第60話 いつまでも目を逸らしてちゃ
「――北条くん。薫は北条くんのこと、信じていいの?」
その問いに、北条はすっと目を細める。その口元には相変わらず笑顔が貼りついていたけれど、それはどこか風船のように空虚で。彼は桃園に一歩近づき、かくりと首を傾げた。
「……どういう意味だ?」
「深い意味はないよ。ただの確認」
そう前置きし、桃園は小さく息を吸った。胸の前で両手を握り合わせ、彼は北条の茶色の瞳を覗き込む。その中に隠されているものに、手を伸ばそうとするように。
「あのね、薫は、薫は北条くんのことが好き。何しても振り向いてくれない山田くんよりも……いつだって薫のこと大事にしてくれる、北条くんのことが。だからこそ、知りたい」
パステルカラーの告白に、北条の口元が吐きそうに歪む。彼の全身が細かく震えだすのを眺め、鹿村はわずかに目を細めた。
「好きだからこそ、信じたい。北条くんのこと。……御門くんは間違ってるって、証明してほしい。北条くんの口から聞きたい。信じていいって、薫のこと、好きでいてくれるって……!」
縋るような声に、北条は耐えきれないとでもいうように視線を伏せた。吐きそうに歪んだ口元から、ひどく掠れた声が漏れ出す。
「……れ」
「え?」
「黙れよッ!!」
――江戸を模したセットの街に、金属を引き裂くような絶叫が響いた。はっと見開いた桃園の瞳が、震える。セットの街に強い風が吹き、背中で一括りにした黒髪が揺れる。それはまるで、黒い蛇が尻尾を揺らすかのように。顔を上げた北条の瞳はひどく血走っていて、桃園は思わず息を呑んだ。犬歯を剥き出しにし、鹿村は北条にガンを飛ばす。
「……ようやっと本性出したなァ、北条」
「――ッ――」
荒く息を吐きながら桃園を睨む北条に、鹿村は一歩、二歩近づく。強い風がオールバックにした髪を乱していく中、至近距離でガンをつけた。
「今度こそ話せよ。お前、薫に何しやがったんだ」
「――ッ――ッ」
「薫に何吹き込んだ。何のために薫に近づいた? 全部吐けよ、お前の腹の中身」
「――ッ」
ひぐっ、と北条の喉が音を立てる。血走っていた瞳が、ふっと暗く染まった。諦めたような声がその喉から滑り落ちる。
「……ここまできたら、騙す意味もないか」
北条は鹿村の脇を足早に通り過ぎ、桃園の正面で足を止めた。深海のような目が震える瞳を睨む。二対の瞳はまるで、蛇と蛙のような。幽霊に会ったかのように足がすくんで動けない桃園に、北条は追い詰められた犯人のように口を開く。
「正直に言うぞ。おれはお前のことが嫌いだ」
「……え……?」
「最初から破滅させるつもりで近づいた。甘い言葉で惑わせて、籠絡して、おれ無しでは生きていけない体にして、依存させてから捨ててやろうと思ってた。スターライトにたかる羽虫は全部、叩き落としてやろうと思ってたッ! 途中までは上手くいってたのに……なのに何でッ! 何で気付くんだよッ!」
その声は、まるで子供のように。どこか泣きそうな声に、桃園は小さく息を呑んだ。鹿村が彼の背後に数歩歩み寄り、制服のポケットに手を突っ込む。
「……山田に聞いたぞ。お前、前にも散々人の心
「……スターライト、そんなこと言ってたのか」
ふと北条の声が光を帯びた。バッと鹿村の方を振り返り、その表情がぐにゃりと歪む。思わず息を呑み、鹿村は一歩後ずさった。歪んで、狂気的で、恍惚としたようなそれは――笑顔。
「……おれのこと、まだ気にしててくれたんだな……嬉しいなぁ」
「……!?」
見開いた瞳が、北条から離れない。北条は黒髪を揺らして数歩歩き、壊れたくす玉ような声を響かせる。
