第44話 覚悟しとけよ
「終わったねー……」
白ジャージから制服に着替え終わり、神風は窓の向こうを見上げた。放課後の教室には三人だけ。残暑はまだ厳しく、空は青く澄んでいて。汗が引きかけた肌に、クーラーの風が心地よい。臙脂色のネクタイを締めつつ、山田は口を開いた。
「とりあえず、お疲れ。良かった」
「うわすっごい上から目線……」
芋虫でも見るような視線を山田に送り、御門は小さく息を吐いた。神風に視線を向け直し、ふわりと笑う。
「……まぁ、お疲れ様、爽馬。疲れたでしょ? 今日はゆっくり休んでよ」
「うん、ありがとう、二人とも」
それらを受け、神風も春の日差しのように笑った。クーラーの風にさらさらの茶髪とYシャツの襟が揺れる。春風にあてられたように、山田と御門はそれぞれに口を開く。
「……別に」
「気にしないで。僕らの仲じゃないか」
「おい、神風」
――唐突に、噛みつくような声が投げかけられた。入口に視線を向けると、腕を組んでこちらを睨んでいる犬飼の姿。その両脇には大型犬じみた昴小路と、カマキリ顔の鎌取。二人とも背が高いので、両側を固められている犬飼は……。
「犬飼さ、こうして見るとえらい小っちゃいよね?」
「うっ、うるさい」
「いいんですよ。郁君は小さいからこそいいんです」
「お前は黙ってろッ!」
相も変わらずひっついてくる昴小路を引っぺがしつつ、犬飼はビシィッと神風を指さした。その脇では鎌取が大きな目を細めて二人を睨んでいる。しかし両側からの意味が違う圧などものともせず、犬飼は口を開く。
「お前、今から打ち上げで焼肉屋行くから、ついてこい」
「あぁ、うん……そういえばそうだったね。ごめん」
「えー……僕、爽馬と一緒にスタバ行きたかったんだけど」
「ごめんね、また今度ね」
「……」
「スターライト、無言の抗議やめてよ……今度一緒にどこか行こう、ね?」
「……子供かァ?」
鎌取の静かなツッコミは誰にも拾われず、ただ消えていった。
◇
「かんぱーい!」
鶴天からほど近い焼肉屋に、昴小路の明るい声が響いた。コーラが入ったコップを掲げる彼に応じ、他の生徒たちもそれぞれにコップを掲げる。派手に、あるいは控えめに、ガラス製のコップが涼やかな音を立てる。コーラを一気飲みし、昴小路は子供のように屈託なく笑った。
「いやー、美味しいですね! やっぱり頑張った後の美味しいものは最高ですよ!」
「本当ですね」
「ふふ、わかってますね宮原君。ついでに人のお金で食べる焼肉はもっと美味しいです! ありがとうございます、郁君!」
満開の桜のような笑顔で、昴小路は隣に座る犬飼に寄りかかった。あえて撥ね退けることはしないまま、犬飼はコップを置き、腕を組む。
「ふん、当然だ。メンバーへの労いの一つもしないで何がリーダーだ」
「……お前いつからリーダーになったんだァ?」
苦虫を嚙み潰したような顔でツッコミを入れつつ、鎌取はジンジャーエールをすすった。苦笑しつつ、神風は口を開く。
「でも、その気持ちだけで、頑張った甲斐があるってものだよ。ありがとう、犬飼」
「……ふん」
神風の笑顔は相変わらず陽だまりのようで、直視するには耐えがたくて。犬飼はそっぽを向き、ぼそりと言い放つ。
「礼を言われる筋合いはないッ」
「郁君、僕の時と対応違いすぎませんか? あと神風君は誰にでも優しいので、勘違いしちゃダメですよー」
「うっ、うるさいッ! 離れろッ!」
昴小路を押しのけ、犬飼はズビシッと神風を指さした。思わず早口になりつつ、言い放つ。
「お前は黙って楽しんでりゃいいんだ、要らんこと言うなッ!」
「えぇっ!?」
「はぁ……本当に素直じゃないですね、郁君。そんなだから友達が」
「いい加減にしろ」
バッサリと言い放ち、犬飼は麦茶に口をつける。仄かな苦味が心地いい。ゆったりと味わいつつ、注文した肉が来るのを待つ。
「で……犬飼お前、選挙出んのかァ?」
「当たり前だ」
音を立てて麦茶のグラスを置き、犬飼は堂々と宣言する。鎌取が大きな目を細める中、沼川が首を傾げる。
「……選挙って、生徒会選挙のことですか?」
「ああ。来月の中盤に行われる」
「郁君は前々から『生徒会長に俺はなる』って言ってたんですよ。……そういえば」
すっと目を細め、昴小路は視線を滑らせる。
「なんかもう一人、生徒会長目指してる人がいたような……」
「何でそんな思わせぶりな言い方すんだよ……」
苦虫を嚙み潰したように目を細めつつ、鎌取もグラスを置き、カマキリじみた瞳で犬飼を睨んだ。それはまるで、果たし状を叩きつけるかのように。
「言っとくが、俺様も出馬するからな。お前に生徒会の未来を任せるわけにはいかねえっつの」
「……はぁ?」
犬飼の声がワントーン落ちる。和やかだった空気が一瞬で氷結する。顔を見合わせる後輩たちを見て、神風は二人の間に割って入った。
「ちょっと待ってよ、二人とも。折角の打ち上げなんだから、仲良くやろうよ……一緒に頑張った仲じゃないか」
「そうですよ。折角の楽しい思い出に泥を塗るのはよくありません。やるなら外でやってください」
昴小路も口を尖らせつつ賛同する。犬飼は二人から目を逸らし、小さく口を開いた。
「……すまん」
「……チッ」
鎌取も大人しく口を閉じる。昴小路は再び犬飼に寄りかかりつつ、口を尖らせたまま開く。
「まぁ鎌取君の言い分もわかりますよ? 今まで生徒会の慣例は、附属中の生徒会長経験者が持ち上がりで高校でも会長をやるってことですし。けど、挑戦者がいたっていいじゃないですか。僕は郁君を応援したいです」
「いや、キミは火を消したいのか油を注ぎたいのか、どっちなんだい?」
何がしたいのかよくわからない昴小路に神風は冷静に突っ込むも、流された。テーブルに頬杖をつき、鎌取は昴小路を一瞥する。
「とか言ってお前、どうせ犬飼のこと好きってだけだろ」
「そうですけど、そうじゃありません。郁君は頑張ってるので、応援したいんです」
「ンな、俺様が頑張ってないみてえな」
「そうは言ってません。でも僕は郁君の方が向いてると思います」
口を尖らせたまま言い放ち、さらに深く犬飼に寄りかかる。深く溜め息を吐き、鎌取はカマキリじみた瞳で再び犬飼を睨みつける。
「――言っとくが、ぽっと出の外部生に負けるつもりはねえからな。覚悟しとけよ」
「知らん。席を譲るつもりもない」
「……っ」
睨み合う二人に、神風は思わず俯く。険悪な雰囲気は、結局注文した肉が運ばれるまで続いたのだった。
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