2章-62話 戦いの前に


「クロエ」


「ん……」


 肩を優しく揺さぶると、クロエはゆっくりと目を開ける。問題なく起きてくれた事に若干の安堵を覚えながらもシンヤの内心では焦りが生まれていた。


 ファルの言葉を鵜呑みにしたわけでは無いが、完全に否定する事も出来ない。


 もし鳥人の里に魔族の襲撃があるのであれば、森の村での惨劇を繰り返すことになる。


 今の自分なら、今度は足手まといにならない。その思いがあるからこそ急いでステラを追いかけたかった。


「起きた? クロエ」


「シンヤ……? ……良かった無事だった……」


「言ったろ? 大丈夫だって」


「でもぼろぼろじゃない……」


 二カリと笑うシンヤの身体はクロエが眠りに落ちる前に比べ、さらに傷が増えている。それは噛み傷、切り傷、ひっかき傷、全身に傷が無いところを探す方が苦労しそうな程だ。


 それでも生きて戻ってくれた事にクロエの胸中に嬉しさが込み上げてきた。


「待ってて、今治すから」


「……つっ!!」


 シンヤの頬に手を添えるとクロエの魔力がほのかに辺りを照らす。緊張状態だった為感じていなかった痛みが襲いくる。


 体力は無くならない。事実シンヤは一晩中戦い続ける事が出来た。それでも全身に受けた傷は軽いものでは無く、じくじくとする痛みと共に全身の傷が塞がる違和感を感じた。


「ありがとう。でも、あまり時間が無いらしいから……出来れば移動しながらお願いするよ」


「え? きゃっ!!」


 治癒の魔法を発動しているクロエの背に腕を回し一気に抱き上げる。シンヤの足にはそれほど傷は無く、走る事は可能だ。


 ならばすぐにでもステラの後を追わなくてはと、シンヤは扉の外へと目を向けた。


「どういう……」


「走りながら説明する」


 状況を飲み込めていないクロエに申し訳なさを感じつつ、シンヤは彼女をしっかりと抱え一気に地を蹴る。来る時は魔物の攻撃もあり三日かけてきた道を一気に駆け抜けなければならないが、全力で走り戦闘を避けつつ進めば日暮れ前には戻れるだろう。


 ステラが先に行ってから時間がたっている。シンヤは逸る気持ちを抑え洞窟の中を走り出したのだった。



 ◆   ◆   ◆



「じじいっ!」


 全速で空を駆け里に戻ったステラが声を張り上げ、里長の家に飛び込むように入って行く。人気のない室内を奥へと進む。


 乱暴に扉を開けると、そこには寝台に座る里長が一人。ステラの姿を視界に納めゆっくりと顔を上げた。


「なんじゃステラ、騒々しい」


「……無事だったか。魔族は?」


 聞きなれた声で言葉をぶつけてくる里長。間に合ったのか、ファルという怪しげな男の情報が嘘だったのかはわからないが、里に襲われた形跡は無く、ステラは幾ばくかの安堵を覚え胸を撫で降ろした。


「気づいとったか……谷の入り口付近からこちらに向かっておると報告があった……あと半刻と言ったところじゃろう」


「っ?! ならなぜ逃げないっ! 他の奴らはっ?」


「皆の総意じゃ。他の土地に移る気はない。若い衆もここで向かい討つと息まいておるよ」


 普段と変わらない口調で話す里長にステラは声を荒げて詰め寄る。今里にいる者はそのほとんどが戦えない者ばかり。戦える若者も魔族と渡り合えるような強者は鳥人族にはもう居ないのだ。


 この場に留まるという事は彼等にとって死を意味している。それでも眼前に座る里長に焦った様子すら無かった。


「あいつらじゃ魔族には勝てないっ! 死ぬだけだっ!」


「そうなるじゃろうな……だが、ここを出てどこへ行く? どこへ行こうともいずれ魔族に見つかり殺される」

 

「ガキどももいるんだぞっ!? ……あたしが今から行って時間を稼ぐっ! その間に全員を連れて……」


「よいっ! もうよいのじゃステラ……人族は負けた。神は消え、世界は闇に沈んだ。この世界を生きる事に希望は無い……」

 

 里長はステラを見据えていた瞳を静かに閉じる。大襲来、人族の襲撃、屍人の世界、そのどれもが安寧に生きる事を許してはくれなかった。


 鳥人という種族だけではない。魔族以外の全てが滅びへと向かっている。


 ここから逃げ延びたとして、おそらくそこもまた地獄なのだ。長く生きた里長にとっては、まだ年若い同胞が死に絶える事だけが心残りだった。


 だが、生きていても苦痛しかないのであればここで最後まで抗うと、そう全員で決めたのだ。


「良いわけが無いだろっ! 鍵は手に入れてきたんだっ! あたしが故郷を取り戻す。そうすれば生きていけるっ!」


「……お前には特に苦労をかけた。ここに移ってからずっと儂らの為に魔物と戦い続けてくれた。ステラ、お前だけなら一人でも生きていける。あの人間達と共に行け」


「……は?」


 自分のいないところで種族の運命を決められ、あろうことか自分一人だけで逃げろと、その言葉に思考が止まる。怒りを通り越し、里長の言葉を理解する事が出来なかったのだ。


「魔族が三体。百を超える魔物の群れを率いておる。偵察に出ている若い衆も皆広間に戻るように指示した。儂らはここで迎え撃つ。が……まず間違いなく鳥人族は滅ぶじゃろう。じゃからお前はお前のやりたいように……」


「ふざっ……!!」


「……」


 遅れてきた怒りで目の前が真っ赤になり、ステラは里長の胸倉を掴む。彼女の反応を理解していたのだろう。里長は抵抗する事も無くゆっくりと瞼を上げた。


 もう覆しようのない現実を受けいれている。幼い頃から知る里長、その悲しみを宿した瞳にステラは振り上げた拳を静かに降ろす。 


「……わかった……でも……あたしも残るよ……。今日、父さんと会ったんだ。これ以上家族をなくして迄生きていたくない。それに、あたしが魔族ぐらい撃退してやるさ」


「……そうか。すまんな」


 ステラが一人で逃げるという選択をするとは思っていなかったが、絶望の世界でも生き抜く力を持った彼女を自由にしたかった。どこか静かな場所を見つけ生きていてほしかった。


 だが、予想通りの返答に里長はそれ以上言葉を続けることはない。


 もう間もなく魔族がこの場に来る。洞窟で水蛇竜と戦い、屍人と朝まで戦い、そのまま全速で里に戻った。休む暇など無くすでにステラの体力は限界を超えていた。


 それでも家族を守る為にと拳を握りしめたステラに背後から声がかけられた。


「失礼する……」


「なんだっ! 後にしてくれっ!」


 ステラの知らない男だ。人間に見えるが見たことの無い服装をしている。


「ここにシンヤという男が来たと思うのだが……」


 その男はステラの言葉を無視して室内に入って来ると、洞窟に置いてきた人間の名前を口にした。


「だれだ?」


「失礼した。私はノエル、彼らの仲間だ」


 ステラの問いにノエルと名乗る男は表情を変えることなく淡々と答えた。

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