奈落の底

 歩くスピードは遅かった。フィールド探索ではこの極振りされた【AGI】の力を行使して、誰にとかでは無いが、速さを見せつけるのだがそうはいかない。


 この熱せられた空間の中ではオレの体力が奪われて行く。時折、目の前がグラっと歪んで足元がフラつく時がある程だ。ダラーっと額からは滴(しずく)が垂れ流れる。それを袖で拭(ゆぐ)うたびに、あの冷えたビールのような喉越しをもつ、『シュワシュワ』というこの世界ならではの飲み物がチラつく。


「また飲みてぇな!?シュワシュワ……たまには男に介抱されんのも悪く無い気がする。……って、ダメだダメだ!!この熱さのせいでおかしくなってやがる!」


 言う通り、本当に思考回路が停止してしまうかのような熱さなのだ。この【辺境の地】を延々と彷徨ってる時間は無い。残り今日を含めて、たったの2日でアップデートされて2層が実装してしまうのだ。

 ましてや、その7日後には第1回イベントが開催される。今の状態……レベル1でカンストしている今、随分と他のプレイヤーから遅れを取っていると言える。

 何故、このオレがレベル1でカンストしてしまったのか……もはやその思考を停止させた。いくら考えても答えは出ないからだ。


 次第にこれがオレの宿命だと、己自身を呪うかのように、段々とオレの中ではこの状態を打開する手立てを考えるようになった。

 打開策……具体例は思い付かないが、何となくこれ以上の遅れを取ってしまうのは悪手だと、そう感じるようになった。


 ここは道という道はない。枯れ果てた木々と黒々とした溶岩の塊、緋色で粘りがあり膨張を試すマグマが流れる川、それらを避けて通るのみだ。

 こんな空間を歩くオレの背後には、白妙(しろたえ)の山と霞む霧だ。その区切りははっきりとしていて、山の斜面の終わりからこの荒野が続くのだ。

 急転するこの風景を目に映した途端、きっと誰もが呆気に取られるだろう。


 そして、額に流れる滴の量は増える。ちょうど、地面が割れ背丈ほどの亀裂に差し掛かるところだ。オレは右脚を浮かばせて、反対側に飛び移ろうと足を伸ばす……

 これまでに幾度もあった大地の揺れ。規模は大きいのだが揺れの間隔は短く、四肢で支えれば耐えれるほどであった。


 しかし、今回の揺れは……


 今までの揺れの中で最も大きな揺れが襲った。地鳴りも激しく、足元の亀裂に続いて裂けるように、そして地面の断面が顔を出す。右脚が浮かばられた状態では、この揺れに耐える力は無く……


「ちょっ、これっ!やべぇよ!!」


 背丈ほどの亀裂が2倍もの大きさに広がった瞬間だ。それに吸い込まれるようにして奈落へと落ちて行く。


「うわぁーーー!!」


 大地が割れた幾重の層になっている断面を見ながら……そして落下する身体…段々と光は失われてつつ…オレの視界は闇へと誘(いざな)った。亀裂の隙間から覗く灰色の空の形は小さくなって行く。


「オレはこのまま……ここで死んじまうのかな?」


 そう心の中で呟く–––。


「なんだ、これ!?」


 落下中、オレの中ではある意味『死』を意識していた最中であった。透明なのだが、微かに届く日の光で乱反射を発して、膜のような物体に目を奪われた。それはゆらゆらと風邪か何かで揺れて波を立てている。時折、その膜は揺れでオレの身体を映しながら、この亀裂の奥の光景を見せる。


 そこにオレの片腕が……しかし、その膜の先には、オレの腕は映されていない。右腕がすっぽりとその膜に入り込み、オレの目に映されているのは右腕は無く、この膜の境界線だろうか?そこにまだ入っていない右肩からオレの身体全ては、オレの目から伝わり、ここにあるのだと分かるが、その膜に入ってしまった右腕の行方は分からない。

 

 もしもだ、オレの右腕が何かに奪われたとしてもだ、この『セカンド・ライフ』では痛覚が伝わるから、自ずとオレの感覚『痛覚』として、NナーヴCコントロールHヘッドギアを通じて痛みを感じるであろうが、その感覚は無い。


 そして、オレの身体はその膜目掛けて落ちて行く。


 その時だ……


 この感覚……それは初ログインから【始まりの街】に飛ばされた時の感覚に似ている。落ちているのではない。どこかに吸い込まれている感じだ。


 次第にオレの視界は真っ暗に…闇の中で何処かに吸い込まれては、落ちて行く。

 そして、身体から伝わる……デコボコした突起のある物体…それを察知してオレの瞼(まぶた)は開けられた。

 あの時のように強い眩い光に襲われる事はなく、そこは薄暗い洞穴(ほらあな)のようであった。地面に伏せられた身体を起き上がらせる。四肢にはちゃんと力が入るようだ。


「そういえば…オレの右腕は?」


 消えて何処かへと行ってしまったと、思い込まれたオレの右腕は……ちゃんと見える。そして感じる。この洞穴の温度、そして微かに流れる風をしっかりとその右腕で感じることが出来た。


 オレはこの状況を理解せんと辺りを見渡す。そこは全て土の塊で創り上げられた空間であった。地面の土の上には小石が転がり、ここはどうやら広場だろうか。ドーム状に整形された屋根、所々岩のような突起物が目立つ。その突起物から滴る液体がポタポタと地面に落ちる。その音は高くこの空間に良く響いた。


 ふとオレの目に映り込んだのは、2つの新たな洞穴への入り口だ。それは人間の背丈程の大きさであり、行く先は分からずとも、奥へと続いている。

 オレの脚はその2つの入り口に進めと言われているみたいで、そこに向かうのだ。


 「バッバッバッ」


 と低い音が木霊(こだま)する。それは今まで薄暗い中で見えていなかったが、松明が並んでいたのだ。それに火が灯されていく。

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