第3話 密航せよ



 やがて、夜になった。陣聖は時計を見た。その時計は魔法世界の時刻に合わせられた時計だった。

 もうすぐ、決行の時間だ。

 陣聖は宿を引き払う準備をした。荷物をまとめ、作戦に使わないものはすべて、ビシクルという時空移動装置に詰め込んだ。

 そして、マリナとジャシャに目配せし、階下に降りる。

 そこでは、宿主として世話になっていた、ハリー婦人がにこやかに待っていた。花柄のエプロンを着ていて、料理の途中のようだった。

「すいません、忙しいのに、見送りなんて」

「そんな、水くさいじゃない」

 ハリー婦人は眉をひそめた。

「では、改めてハリーさん、ジャシャの面倒を見てくれてありがとうございました」

 陣聖は頭を下げた。ハリー婦人は手をひらひら振って、

「そんな。私、子供ができなかったもんですから。楽しかったですわ」

「本当に、ありがとうございます」

「用事が済んだら、またこちらにいらっしゃるの

?」

 陣聖は表情を曇らせた。

「・・・・・・ええ、できれば」

「そう」

 ハリー婦人は何も聞かずに微笑んだ。

「じゃあ、またぜひ一緒に暮らしましょう。半年間、マリナちゃんもありがとね」

「はい!ハリーさん、2年間ありがとうございました」

「それじゃ」

 陣聖は彼女にお別れを告げた。

「さようなら」

「さよなら。ーこの街の夜は危ないから、気をつけてね」


 3人は、宿を出て、しばらく、歩いた。夜なので、街のあちこちで蝋燭の火がつき始めた。民家の屋根の上に家を守る精霊ドモボイたちが見張りに立ち始める。この街の夜は、実に穏やかではない。

「あまり、人が歩いていませんね」

 マリナの言うとおりだった。クルトコックの夜の街は、人はほとんど歩いていない。歩いているのは、妙な者たちばかりだ。

 そのとき、3人の前に、どこからともなく、不思議なものが現れた。白く透明なレースカーテンを被った、人の形をしたもの。しかし、その人には、口がない。目の部分には穴が開いている。耳が顔に埋まっている。

「あの、陣聖様」

「静かに」

 その目から、ビーズのようなものを流し始めた。黒板をひっかくような音を立てながら、だらだらと赤い玉が地面を転がる。

 陣聖はそれを無視してすり抜けた。二人とも、彼に倣って、そこを通過した。

 その姿が見えなくなってしばらくして、陣聖はふうっと息をついた。

「やれやれ、夜はああいうのがいる」

「何ですか、あれ」

「声を出したら殺されるぞ」

 陣聖は小声で言った。

「魔界商人ていう魔法生物。他にも夜になると、昼息を潜めていたものたちが動き出す」

「怖いですね。理不尽きわまりない」

「そうか?」

「怖いですよ。ーねえ、ジャシャ?怖いよね?」

 ジャシャはきょとんとして、首を傾げた。

「怖くないよな、ジャシャは。・・・もっと理不尽なことを知ってるんだからさ」

「・・・」

 そのあと、一行は3回くらい魔界商人に絡まれたが、声を立てずにスルーすればなんてことなかった。  

 やがて、一行はイトマク港で、密航する予定の船ナグルファルを発見した。

 その船は、なかなか大きかった。収容人数400人くらい。隠れる場所はありそうだ。

 渡し場を通って乗船する人々は、皆黒いマントを被り、顔を隠している。ドクロの面を被ったスーツ姿の男が乗客を数えたり、証明書を確認したりしている。

 近くに積まれたコンテナのそばに隠れた3人はひそひそと相談し始めた。

「こんな感じなのか」

「どうやって船に乗るんです?」

「まあ、落ち着け」

 陣聖はリュックから折りたたみ傘2本を取り出した。

「あ、それ「隠れ傘」じゃないですか」

 マリナは言った。

「なんだ、それ持ってたんですね」

「ああ。表では絶対流通しない品だが」

 ジャシャは目を細めた。なぜ持ってる、という目だった。

「なぜ持ってる、という質問には答えられない」

「どうせ昔、ついでに薬もらうときにもらったんでしょ」

 マリナはつまらなそうな顔をした。

「もう、やってないと思うけど」

「・・・ああ」

 陣聖はうなずいた。

「もう、あれはやってないよ。君に誓う」

「私に誓うのね」 

 マリナは微笑んだ。

「信じてるよ、陣聖様」

「ああ」

 陣聖はうなずいた。 

「ーさあ、ジャシャとマリナは一緒に入って。俺は一人で入る。聞いて欲しいんだが、この隠れ傘ははっきり言ってぼったくり品なんだ。効果は絶大で、どんなセンサーにも引っかからない。だが、効果持続時間はたった30秒だけだ」

「短っ!」

「だから、走ってくれ」

「私、運動不足だからなあ・・・」

 マリナははあ、とため息をついた。

「普段から運動しとけって言っただろ」

 陣聖は、船着き場の方の様子を伺う。

 チャンスは渡し場が上がり、乗船が締め切られる直前だ。

 最後尾と思われる乗客が船内に姿を消したとき、陣聖は後方二人に合図をした。二人はうなずいて、傘を構えた。

 ドクロ面の渡し守が、指をぱちん、と鳴らした。渡し場が音もなく動き出す。

 そして、陣聖は、傘を開いて走り出した。傘の下にいれば、渡し守は陣聖の姿に気づかない。渡し場に足をかけ、音を立てることなく、一気に船内へ入る。

 後ろを振り返ると、マリナたちの姿はない。うまく隠れられたのだと思った。

 役目を果たした渡し守がこちらに引き返してくる。このまま入り口にいては、30秒経って彼に姿を見られてしまう。

 もっと奥に進んでいよう、と思ったそのとき、

「ーちょっと、押さないでよ!わっ」

 マリナの声と、何かが転がるような音が聞こえた。ばっと振り向くと、傘を手放し地面に転んだマリナとジャシャの姿があった。

 渡し守は身を翻し、彼らの方を見た。

 陣聖は、額に手を当てた。

「ああ、まずい!」

 だから、普段から運動しておけと言ったのに。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る