「中学時代から、何やってもあいつは振り向いてくれなかった。だからこそ想いが燃え上がって仕方なかった……おれは幸せになりたいだけだ。スターライトと二人で。おれにとってはあいつしかいないんだよ……!」
桃園の瞳が震え、鹿村が歯を食いしばる。それは歪な告白。ひどく歪んだ感情をぶつけようとする、狂った愛の歌。
「スターライト、振り向いてくれよ! おれはお前とじゃなきゃ、幸せに――」
「いい加減にしろッ!!」
「――!?」
鹿村の咆哮が割って入った。目を見開くのは桃園と、北条。偽りの恋人だった二人を引き裂くように、鹿村は叫びを木霊させる。
「そんなもんは恋でも愛でもなんでもねえ、ただの執着だろうが!」
「はぁ? おれは、純粋にスターライトを愛して」
「だったら尚更、薫に手を出す必要はなかっただろうがッ! 勝手に恋愛でもなんでもしてりゃいいだろうがッ! 俺はお前と山田の関係は知らねぇ、そもそも山田のこと自体よく知らねぇ。だが、これだけは断言できる」
ビシィッと北条を指さし、鹿村は獅子のように咆哮する。
「愛してるなら、そいつのことをちゃんと見ろッ! 関係ない奴に八つ当たりして逃げるんじゃねえッ! そんな奴に人を愛する資格なんてねえよ、尻尾巻いて逃げやがれゴルァ!!」
「――ッ!」
誇り高き獅子の咆哮のような声が、江戸を模したセットに響いた。ギリ、と歯を食いしばる北条と鹿村を見比べ、桃園は俯く。いっそ笑えてくるほどの狂気を孕んだ北条と、決してこちらを振り向いてくれなかった山田の横顔。
(――そっか。最初から、眼中になんてなかったんだ)
最初から、桃園のことなど、見てなどいなかったのだ。
「……あは、あははっ」
「……薫? お前までトチ狂ったか?」
「そんなわけないじゃん」
呼吸は未だ浅いけれど、指先は未だ震えているけれど、それでも彼は笑う、青葉を揺らす風のように笑う。不意に彼は北条の茶色の瞳をじっと見つめた。鏡の中の自分を見るように見返してくる北条に、桃園は両手を胸に当てて口を開く。
「これで、諦められた気がするんだ」
「……はぁ?」
問い返す北条に、桃園は小さく笑みを吐き出した。彼ははそれを幻獣でも眺めるように見つめ、かすかに震える声で問う。
「……お前、何で諦められるんだよ……普通、好きな人なんてそう簡単に諦められるもんじゃねえだろ……?」
「そうだね……薫も山田くんのこと、ずっと諦めきれてなかった。けど……案外簡単に、諦められるものってあるよ」
そう前置きし、桃園は空を見上げた。悲しいほど青い、秋の高い空。薄茶色の瞳に青を映し、桃園はふっと俯く。
「……最初から、叶わない恋だった。本当はわかってたけど……考えないようにしてた。山田くんは神風くんと一緒にいる時が一番幸せだって、わかってた」
「薫……」
「ずっと諦めなきゃって思ってた。それでも諦めきれなくて、山田くんのそばをついて回って……北条くんに助けを求めて……それでも、山田くんはこっちを見てくれなかった。諦めようと思っても、簡単には諦めきれなかった……でも、いつまでも目を逸らしてちゃダメだよね」
それは神に罪を懺悔するように、それでいて無理やり自分を納得させようとするかのように。鹿村が口を開こうとして、しかし桃園は小さく首を横に振った。彼は北条に一歩近づき、春風が吹くように笑う。再び血走っていく北条の瞳を見つめ、口を開いた。
「――さよなら、北条くん。どうか北条くんが、本当の愛に辿り着けますように」
そう告げ、歩き出した。北条の傍を通り過ぎ、江戸の町を抜けていく。それに鹿村も追随し、一人残された北条はただ地を睨んでいるのだった。
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