返らなきゃいけないこともあるから。ただ……その時は、ボクにも一緒に背負わせてくれるかな」

 彼の瞳をじっと見つめて問うと、山田はどこか泣きそうに瞳を滲ませた。両手で彼の手を包み、神風は春の日差しのように微笑む。凍った大地を溶かすように、桜の木に光を届けるように。

「ボクは今まで、たくさんキミに支えられてきた……だから、今度はボクに支えさせてほしいんだ。ボクはすごく無力で、もしかしたら何もできないかもしれない……だけど、ボクはキミの恋人なんだから。そのくらいは、させてほしい」

 その声は梅雨明けの黎明のように、ヒバリのさえずりのように響いた。神風の手のひらはひどくあたたかくて、冷たい雨の感触をそっと打ち消すかのようで。窓の外で雲が割れ、眩しい冬の日差しが部屋に差し込む。真っ白な光の中で、神風は陽だまりのように優しく微笑む。それはまるで天使のようで、山田はただ、彼の手を強く握り返した。



 閉ざされたカーテンの隙間から月光がきらめく。一筋の光に照らされた天井を眺めながら、神風はただぼんやりと考えを巡らせていた。隣では山田が何事もなかったかのように寝息を立てていて、それが憎らしくも愛しくて。

(ボクにできることは、何だろう……そばにいることくらいしか、思いつかない)

 神風が辛い時、山田はいつもそばにいてくれた。ただ優しく抱きしめてくれた。それだけで不思議と救われた気がして、ますます彼のことが好きになって。それは山田も同じ痛みを知っているからなのだと、ようやく知った。自分の不甲斐なさが嫌になるけれど、そんなことを考えている暇なんてなくて。隣で寝息を立てる山田の横顔を見つめ、ふっと目を細める。

「ねえ、スターライト……ボクには、何ができるかな」

「……」

「あんなこと言っといて、何ができるかもわからないんだ……そばにいることくらいしか、思いつかない」

 独り言のように呟くと、山田は彼に背を向けるように寝返りを打つ。悲しげに目を伏せ、神風は再び天井を見上げ――と、月光のような声が耳を打った。

「……それだけで、十分」

 はっと目を見開き、隣に視線を向ける。元に戻るように寝返りを打ち、山田は顔を隠すように腕を目元に持っていく。そんな彼を見つめ、神風はふっと微笑んだ。

「……なんだい。寝てないんじゃないか」

「……バレたか」

「そりゃバレるよ。……いつもありがとう、スターライト」

「……別に」

 それだけ告げて黙り込む山田。普段は意識しないけれど、細い月光に照らされたその横顔はやはり美形で……だけど、雪のひとひらのように儚げに見えた。



 窓の外を高級住宅街の景色が流れてゆく。滅多に目にする機会のないそれを、山田は英晴が運転する車の中から、興味なさげな目で眺めていた。隣で微笑んでいる気配に視線を移し、呟く。

「……帰りたくないな」

「それはそれで困らないかい?」

「本当に高校出たら一緒に住まないか?」

「え、ええっ!? 気持ちは嬉しいけどもうちょっと段階踏もうよ!?」

「二回目だな」

 神風のツッコミをさらりと流し、山田はマフラーを巻きなおす。そんな彼を見つめながら、神風は頬を掻きながら呟いた。

「……正直なこと言うと、ボクもそばにいたいけどさ」

「じゃあ問題ないだろ」

「うーん……なんか色々とツッコミどころがある気がする」

「高校出たらスターライト君もうちに住んでくれても構わないですよ……っと、着いた」

 窓の外を流れる景色は、駅前を映して止まる。山田はどこか名残惜しそうにシートベルトを外し、神風に視線を向けた。片手で扉を開けつつ、ひらり、片手を振る。

「……じゃあ、また学校で」

「うん。またね」

 小さく手を振り返し、神風は人混みに紛れていく山田の後ろ姿を見つめた。小さく息を吸い、唇を引き結ぶ。人混みの中に消えてしまいそうな儚げな姿を、守らなければならないのは。

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